静かな生徒会室にキーを叩く音が響いていた。中嶋は手際良く部活動の記録を入力している。地味な作業だが、仕事の効率を上げるためには必須なことと割り切っていた。丹羽は書類を山積みにした机を放棄し、学園内の警備と称して逃亡していた。
(さて、そろそろ捕まえに行くか……)
 漸く一区切りついたので中嶋は手を止めると、眼鏡を軽く押し上げた。
 明日までに会計部へ提出するものが幾つかあった。丹羽の怠慢のせいで七条に嫌味を言われるのは堪え難い。尤も、黙ってやられるつもりは毛頭ないが、余計な波風は立てない方が良いとは思っていた。
(全く……躾の悪い犬だ)
 心の中でそう嫌悪の言葉を吐いて立ち上ろうとしたとき、ドアが勢い良くバンッと開いた。
「中嶋! お前、また何かやったのか!?」
 血相を変えた丹羽が荒々しく叫んだ。中嶋はゆっくり身体の向きを変え、冷たい目で丹羽を見据えた。
「人聞きの悪いことを言うな、丹羽」
「違うのか? お前、今日は会計部にちょっかい出してねえのか?」
「俺はそこまで暇ではない。向こうが勝手に手を出してくるだけだ」
「なら、良いんだがよ……」
(あっちも同じこと思ってるよな、絶対……)
 丹羽はガシガシと頭を掻きながら、ドカッと椅子に腰を下ろした。
「何があった?」
 中嶋は静かに尋ねた。丹羽はがさつで大雑把だが、馬鹿ではない。こいつが息せき切って戻って来るのだから、どこかで異変が起きたのだろう。すると、意外な返事が聞こえた。
「セーフティ・モードが発動された」
「……!」
「本当だ。気づいてる奴は少ねえがな」
「サーバー棟の様子は?」
「特にまだ目立った動きはねえ」
「早過ぎたのかもしれないな」
「ああ」
 丹羽は真剣な顔で頷いた。すっと中嶋が立ち上がった。
「行くぞ」
「会計室か?」
「ふっ、態々俺の手を煩わすこともないだろう。どうせ今頃、あの犬が監視カメラに侵入している」
 中嶋は口の端に氷の微笑を浮かべた。丹羽も同じことを考えていたので、大人しくそれに従うことにした。
「それじゃあ、行くとするか!」
(じっと待ってるのは性に合わねえ!)
 丹羽はバシッと拳を叩いた。

「……!」
「どうした、臣?」
 パソコンの画面を見つめていた七条が僅かに息を呑んだので、西園寺は書類から目を上げた。総て予定調和の会計室では、声に出さずとも気配で察することが出来る。ましてや、気心の知れた二人ならば。
「郁、学園内のシステムが完全閉鎖されました」
「何!?」
「一切の接続を強制遮断。これより、学園島全域にセーフティ・モードが発動されます」
「サーバー棟で何かあったのかもしれないな……臣、音は拾えるか?」
「いえ、一昨日、総て撤去されてしまいました。ですが、入口の監視カメラの映像なら何とか割り込めます」
「頼む」
 西園寺の言葉に七条は目まぐるしくキーを叩き始めた。しかし、七条のハッカー並みの腕を持ってしても、それは簡単にはいかない作業だった。時間だけが過ぎてゆく……
「郁ちゃん!」
 ドアの音がするより前に、その大声は響いた。西園寺がキッと丹羽を睨みつけた。
「ノックくらいしろ、丹羽!」
「それどころじゃねえだろう。セーフティ・モードが発動されたんだ。一体、どうなってる?」
「今からサーバー棟の映像を出す。少し静かにしていろ」
 西園寺は不機嫌そうに顔を顰めた。後から来た中嶋が、まだ開け放たれたままのドアを静かに閉めた。
「出ました、郁」
 七条の言葉に、三人は同時に画面を覗き込んだ。そこにはサーバー棟の正面玄関の様子が映し出されていた。
「まだ変わった様子はねえな」
「……いや、ここを見ろ」
 中嶋は車寄せ(ポーチ)の奥に僅かに映る人影を指差した。こちらに近づいて来る白衣の男達。それは明らかに学園の者ではなかった。彼等は次々とサーバー棟内へ消えていった。ほどなくして、今度は白い布を被せた機材が次々と運び込まれてきた。
「これじゃ見えねえな」
 そう丹羽が呟いたとき、一瞬、布の端が風で捲れ上がった。
「……!」
「どうした、中嶋?」
 微かに眉を上げた中嶋を丹羽が見やった。中嶋が言った。
「あれは人口呼吸器だ」
「人口呼吸器!? 何だってそんなもんを運んでるんだ?」
「中に病人がいるからだろう。それも相当、深刻な状態らしい。最早、動かすことも適わない様だな」
「それって……」
 丹羽は言葉を濁した。西園寺が後を継いだ。
「臣、遠藤はこの中か?」
「はい、昼過ぎに戻って来るのを見ました」
「あいつに何かあったって言うのかよ!?」
「その可能性が最も高いだろう。あれでも一応、この学園の理事長だからな。二重生活の疲労が溜まったのかもしれない」
「常々そろそろ落ち着いた方が良いのではと言っていたんですが」
 はあ、と七条はため息をついた。しかし、丹羽はきっぱりとそれを否定した。
「いや、遠藤じゃねえ。俺達は今朝、あいつに会ってる。元気だったぜ、いつも通りにな。どっちかって~と、啓太の方が調子悪かったな」
「啓太? 臣、啓太は中にいるのか?」
「今、調べています」
 監視カメラは近づく者を自動的に録画していた。七条は画像を一つずつ遡ってゆく。そして、その映像が出た――……
「啓太っ!!」
 丹羽が画面を掴んで叫んだ。西園寺と七条、中嶋も息を呑んだ。そこに映し出されたのは、今にも倒れそうな足取りでふらふらとサーバー棟へ入って行く啓太の姿だった。
「何だってこんな……くそっ!!」
 走り出そうとする丹羽の腕を中嶋がきつく掴んだ。
「どこへ行く?」
「啓太のとこに決まってるだろう!」
「お前が行ってどうする?」
「だからって、じっとしてられるか!」
 丹羽は中嶋の手を振り払った。すると、西園寺が凛とした声を発した。
「丹羽、中嶋の言う通りだ」
「郁ちゃんまでそんなこと言うのかよ!」
「私達が行っても何の役にも立たない。寧ろ、邪魔になるだけだ。そのくらい、お前も本当はわかっているだろう?」
「だけど、啓太が……!」
「啓太のことなら遠藤に任せておけ。それよりも、私達は私達にしか出来ないことをすべきだ」
「くっ……!」
 グッと丹羽は拳を握り締めた。そんなことは西園寺に言われるまでもなかった。ただ、往々にして感情が先に立ってしまう。それは丹羽の長所であり、また短所でもあった。丹羽は大きく息を吐いた。
「……わかった。だが、啓太にもしものことがあったら、俺はあいつを許さねえ」
 八つ当たりだと自分でも思ったが、そうでも言わなければ気が治まらなかった。
「ああ、同感だ。そのときは安心しろ。止めはしない」
 西園寺も表情を硬くした。よしっ、と丹羽は気合を入れた。
「行くぜ、中嶋」
「ああ」
「郁ちゃん、俺達は学園内の見回りをしてくる。異変に気づいた連中が騒ぎ始めると厄介だからな。そっちは情報操作、及び収集を頼む。啓太の状態がわかったら知らせてくれ。それと――……」
「セーフティ・モードが発動された理由だろう? わかっている」
「じゃあ、頼んだぜ」
 丹羽は大股で会計室を歩き去った。中嶋はすっと眼鏡を押し上げ、無言でそれに続いた。二人が出て行くと、辺りはまた元の静けさを取り戻した。
「全く……騒々しい奴だ。同じ部屋にいるだけで疲れる」
「丹羽会長は華がありますから」
「違うぞ、臣、あれは真夏の太陽だ。ギラギラと煩くて適わん」
 短く嘆息して西園寺は肘掛け椅子に腰を下ろした。紅茶を飲もうとソーサーを取る。口元まで運んで、初めてカップが空なのに気がついた。お茶を淹れますね、と七条が立ち上がった。
「……」
 西園寺は底に残った茶葉をじっと見つめた。
「確かこれを使う占いがあったな」
「らしくないですよ、郁」
 いつになく弱気な西園寺に、やんわりと七条が微笑んだ。全くだ、と西園寺は窓の外へ瞳を流した。
「伊藤君なら、きっと大丈夫ですよ」
「……そうだな」
 不安を押し殺す様に西園寺はそう呟いた。

 仮眠室の中を白衣を着た医師や技師達が慌しく動き回っていた。時刻は既に深夜を過ぎている。啓太は人工呼吸器に繋がれ、身体には様々なセンサーが取りつけられていた。和希はベッドの傍近くに椅子を寄せ、研究所からの報告書を読みながら、左腕に抗血清を点滴していた。
 研究が凍結されていたとはいえ、ワクチンには何ら問題はなかった。それを基に和希はすぐさま抗血清を合成させた。出来ることなら副作用の強い予防用のワクチンではなく、治療用の抗血清を投与した方が良い。成人男性である和希には、それを待つだけの時間も体力も残されていた。しかし、啓太はそう簡単にはいかなかった。
 最初にワクチンを摂取したとき、まだ幼かった身体は充分な抗体を作り出すことが出来なかった。そのためウィルスが体内で変異し、半永久的な休眠状態 ―― 不活性化 ―― してしまった。長期間、ウィルスと共生関係にあり、かつ未熟な抗体を持つ啓太に果たして抗血清が効くのか。和希はそれを懸念していた。その検査結果が漸く上がってきた。
 啓太の身体は抗血清に対して強いアレルギー反応を示した。つまり、啓太に抗血清は使えない。
(これではあのときと同じだ! 俺はまた何も出来ないのか!)
 和希は報告書をバシッと指で弾いた。寝た子を起こす様なことさえ起きなければ、今頃、啓太は俺の隣で笑っていた。それなのに――……
 そのとき、ふと和希の心に何かが引っ掛かった。成瀬の言葉が頭に浮かぶ。
『……MVP戦があっただろう。あの頃から、ハニーの体調は不安定になってきていた……』
 成瀬が異変を感じ、啓太の成績が上昇し始めた一ヶ月前。MVP戦。あの頃、何があった……いや、何をした……
「俺の……せい、か?」
 呆然と和希は呟いた。
(俺が寝た子を起こしたのか!? 俺が啓太を……抱いたから!)
 和希にとって、あの日は目眩(めくるめ)く陶酔感に満ちていた。胸に秘めていた想いを告げ、恋焦がれた啓太と漸く結ばれた。その歓びと感動は幾千、幾万の言葉を以ってしても永久に語り尽くせなかった。
 一方、啓太にとっては驚天動地の日だった。和希が学園の理事長であり、幼い頃に慕っていたかず兄であると知り、更には啓太自身さえ気づかない内に募らせていた和希への想いを一気に認識してしまった。そして、求め合うままに口唇を重ね、初めてその身に和希を受け入れた。まだ精神的にも肉体的にも未成熟な啓太に、それがどれほどの衝撃(ショック)だったか。客観的に考えれば直ぐわかりそうなことだった。今まで気づかなかったのは、自分のあまりにも強い想いに囚われていたから。そのために、俺は最も重大なことを見落としてしまった……!
「啓、太……」
 千々に乱れる心が和希の声を震わせた。
 上に立つ者は揺れ惑う姿を決して下に見せてはならない、と和希は常に心掛けてきた。その強固な意思を支えていたのが啓太への想いだった。あのとき、肌を許す啓太に対して純粋とはほど遠い衝動に突き動かされても、それは全く揺らがなかった。寧ろ、愛の一つの形であるとさえ思った。しかし、今、その結果を間近に突きつけられ、和希は自分が音を立てて崩壊してゆくのを感じた。
「……希様」
 呼ばれて、反射的に和希の顔が上がった。目の前にいる誰かが何か話している。ああ、俺の指示を待っているのか。そうだな……
 和希は口を開こうとした。
「……っ……!」
 バサバサッと報告書が滑り落ちた。
「和希様っ!!」
 石塚が叫んだ……が、深い絶望の淵に沈みゆく和希にその声は届かなかった。
(ごめん、啓太……ごめん……)
 ただそれだけを和希は心の中で繰り返していた。


2007.9.22
ヘタレな和希です。
これを乗り越えて真実の愛を手にして下さい。
結局、啓太を救えるのは和希だけなのよ~

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Café Grace
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