暗い談話室の中で、六人は小さな輪になって座っていた。丹羽、中嶋、西園寺、七条、和希、そして……啓太。態々テーブルを取り払い、明かりを落とし、今は季節外れの怪談の真っ最中だった。これ以上、寒くしなくても良いじゃないですか、という啓太の抗議は皆にいとも簡単に却下されてしまった。そもそも、これは和希が惚気混じりに、怖がる啓太が可愛いんですよ、と言ったのを聞いて計画されたものだった。他にも何名か親しい者に声を掛けたが、篠宮は風邪を引いた岩井の看病のために欠席、成瀬と滝はそれぞれ大会で不在だった。今は西園寺の話が終わりを迎えようとしている。
「……漸く橋を渡り切って……恐る恐る振り返った男の腕には、女の手首だけがしっかりと掴まっていたそうだ」
「……っ!!」
 啓太は声にならない悲鳴を上げてギュッと目を瞑った。小さく震える手で隣にいる和希の袖を掴む。蒼ざめ脅えた啓太は、まるで打ち捨てられた子犬の様だった。
 大丈夫だよ、と和希が優しく肩を抱き寄せた。その顔には自分だけが啓太を護り、支えられることへの歓びがまた滲み出ていた。お陰で、他の四人は終始、当てられっ放しだった。
 この年齢詐称の理事長が長年の想い人をいかに愛しているかは良くわかった。しかし、彼らも啓太のことは憎からず思っていた。啓太の可愛い様を見れたのは満足だが、こう何度も二人の仲を見せつけられては面白くない。結局、美味しいのは自分一人だけ……いや、こうなることを見越して話を振ったに違いない、と確信した。
「も、もう部屋に戻ろう、和希」
 涙目になった啓太が和希に縋りついた。すると、七条が言った。
「おや、僕の話は聞いてくれないんですか、伊藤君?」
「だって、これ以上は俺……」
「では、これで最後にしましょうか。時間も時間ですしね。大丈夫。僕の話はそんなに怖くありませんから」
「……」
(絶対、嘘だ)
 啓太と同じく誰もが心の中でそう思った。
 オカルト好きの七条が取りなのは偶然だとしても、BL学園(ベル・リバティ・スクール)の生徒がここで手を抜くなどあり得なかった。恐らく最後を飾るに相応しい、選りすぐりの恐怖を持って来るに違いない。皆の期待は否が応でも高まった……啓太以外は。七条は静かに語り出した。
「総てはある不可解な死から始まりました。彼はその事件を調べていく内に、ある一本のビデオ・テープに辿り着きます。それを見た者は一週間以内に死ぬという恐ろしい呪いの掛かったビデオ・テープに……」
 何だ、と丹羽が首を捻った。
(期待してたわりには大したことねえな……っていうか、これ、パクリじゃねえのか?)
 中嶋はすっと眼鏡を押し上げ、嘲笑を浮かべた。
(所詮は犬の話か)
 西園寺が腑に落ちないという顔で七条を見つめた。
(確かに和製ホラーを一躍、有名にした映画だが、臣があの程度で満足するはずがない。一体、何を考えている?)
 和希は腕にしがみつく啓太の頭をふわふわと撫ぜた。
(啓太は見たことないよな、絶対……ああ、こんなに怖がって。本当に可愛いな)
 啓太は、ただひたすら祈っていた。
(早く終わりますように。早く終わりますように。早く終わりますように……)
 その願いが叶ったのか、七条の話は急速に最高潮(クライマックス)に達した。白くて長い指が、すっと啓太を指す。
「そのとき、ブラウン管の中から出て来たんです……さにゃ子が」
「……っ……!」
 啓太が小さな叫び声を上げた。啓太の真後ろには大画面のテレビがあった。今にもそこからさにゃ子が這い出て来そうで、啓太の身体がガタガタと震え始めた。そんな啓太に七条はなおも追い討ちをかける。
「長い黒髪と二本の尻尾、白い耳をしたさにゃ子が、ほら……もう直ぐそこまで来ています。にゃ~お」
「うわっっっ……!!!」
 顔面蒼白になった丹羽が椅子を蹴って立ち上がった。そのとき、視界の隅で何かが動いた。ふと下を見ると、ふさふさした毛に覆われたトノサマが丹羽の足に絡みついていた。
「……!」
 さっと七条が耳を塞いだ。
 次の瞬間、談話室に断末魔の大声が響き渡った。丹羽は豪快な音を立てて、バタンッと床に倒れた。
 ……数十秒後。辺りに再び元の静けさが訪れた。西園寺が呆れた様に口を開いた。
「臣……何だ、そのさにゃ子というのは?」
「おや、可愛くて良い名前だと思いますが?」
 七条は胡散臭い微笑を浮かべて答えた。
「最初から、これを狙っていたのか?」
「単なる作り話では現実性(リアリティ)に欠けますから。幸い、トノサマも協力してくれると言ってくれましたし」
「お陰で、俺はいい迷惑だ」
 中嶋が冷たく目を眇めた。すると、七条が能面の様な顔で言った。
「では、放っておいたら良いでしょう?」
「そうしたいのは山々だが、一応、生徒会にも体面というものがある」
「体面を重んじるなら、日頃からもっと襟を正すべきではないですか?」
「充分、やっている。貴様の狭量な尺度では計れないだけだ」
「そこまでにしておけ。啓太が脅えている」
 西園寺が二人を止めた。
 見ると、啓太は恐怖で完全に竦み上がっていた。和希が何とか宥めようとしているが、一向に立ち直る気配がない。最早、呼吸すら危うくなっていた。すみません、と七条は素直に謝った。
「伊藤君がそんなに怖がりだとは思ってもいませんでした。遠藤君から怖がる伊藤君が可愛いと聞いたので、ちょっと悪戯が過ぎてしまいましたね」
「……!」
 啓太の肩がピクッと動いた。和希が、まずいという顔をした。
「今の話……本当か、和希?」
「あ~、その……はい」
 ポリポリと和希は頬を掻いた。
「……俺が怪談、苦手なの知ってて楽しんでたのか?」
「それは絶対にない!」
 強い口調で和希はきっぱりと否定した。しかし、七条の言葉があっさり和希にとどめを刺した。
「その割には随分と嬉しそうでしたね、遠藤君」
「……!」
 バッと啓太が顔を上げ、和希を食い入る様に見つめた。そして――……
「和希の馬鹿!」
 そう叫ぶや否や、啓太は和希を突き飛ばして談話室から走り去って行った。
「け、啓太っ!!」
 ガタンッと和希は椅子を蹴って立ち上がると、慌ててその後を追った。はあ、と西園寺が短く嘆息する。
「あれがこの学園の理事長とはな。全く……嘆かわしい」
 しかし、これで少しは気が晴れたのか、西園寺は妙に清々しい顔をしていた。

 薄暗い廊下を、和希は啓太の部屋へ向かって疾走した。確かに調子に乗り過ぎた感は否めないが、啓太があれほど怒るとは思ってもいなかった。とにかく、一刻も早く啓太を捕まえないと……
「……?」
 ロビーに差し掛かったとき、入口のドアが僅かに開いているのに気がついた。大方、点呼を過ぎてから帰寮した生徒の誰かが閉め忘れたのだろう。仕方ないな、と和希はドアに向かった。すると、外に啓太がポツンと一人立っているのが見えた。
「啓太!?」
「あ……和希」
 啓太はチラッとこちらへ目を走らせたが、また直ぐ空を見上げてしまった。取り敢えず、和希は啓太の傍へ行った。
「何をやっているんだ、こんな処で?」
「……雪が、降りそうだなって」
「雪?」
 確かにどんよりとした雲が天を覆いつくしていた。気温もかなり下がっている。
「あ……」
 啓太が声を上げた。上から、ふわりふわりと白いものが落ちてくる。降ってきたな、と和希が言うと、啓太はコクンと頷いた。
 和希は啓太の横顔をじっと見つめた。
「ごめん、啓太」
「……」
「まだ怒っているのか?」
「……怒ってないよ。ただ……」
「ただ……何?」
「和希は強くてしっかりしてるけど、俺は駄目だなって思ってたんだ。あんな話も怖くて聞いてられない。俺は……和希みたいにはなれないよ」
 痛々しい微笑が啓太の顔に浮かんだ。
「……!」
 一瞬、和希は言葉を失った。啓太を傷つけてしまったと気づき、激しい後悔が胸を苛む。何て馬鹿なことをしたんだ、俺は……!
 和希は啓太の身体を強く抱き締めた。
「啓太が駄目な訳ないだろう。誰にでも苦手なものの一つや二つはある。それを知りながら、調子に乗ってしまった俺が悪いんだ」
「……良いよ、もう」
 啓太は小さく呟いた。
「いや、良くない。啓太には良いところが一杯ある。王様達も皆、それを知っているよ。気づいてないのは啓太だけだ」
「買い被り過ぎだよ、和希……和希は何でも知ってるから、だから、相手の良いところを見つけられる余裕があるんだ」
「余裕なんてないよ。確かに俺は啓太より色々知ってはいる、少しばかり年上だからね。だけど、それは時間が経てば、いずれ啓太も得る知識だ。もし、今、啓太の瞳に俺がそんなふうに映っているなら、それこそ買い被りだよ」
「……」
 無言で啓太は和希から離れた。
 和希が本気でそう言っているのはわかっていた。しかし、和希の周囲にいる者達――たとえば、秘書の石塚――はどう思っているだろう。世界有数の大企業の御曹司たる和希の傍に自分がいることを。まだまだ子供で、何の取柄もない俺なんかが……
 いつしか……二人の周りにはしんしんと雪が降っていた。不意に和希が言った。
「そうだ、啓太、雪は鉱物なんだよ」
「鉱物? それって宝石とかのことじゃないのか?」
「鉱物学では、鉱物とは天然に産する無機質の結晶構造をもつ物質と定義されている。雪は水の結晶だろう? だから、鉱物の一種に分類されるんだ」
「へえ~、鉱物って何となく硬いイメージがあるけどな」
 啓太は手で雪を捉えようとした。
「ああ……俺と同じだよ」
「えっ!?」
 思いも寄らない和希の言葉に、ピタッと啓太の動きが止まった。和希は真っ直ぐ啓太を見つめた。
「俺が強く見えるのは、いつも傍に啓太がいるからだよ。でも、啓太がいなくなったら、俺はきっとこの雪の様に消えてしまう。だから、ずっと俺の傍にいて欲しい。愛しているんだ、啓太」
「……」
 腕を下ろし、啓太は俯いた。それは俺も同じだけど……
「俺にはまだ知らなければいけないことが一杯ある。和希の様になれるまで、どのくらい掛かるかわからないよ」
「俺の様になる必要はないよ。啓太は、ただ啓太になれば良い。そのためなら、俺は幾らでも待つよ。大体、あの夏の日から何年待っていたと思う? 俺は啓太を待つのは慣れているんだ」
「和希……」
 啓太は和希を見上げた。すると、和希はすっと右手を差し出した。
「啓太の人生における春はまだ始まったばかりだろう? 焦ることはない。今はそれを楽しめば良いんだ。そして、少しずつ階段を上っておいで。俺は、いつまでも待っているから」
「……うん」
 微かに頷くと、啓太は和希の手を取り、その胸にもたれ掛かった。自分を包み込む腕から伝わる温もりが、そのまま和希の心の様に思える。
「さあ、もう随分と遅くなったから、そろそろ部屋に戻ろう、啓太?」
「……あと少しだけ。多分、これが最後の雪だから。駄目?」
 強請る様に啓太が和希を見つめた。ふわりと和希は微笑んだ。
「俺が啓太の願いを断る訳がないだろう? 良いよ。啓太が風邪を引かない様に俺がずっとこうしているから」
「有難う、和希……大好き」
「俺も好きだよ、啓太」
 降り積もる雪が世界を白く変えてゆく、まるで寄り添う二人を祝福するかの様に。そして、季節は音もなく春へと移り変わっていった。


2008.2.22
猫又・さにゃ子でコメディを目指していたのに、
気がつけば、
大人な和希と少し背伸びをしたい啓太の
甘々な話になっていました。
一体、どうして……?

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Café Grace
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