「……あいつら、こんな処で何やってんだ?」
 偶然、東屋の近くを通り掛かった丹羽は和希と啓太の姿を見つけて立ち止まった。二人はベンチに腰を下ろし、何やら深刻そうに話し込んでいる。
「ごめん、啓太……やはり聞いたことがないな」
「……和希が知らないんじゃね……」
「よう、啓太……どうした、そんな顔して?」
「あ……王様……」
 啓太は小さく微笑んだ。いつもより陰りのある表情。一緒にいる和希も少し困った顔をしていた。丹羽は二カッと破顔した。
「話してみろよ。俺で良ければ、力になるぜ」
「王様……」
 ウルウルと啓太の蒼い瞳が揺れた。これはただごとではないと丹羽は腹にグッと力を入れた。啓太がゆっくり口を開く。
「実はトノサマから――……」
「うっ!!」
 予期せぬ名前に、思わず、丹羽は心臓を掴んだ。ささっと素早く周囲に目を配る。身体は既に逃げの体勢に入っていた。そのあまりに滑稽な様子に啓太はクスクスと笑った。
「ここにはいませんよ、王様」
「何だ……脅かすなよ」
 ほっと丹羽は胸を撫で下ろした。啓太は話を続けた。
「それで、トノサマから聞いたんですけど――……」
「わ、わかったから、もうその名前は出すなっ!! 心臓に悪いっ!!」
「あっ、はい、あの……王様はGraceって猫、知ってますか?」
「ね、猫っっっ!!!」
 今にも失神しそうな丹羽に和希がうんざりした様に言った。
「王様、落ち着いて下さい。ここにはト……彼以外にあれはいません。これでは話が進みませんよ……全く」
「……はあ、はあ……何て恐ろしい話をしてたんだ、お前らは」
 丹羽は額を手の甲で拭った。はあ、と啓太は呟いた。
「……で、知ってますか?」
「い、いや……それが、一体、どうしたってんだ?」
「トノ……彼が言うには、あっ、俺は海野先生経由で聞いたんですけど、そのね……あれはこの世界の創造主たる方のペットで、管理者として総てを見通す眼を持っているそうです」
「総てを見通す眼……?」
「はい、そして、この学園のどこかに秘密の小部屋を作ったらしいんです。トノ……彼はそれを探しているそうです。それで、俺も本当にあるなら見てみたくて……」
「でも、そんな部屋はないんですよ。学園内のセキュリティはどこも完璧ですから」
 和希が啓太の説明を補足した。ふ~ん、と丹羽は小さく唸った。話の出処は胡散臭いが、その内容には興味をそそられた。
「啓太、他の奴にも訊いてみたのか?」
「いえ……でも、和希が知らないんじゃ……」
「そいつは総てを見通す眼を持ってるんだろう? だったら、他にも何か力があっても不思議じゃねえ。それで、その小部屋を隠してるんじゃねえか? だから、遠藤にもわからねえんだよ」
「そうか……そうですよね!」
 途端に啓太の表情が輝き出した。
「王様、俺、他の人にも訊いてみます。誰かが何か知ってるかもしれない。行こう、和希! あっ、見つけたら、一番に王様に知らせますから!」
「おう! 楽しみにしてるぜ!」
 丹羽は片手を上げて走り去る二人を見送った。背後から中嶋の声が聞こえた。
「お前は行かないのか?」
「まさか……」
 ぶるぶると丹羽は身体を震わせた。冗談はやめてくれ、と心底、思う。あれを追い掛けるなんて正気の沙汰じゃねえ……
 丹羽は振り返って中嶋に尋ねた。
「いつからそこにいたんだ?」
「最初からな。お前が失神しそうな様は、なかなか見物だった」
「……鬼畜眼鏡」
「何か言ったか、丹羽?」
「別に~」
「まあ良い。だが、面白い話だ。Grace、か……」
「お前、何か知ってるのか?」
「さあな……」
 中嶋は啓太達の消えた方向を見つめ、密かに微笑を深めた。

 和希と啓太が最初に向かったのは会計室だった。オカルト関連に詳しい七条なら何か知っているかもしれない。しかし、話を聞き終わった七条は残念そうに首を振った。
「申し訳ありませんが、僕も聞いたことがありません。総てを見通す眼についてなら多少の知識はありますが、Graceというのは……」
「総てを見通す眼って何ですか?」
 啓太が尋ねた。すると、西園寺が簡潔に答えた。
「第三の目のことだ、啓太」
「額にある目のことですよ」
 七条は自分の額を指差した。啓太の反応が鈍いので、もう少し補足する。
「仏像などにあり、総ての力の根源とされているものです。神の力、とでも言いましょうか」
「Graceにそんな力が……」
 素直に驚く啓太に半信半疑の和希が言った。
「トノサマの言葉を信じるなら、そうだな」
「トノサマは利口な猫ですから憶測でものは言いませんよ」
 七条が窘める様に和希を見つめた。その視線に薄ら寒いものを感じた和希はポリポリと頬を掻いた。
「すまない、啓太、私達ではあまり役には立てなかったな」
 残念そうに西園寺が話を纏めた。ふわりと啓太は微笑んだ。
「そんなことありません。西園寺さん達は俺の話を頭から否定せず、ちゃんと聞いてくれたじゃないですか。それだけでも、俺、とても嬉しかったです」
「そうか」
 西園寺の口唇にも柔らかい微笑が浮かんだ。それは自他共に厳しい西園寺が滅多に見せない極上の表情だった。

 会計室を出た二人が廊下を歩いていると、正面からトノサマを抱いた海野が歩いて来た。
「あっ、伊藤君! 良かった。探してたんだよ、僕」
「俺をですか?」
 啓太は小首を傾げた。うん、と海野は頷いた。
「トノサマがね、話したいことがあるんだって。伊藤君も秘密の小部屋を探してるんでしょう?」
「はい、でも、まだ何も見つからなくて……」
「トノサマがね、Graceって人見知りが物凄~く激しいって言ってるよ。それって、手掛かりにならないかな?」
「どう思う、和希?」
「う~ん、臆病な猫らしいのはわかるけれど……」
「臆病か……ねえ、トノサマ、猫が隠れるのってどんな処?」
 海野はトノサマを覗き込んだ。ふにゃふにゃとトノサマが鳴くのを海野が翻訳する。
「暗くて狭い処? えっ!? ダンボールの中? あの匂いが堪らないの。ふ~ん、僕には良くわからないな」
「ダンボールならクラブ棟に一杯あるな」
 ポツリと和希が呟いた。啓太が、さっと和希を見上げた。
「もしかしたら、その中かもしれない。調べてみよう、和希」
「あ……ああ」
(啓太……幾つあるのか、わかって言っているのか?)
 そうは思っても、惚れた弱みで和希も付き合うことにした。
「海野先生、俺達、クラブ棟の方へ行ってみます」
「二人とも頑張ってね」
「はい、有難うございます。トノサマも有難う」
 啓太の声にトノサマはふさふさとした尻尾を軽く振った。それは、頑張れよ、と言っている様に見えた。

 文化部の部室がある棟へ向かう途中、篠宮と岩井に会った。
「伊藤に遠藤、何をそんなに急いでいる?」
「あっ、篠宮さん、岩井さん」
 ペコッと啓太は頭を下げた。岩井が囁く様に尋ねた。
「……どうしたんだ、啓太?」
「実は俺達……」
 啓太は二人に簡潔に訳を話した。
「……ダンボールか。確かにここには一杯あるが……」
 言い淀む岩井の後を篠宮が引き継いだ。
「伊藤、それは無理だ」
「えっ!? どうしてですか?」
「一体、何個あると思う? 百や、二百ではきかないぞ。その総てを調べるなど不可能だ」
「そんな……」
 ガックリと啓太は肩を落とした。岩井が篠宮に哀しげな瞳を送る。うっ、と篠宮はたじろいだ。
「大丈夫だよ、啓太」
 和希が強く優しく啓太の肩を掴んだ。
「啓太が見つけたいと思っているんだろう? なら、必ず見つかるよ。啓太の運の良さは天性のものだからな。つまり、それだけその創造主に愛されているということだよ。啓太が強く望むなら、叶わないことはない。自分を信じるんだ、啓太」
「……そう、だな。わかった。俺、絶対に諦めない。有難う、和希」
「啓太……!」
 二人の気分が急速に盛り上がった。篠宮と岩井の存在を忘れて見つめ合う。自然と微笑が零れた。そのとき、誰かがこちらに向かって猛然と廊下を爆走して来た。
「ハニー、こんな処で会えるなんて! ああ、やっぱり僕達は運命の糸で結ばれてるんだね!」
「成瀬、廊下は走るな」
 篠宮の注意など、どこ吹く風で成瀬は啓太に抱きついた。すかさず和希が奪い返す。
「成瀬さん、啓太に付き纏うのはやめて下さい!」
「君こそ、僕のハニーに手を出さないでくれないか?」
「啓太が困っているのが見てわからないんですか!」
 折角の良い雰囲気に水を差され、和希は本気で怒っていた。赤くなっていた啓太がハッと我に返った。
「あ、あの成瀬さん!」
「何だい、ハニー?」
 成瀬は輝く様な笑顔を向けた。和希がまた不満そうに口を開こうとしたので、啓太は強引にGraceと秘密の小部屋のことを切り出した。話を聞き終えた成瀬は暫く考え、やがて首を横に振った。
「ごめんね、ハニー」
「いえ、成瀬さんのせいじゃありませんから……」
「でもね、僕は思うんだけど……部屋なら、どこかに鍵もあるんじゃないかな」
「鍵、ですか……?」
「それさえ見つかれば、後は自ずとわかる気がするんだ。多分、それに関する手掛かりがどこかにあるはずだよ。噂話とかに紛れてね。この学園で、そういう情報に最も詳しいのは――……」
「俊介だ!」
 啓太は叫んだ。すると、成瀬の後ろから滝がひょこっと顔を出した。
「何や? 呼んだか、啓太?」
「わっ、どこから現れたんだよ、俊介!?」
「たった今、来たとこや。寮長さんにお届けもんや」
「俺に?」
 篠宮は滝から受け取った手紙を一読すると、岩井に言った。
「卓人、お前の画材が寮の方に届いたそうだ。大量にあるから、早く部屋に引き取ってくれとのことだ」
「……わかった」
「伊藤、遠藤、すまない。俺達は力になれそうもない」
「いえ、そんなことありません。篠宮さん達が止めてくれなかったら、俺、本当にダンボールの中を探してました。助かりました」
「そうか」
 嬉しそうに篠宮は呟いた。岩井も儚い微笑を浮かべた。そして、二人は寮へと戻って行った。
「何の話をしてたんや?」
 早速、滝が鼻を突っ込んできた。
「あっ、うん、俊介に訊きたいことがあるんだ」
 これまでの経緯を啓太はざっと説明した。
「Grace? う~ん、どっかで見た様な……」
「本当!?」
 初めての感触に啓太は色めき立った。滝がポンッと手を叩いた。
「思い出したで、啓太、副会長さんや!」
「えっ!? 中嶋さん?」
「そうや。それがまたけったいな話でな。今朝、起きたら、俺の机の上に食券と一緒に副会長さん宛ての手紙が置いてあったんや。部屋には鍵が掛かってるのに不思議な話やろ? でも、頼まれたんやから、きっちり仕事はしたさ。その封筒に書いてあったんがGraceや。間違いない!」
「有難う、俊介! 成瀬さんも有難うございます!」
「ハニーの力になれたなら僕も嬉しいよ」
「行こう、和希」
「ああ」
 啓太は二人に手を振ると、和希と共に生徒会室へと向かった。

「失礼します」
 ドアを開けると、そこには見慣れた光景が広がっていた。書類で山積みになった机に丹羽が突っ伏し、中嶋はカタカタとキーを叩いている。丹羽が生き返った様に頭を上げた。
「おっ、啓太、とうとう見つけたのか?」
「いえ、まだなんです。でも、中嶋さんに訊きたいことがあって」
「中嶋に?」
「はい」
 啓太は頷いた。中嶋の手が止まった。
「案外、早かったな」
「あっ、やっぱり知ってるんですね?」
「ああ」
 中嶋は口の端を僅かに吊り上げた。教えて下さい、と啓太が詰め寄った。
「さて、どうするかな……」
 静かに中嶋は足を組んだ。
 何かを秘めた眼差しが、ゆっくりと啓太の身体を舐める様に滑り始めた。目元から頬を撫ぜ、口唇を掠める。そのまま、首筋のきめ細やかな肌を堪能しつつ、白く浮き出た鎖骨へと沈んでいった。すると、その視線は更に深みを増して――……
「中嶋さん!」
 和希が、そこまでとばかりに啓太を後ろに庇った。同時に全身から強烈に威圧する。
(啓太に手を出したら、只では済みませんよ!)
 中嶋も負けじと応戦した。
(ふっ、面白い)
 しかし、啓太は二人の無言の争いに全く気づいてなかった。相変わらず、中嶋に静かな秋波を瞳で送り続けている。教えて下さい、中嶋さん……
 そんな三人を見て、丹羽はガシガシと頭を掻いた。
(啓太、お前には警戒心ってもんがねえのか? 全く……遠藤じゃねえが、危なっかしくて見てらんねえな)
「おい、中嶋、いい加減にしろよ」
「……仕方ない」
 中嶋はおもむろに内ポケットから一通の白い封筒を取り出した。
「それは……?」
「Graceからの手紙だ。読んでみろ」
「はい!」
 早速、啓太は中を開いた。和希と丹羽も、それぞれ啓太の横から手紙を覗き込む。そこには綺麗な手で一言……

『Profile』を見て下さい。  By Grace


「何だ、こりゃ?」
「和希、何のことだろう?」
「さあ……」
 三人は一様に首を捻った。すると、煙草に火を点けながら、中嶋が言った。
「……胡蝶の夢という故事を知っているか、啓太? 荘子は蝶になった夢を見て、本当は蝶が自分になった夢を見ているのではないかと疑った。夢と現実の境は判然としないからな。この世界が夢ではないと誰に証明出来る? もしかしたら、世界は夢の数だけ存在するのかもしれない。それが俗に言う、平行世界(パラレル・ワールド)だ。俺が思うに、『Profile』とはそうしたものの中のどれかであり、これはそこにいる者達に宛てたメッセージだ」
「そんな世界が本当にあるんですか、中嶋さん?」
「さあな。夢の住人である俺達には知りようがない。だが、そう考えると面白いだろう? 案外、どこかの世界では、啓太……お前は俺のものかもしれない」
「えっ!?」
「そんなことがある訳ないだろう、啓太!」
 突然、ガシッと和希が啓太の腕を掴んだ。鋭く中嶋を睨みつける。
「俺達、もう失礼します!」
「ちょっ……和希!」
 和希は啓太を引きずる様に外へと連れ出した。そのまま、サーバー棟へ直行する。理事長室に入るや否や、啓太の身体をギュッとかき抱いた。
「啓太は誰にも渡さない!」
「……っ……!」
 その腕の強さに、一瞬、啓太は息が詰まった。しかし、和希は力を緩めない。
「俺は、ずっと啓太が好きだった! だから、どんなことがあっても、絶対に啓太を渡さない! 啓太が好きなんだ!」
「……うん」
 啓太は小さく頷いた。和希の気持ちは良くわかった。俺も同じだから……
「和希が、好きだよ。小さい頃も、今も……これから先も、ずっと……俺は和希のことが好きだ。だから、絶対、和希からは離れない。本当に、和希が好きだから……」
「啓太……」
 不安に凝り固まっていた和希は漸く啓太の身体を解放した。はあ、と啓太は深く息を吐いた。和希が心配そうに言った。
「ごめん。苦しかったか?」
「うん、ちょっとね。でも、それだけ和希が俺のことを想ってるとわかって嬉しかった」
「啓太……」
 和希は啓太の蒼い瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。そこに映っているのは自分一人……和希は慈しむ様に優しく最愛の者を腕の中に包み込んだ。すると、啓太がクスクスと笑った。
「啓太?」
「和希……俺、見つけたよ、秘密の小部屋」
「えっ!? どこに?」
「ここに」
 啓太は和希を強く抱き締めた。その意味を悟って和希はふわりと微笑を浮かべた。
「なら、俺も見つけたよ、啓太」
「和希のはどこ?」
「ここだよ。啓太の瞳の中」
 和希の温かい手が啓太の頬にそっと触れた。啓太は首を傾げて、その掌に軽くもたれた。
「どこかにあるGraceの秘密の小部屋もこんな処なんだろうな。温かくて自分が一番安らげる場所……」
「そうだな」
「……和希、俺、もう探すのやめるよ」
「啓太がそれで良いなら」
「うん、こんなの誰にも教えたくない。いつまでも、俺だけのものにしておきたんだ」
「俺も啓太の瞳に映るのは永遠に俺だけにしたい……啓太を、愛しているから」
「俺も愛してるよ、和希……」
 自然に二人の口唇が重なった。どこかで満足そうに鳴く猫の声が聞こえた気がした……


2007.10.5
1000H記念作品です。
本当の秘密の小部屋は本編にヒントが書いてあるので、
皆さんで探して下さい。
簡単にわかると思います。

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Café Grace
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