「いつの間にか、もう秋も深まっていたんだな」
 鮮やかに赤く色づいた木の葉を見上げながら、和希は呟いた。
 学園島には四季折々の木々が植えられており、今はまさに紅葉(こうよう)が見頃を迎えていた。しかし、最近の和希はとても忙しく、落ち着いて景色を眺める暇さえなかった。今日も朝からずっと理事長室に缶詰になっている。そんな上司を心配した石塚がスケジュールを調整してこの時間を作り出してくれた。
「うん、やっぱり秋はこうでないと。俺、万葉の時代に生まれなくて良かったよ」
 啓太は手を後ろに組んで和希の少し先を歩いていたが、その声を聞きつけて振り返った。
 かつて紅葉(こうよう)は黄葉と表記されていた。それは黄色を尊ぶ中国に強く影響されていたためで、紅葉(こうよう)となったのは平安時代……女流文化が花開き、より女性的な赤が愛でられる様になってからだと古典で習ったのを啓太は思い出していた。
「そうだな。黄色も綺麗だけど、この方が華やかだな」
 和希は片膝をつき、落ちていた葉を拾った。そっと傍の啓太を仰ぐ。赤い制服に身を包んだ啓太は紅蓮の木々に勝るとも劣らない艶(あで)やかな姿をしていた。綺麗だ、と和希は思った。そんな和希の胸の内を感じたのか、啓太が恥ずかしそうに右手を差し出した。ほら……
「有難う、啓太」
 その手に掴まり、和希は立ち上がった。膝の土を軽く払う。二人は再び歩き始めた。
 静かに時間が流れていった。
 会話はなかった。時折、目が合うと、互いにふわりと微笑むだけ。ただそれだけのことで、和希は疲れて殺伐としていた心が温かいもので満たされてゆくのを感じた。
「……紅葉(もみじ)狩りをしてるみたいだな」
 不意に啓太がポツリと呟いた。
 和希はまだ持っていた紅葉(もみじ)をじっと見つめた。表と裏。総ての事柄にそれは存在する。一体、人はどちらを求めているのか……
「紅葉(もみじ)狩り、か……ねえ、啓太、紅葉(もみじ)について面白い話があるんだけど、聞きたい?」
「うん」
「昔、戸隠に紅葉(もみじ)という人々を苦しめる鬼女(きじょ)がいたんだ。その目に余る振舞いは都にまで伝わり、終には平 維茂(たいらのこれもち)に討伐されてしまった。これが能や歌舞伎の『紅葉(もみじ)狩』の元になった紅葉(もみじ)伝説と言われるものだけど、彼女は鬼無里では全く違う人物として伝えられているんだ。紅葉(もみじ)は琴の名手で、人々に学問を教える心の優しい女性だったらしい。だから、そこでは敬意を籠めて紅葉(もみじ)を鬼女(きじょ)ではなく、貴女(きじょ)と呼ぶそうだよ」
「へえ~、どうして同じ人なのにそんなに見方が違うんだろう?」
「……事実は一つでも」
 和希は啓太の目前に紅葉(もみじ)を掲げた。
「そこに人の目が入ると、簡単に変わってしまうんだ。ほら、こんなふうに……」
 紅葉(もみじ)の軸を指先でクルクルと回す。和希の表情が少し曇った。
「人は誰も事実を捉えることは出来ない。それを認識しようとした瞬間、そこには多分に主観が入ってしまうからね。紅葉(もみじ)の人となりが異なるのはそのせいだよ。だから、啓太も啓太の好きな様に思えば良いんだ。鬼女(きじょ)と貴女(きじょ)。どちらも同じ紅葉(もみじ)に変わりはないから」
「……和希、その紅葉(もみじ)、俺にくれる?」
「良いよ」
 啓太は和希から紅葉(もみじ)を貰った。その両面をしげしげと眺める。
「これ、赤くて綺麗だよな」
「ああ、それは葉に蓄積したブドウ糖やショ糖が紫外線で――……」
「違うよ、和希、これは和希がくれたから綺麗なんだ。確かに赤くて綺麗だけど、それなら他にも一杯あるだろう? だけど、和希がくれたのはこれだよ。だから、綺麗なんだ。そして、これがこれであるためには表と裏、総てが必要なんだよ。どちらか一方だけでは足りない。片方だけでは駄目なんだ」
「啓太、何が言いたいんだ?」
 和希はやんわりと尋ねた。
 啓太は物事の本質を直感的に一気に捉えるが、和希は過程を緻密に組み立てるタイプだった。今の様に話が飛躍すると、少々ついていけない。う~ん、と啓太は首を捻った。顎に人差し指を掛け、頭の中で説明するための言葉を必死に探す。どこか幼いその表情は、まるで猫の瞳の様にクルクルと変わり、啓太の内面の努力を如実に表していた。やがて何とか考えが纏まったのか、啓太は和希をすっと見上げた。
「和希は紅葉(もみじ)を自分に準えてるんだろう? 前に和希は言ったよね。遠藤和希でも、かず兄でも、理事長でも俺の好きな様に思えば良いって。でも、それは間違ってるよ。どれかなんて選べない。だって、その総てをひっくるめたのが『和希』だろう? そして、俺はそんな『和希』が好きなんだ」
「……啓太」
 その言葉は、今の和希が最も欲していたものだった。和希はどの自分も真剣に偽りなくやってきた。しかし、周囲は往々にして『和希』ではなく『鈴菱』であることを求める。そうした期待に応えて仕事をこなすにつれ、徐々にひび割れてゆく自分。それが恐ろしくなったとき、和希はいつも啓太を思い出した。啓太の曇りなき瞳は、常に真っ直ぐ『和希』へと向けられていた。そのことにどれだけ救われたか……
(啓太、お前が傍にいてくれて本当に良かった)
 和希は啓太をキュッと抱き締めた。和希、と啓太が呼んだ。
「何、啓太?」
「疲れたら、少しは休めよ?」
「ああ、そうする。でも、今はもう暫く啓太とここを散歩していたいな」
「わかった」
 啓太はコクンと頷いた。
 燃える様な紅葉の下、恋人達は互いにしっかりと手を繋いだ。ふわりと微笑が零れる。そして、また共に歩き出した。


2007.11.30
物思う秋です。
なので、憂鬱な知性を目指してみました。
副題は『哲学の道』だったりして。

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Café Grace
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