「どうだ、臣?」
「……駄目です。やはり物理的に完全に独立しています」
「そうか……」
 七条の後ろに立っていた西園寺はポツリと呟いた。七条はキーを叩くのをやめ、軽く目頭を押さえた。セーフティ・モードが発動されて以来、ずっとパソコンの画面に向き合っていたので目が酷く疲れていた。西園寺は労わる様に七条の肩を優しく撫でると、いつもの肘掛け椅子に腰を下ろした。
「それじゃあ、説明してもらおうか!」
 バンッと丹羽がテーブルを叩いた。普段なら、すかさず西園寺の厳しい声が飛ぶが、今は押し黙ったままだった。中嶋は丹羽のやや後方で腕を組んで立っていた。西園寺が静かに口を開く。
「これから話すことは限られた情報を私なりの推論で大幅に補ったものだ。だが、そう的は外れていないと思う。今回の件は簡単に言えば、生物危害(バイオハザード)だ。セーフティ・モードは私達を学園島から出さないために発動させた。万が一、汚染が拡散しても被害はここの者だけで済むからな」
「監視カメラに映っていたのは、やっぱり研究所の連中か」
 丹羽が苛々と呟いた。そこまでは凡その見当がついていた。知りたいのはその更に先、啓太と研究所の関係だった。
「そう考えるのが自然だろう。現に、研究所には臣でも侵入の糸口すら掴めない。外部から完全に隔離されている。洩れたウィルスがどの様な代物かはわからないが、その零号患者は間違いなく啓太だ」
「ちっ、あの状態を見れば嫌でもそうなるぜ」
「遠藤がここまでするのだから、恐らく並みのものではないだろう。極めて悪性が強いか、研究途中の有害遺伝子を持っているか……あるいは、その両方か」
「だが、そんなのに啓太はいつ感染したんだ? 研究所へは行ったことねえはずだ」
「かなり以前のことだろう。恐らく年単位で遡るはずだ」
「なぜ、そう思う?」
 中嶋が僅かに柳眉を上げた。その問いには七条が答えた。
「僕達は伊藤君のファイルを極一部ですが、見たことがあります……伊藤君が転校してくる前に」
「成程な」
「あのとき、なぜ、こんな個人情報が混じっているのか私は疑問に感じた。そして、例の情報漏洩の一件以降、啓太のファイルへの接続は完全に遮断された。啓太が過去に感染していたとすれば、総て辻褄が通る。あれはそのときの治療日誌、及びその後の経過観察記録だ」
「なら、まだ治ってなかったってのか?」
「ああ、完治しなかった……否、出来なかった。今回の手際の良さから察するに、遠藤は予めこの事態を想定していたのだろう。だが、隔離する前に啓太が倒れてしまった。そこで、他に感染者を出さないためにサーバー棟内に必要な機材を運び込んだ。あそこは機密性に優れているからウィルス拡散の危険が少なく、また情報面の取り扱いに関しても申し分ないからな」
「だとすると、そのウィルスは空気感染はしねえな。防護服の奴らなんて見てねえしな、中嶋」
「ああ、接触感染のみだろう……となると、まずいな」
「そうだ。間違いなく遠藤は感染している。奴にあとどれほどの時間が残されているかはわからないが、上に立つ者の不在は非常に問題だ。収集がつかなくなる」
「つまり、それまでの勝負ってことか」
 丹羽がパシッと拳を打った。西園寺は頷いた。
「先刻も言ったが、治療のことは遠藤に任せるしかない。今、私達がしなければならないのは奴がそれに集中出来る環境を整えることだ。学園内の様子はどうだ、丹羽?」
「最後まで残ってた連中も寮へ返したぜ。今頃は篠宮の説教を食らってるだろうな」
「明日もセーフティ・モードが解除されないと知ったら更に騒がしくなるな。そのときは、腕ずくで押さえ込め」
「珍しいな。郁ちゃんがそんなこと言うなんてよ」
「それだけ私にも余裕がないということだ。私達は既に啓太の血液、唾液、精液などの体液に触れた可能性のある者を調査している。尤も、それは向こうも行っているだろうが、学園内のことならば私達の方が情報が早い。現時点で身体の不調を訴えている者はいない。だが、潜伏期間がわからない以上、まだ安心は出来ない」
「篠宮なら何か知ってるかもしれねえな」
 丹羽が中嶋に言った。
「ああ、あいつは寮生の健康管理に気を配っているからな。話を聞いておいた方が良いな」
 西園寺が七条を振り向いた。
「臣、遠藤とはまだ連絡が取れないのか?」
「はい、携帯の電源は入っていますが、応答がありません。恐らくマナー・モードにしていて気づかないんでしょう」
「仕方ない。秘書に啓太の学園内での足跡調査はこちらで行うと伝えてくれ。そうすれば、奴の耳にも届くだろう」
「はい、郁」
 七条は携帯電話のボタンを押し始めた。四人は黙ってその指先を見つめた。どの顔にも疲労が濃い影を落としている。しかし、誰もそれを口には出さなかった。ただ、全員、同じことを考えていた。もう一度、啓太の笑顔が見たい。そのために自分に出来ることがあるなら、何でもしてやりたかった。

 気がつくと、和希は真っ白な世界にいた。身に沁みついた性で、まずは状況を把握する。どうやら夢を見ているらしかった。確かにこんな場所は現実にはあり得ないだろう。和希は薄闇の空を見上げて自嘲した。
(全く……俺はどこまでも自分勝手な奴だな。俺が欲望のままに抱いたせいで、今、啓太は死に瀕しているというのに……)
「ごめん、啓太……」
 うわ言の様に和希は呟いた。すると、背後から明るい声が聞こえた。
「何が?」
「……!?」
 振り向くと、そこには制服を着た啓太が立っていた。
「啓太っ!!」
 その迫力に啓太は微かに怯えた色彩(いろ)を浮かべた。しかし、和希はそれに気づかず、強引に啓太を自分の胸元へ引き寄せた。啓太……!
「あ、の……ちょっと……」
 啓太は苦しそうに身を捩った。
「ああ、ごめん、啓太」
 すぐさま和希は力を緩めた。啓太は和希をトンと突き放すと、少し間合いを取った。
「啓太……?」
「あの……貴方は、俺のこと知ってるみたいだから、こんなこと言うのは……その……気が引けるんだけど……俺、何も覚えてないんです。だから、まず最初に貴方の名前を教えて下さい。何か思い出すかもしれないから……」
「覚えてないって……」
 自分の夢なのに変わっているな、と和希は思った。それでも、啓太が教えてと言うのだから……
「良いよ。俺は鈴……遠藤和希。啓太は、いつも俺のことを『和希』って呼んでいたよ」
「……和希……和希……和希……」
 ぶつぶつ呟きながら、啓太はちょこんと首を傾げた。どこか幼いその仕草に和希は苦笑した。まるで昔の啓太を見ている様だった。
「和、希……かず、き……かず……兄……? かず兄!?」
「そうだよ、啓太」
 ふわりと和希は微笑んだ。
「わあ、かず兄、大きくなったね!」
 啓太はパッと笑顔になると、今度は自ら和希の胸の中に飛び込んだ。和希はふわふわと啓太の頭を撫でた。
「ああ、啓太もね」
「俺も? うん……そうかも。でも、俺、あれから半分寝てたからまだ実感ないんだ」
「あれから?」
「隠れん坊の後だよ……かず兄、忘れちゃったの?」
「いや、覚えているけれど……」
「ああ、何か少しずつ思い出してきた……かず兄、あれから暫くしたら朋子が生まれたんだよ……丸くて、ぷにぷにしてた。俺、赤ちゃん触るの初めてだったから、とっても緊張したんだ。えっと、それから……俺も学校へ行って、かず兄の様に勉強したよ。成績はね、中の上くらいだったかな。一生懸命やったけど、俺、半分ここで寝てたから……でも、その代わりに友達を作ったんだ、一杯! そうしたらね、かず兄……」
 嬉々として話す啓太を和希は複雑な気持ちで見つめた。
 記憶を語るにつれ、まるで成長する様に啓太から幼さが消えていった。あどけない笑顔は徐々に煌きを増し、やがて眩しいほどの光輝を放つ。どの瞬間の啓太も和希を魅了してやまなかった。しかし、それは同時に自らの犯した罪を突きつけられている気がした。いつしか和希は啓太から顔を背けていた……
「あの頃から、俺はかず兄が……和希が好きだったんだな」
 現在にまで記憶が追いついたのか、不意に啓太は話をやめた。そして、和希の頬を両手で挟むと、こちらを向かせた。和希を見つめる啓太の瞳に、先ほどまではなかった熱が籠もっている。その視線に居た堪れなくなった和希は避ける様に瞼を閉じた。
「啓太……ごめん……」
「先刻も謝ってたけど……一体、どうしたんだ、和希?」
「俺はいつも啓太を苦しめるばかりだから……」
「苦し、める……?」
 啓太の声が揺れた。細い身体が小さく震え出す。それは指先から和希へと伝わった。和希が目を開けると、そこには瞳にありありと恐怖を浮かべた啓太の姿があった。
「あ……俺……俺はサーバー棟で倒れて……なら、死んじゃうって言うのは……!」
「啓太、お前一人を死なせはしないから。そのときは……俺も一緒に逝く」
 和希は頬にある啓太の手を取ると、総ての想いを籠めて掌に口づけた。『鈴菱』の後継者としての責任など、最早、どうでも良かった。啓太のいない世界に未練はない。俺がいなくとも、どうせ世界は回ってゆく……
 しかし、啓太は弱々しく首を横に振った。
「……違う……違うんだ、和希……」
「啓太?」
「死ぬのは……俺じゃない」
「啓太、何を言って――……」
「和希! 死ぬのは俺じゃない! 和希だ!」
 突然、啓太は声を荒げた。必死な形相で和希の胸にしがみつく。
「和希は、あのときのワクチンを使ったんだろう!?」
「ああ、あれを基に抗血清を合成したんだ」
「それじゃ駄目だ! 俺の血から抗血清を作らないと駄目なんだ! 俺が、新しい宿主だから!」
「宿主!? なぜ、啓太がそれを知っているんだ?」
 その言葉を聞いて、漸く和希は疑問を感じ始めた。これは本当にただの夢なのだろうか。思えば、先刻から啓太は奇妙なことを口走っていた。寝てたから。半分ここで寝てたから……
「啓太、きちんと訳を説明してくれ。一体、啓太はあのウィルスの何を知っているんだ?」
「駄目だ、和希! もう時間がない! とにかく、和希は俺の血から新しい抗血清を作って! 早く!」
 啓太はドンと和希を突き飛ばした。すると、和希の背後の空間がピシッと縦に割れた。何かの力が和希を掴み、その中へと引きずり込む。和希は溺れる様に沈み始めた。
「……っ……! これ、は……啓太!」
「……急いで、和希……急いで……」
「啓、太っ!!」
 和希は必死になって腕を伸ばした。啓太が、啓太らしくない儚げな微笑を浮かべた。
「……向こうで……待ってて……」
「啓――……」
 総てが暗転する直前、最後に和希に見えたのは淡い光の中に一人佇む啓太の姿だった。


2007.11.2
和希と啓太の邂逅です、
夢の中ですが。
王様達もこれで漸く一息つけました。

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Café Grace
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