生徒会室に足を踏み入れた啓太は見たこともない大量の書類に圧倒されてしまった。机という机はどこも山積みで、溢れたものがソファーの上にまで置いてある。
「一体……これは何ですか、王様!?」
「……驚いたか?」
  部屋の中央に立っていた丹羽がげんなりと振り返った。
「もうじき健康診断があるんだが、内は生徒数が少ねえから保健委員なんて便利な奴もいねえ。だから、そのデータ管理も総て俺達の仕事になるって訳だ」
「えっ!?」
  啓太が狼狽した表情を浮かべた。はあ、と丹羽は盛大なため息をついた。
「全く……嫌んなるぜ。診断結果は今後の大会などへ提出する際の資料としても使われるから、確認はいつも二重に行うんだ。必ずサバ読む奴がいるからな! 運動やってる連中には体格は重要な要素だから気持ちはわからなくもねえが、毎年、バレてんのにまだやる神経がわからねえ!」
「馬鹿を理解しようとしても無駄だ。諦めろ」
  自分の席に座っていた中嶋が冷たく言った。丹羽はガックリと肩を落とした。あの、と啓太が尋ねた。
「健康診断って春にするんじゃないんですか? それに、俺、転校するときにやりましたよ?」
「内は毎年、秋に実施している。春は大会や遠征で纏まった人数が集まらないからな」
「ああ、啓太は二回やることになるのか。まあ、別に問題ねえだろう? 痛い訳でもねえし」
「……はい……」
  啓太は小さく呟いた。丹羽がポンポンと頭を叩いた。
「そんなに気にすることじゃねえよ。まあ、仕事はあれだがよ、俺なんか今から楽しみでしょうがねえ。今年こそ絶対、あのくそ親父の身長を抜いてやる!」
「無理だな。俺の見たところ、まだあと――……」
「わ~っ!! 言うんじゃねえ、ヒデッ!!」
「そうか。早めに知っておいた方がお前も来年に向けて対策が取れると思ったがな」
  クッと中嶋が口の端を上げた。鬼、と丹羽は密かに文句をぶつけた……が、直ぐに立ち直ると、啓太に目を戻した。
「そういえば、啓太はあまり変わんねえな。前は郁ちゃんと殆ど同じくらいだったよな? でも、今はちょっと見上げてねえか?」
「あ……はい……」
  啓太の目が落ちつかなげに宙を泳いだ。すると、中嶋が静かに指摘した。
「お前ほどの年齢が最も成長する時期だがな」
「……っ!!」
  その瞬間、啓太の顔にはっきりと恐怖が浮かんだ。じりじりと後ずさる。
「あ、あの……俺……そうだ! もう一度、和希の処に行かないと。ちょっと言い忘れたことがあるんです。すいません。今日はこれで失礼します。明日は研究所に行かないといけないので、えっと……その……明後日……明後日、また来ます。本当にすいません。それじゃあ……」
  啓太は脱兎の如くその場から逃げ出した。丹羽が呆れた眼差しで中嶋を振り返った。
「中嶋、もっと他に言い方はねえのかよ。あれじゃ、啓太が可哀相だろう?」
「曖昧に訊くお前が悪い」
「啓太は三ヶ月前、大きな病気をしたんだ。まだ本調子じゃねえかもしれねえだろう?」
「だが、それを考慮したとしても妙だ」
  中嶋がじっと丹羽を見上げた。
「……まあ、な」
  丹羽はガシガシと頭を掻いた。
「啓太は成長してねえ。いや、あれは成長が止まってるな。間違いねえ」
「ああ……そして、啓太自身もそれを知っている」
  そう呟くと、中嶋は軽く眼鏡を押し上げた。

  啓太は寮の部屋に駆け込むと、後ろ手にバタンとドアを閉めた。幸い、まだ外は明るかったので誰も気づかなかったが、身体が淡く発光していた。勢いのまま、ベッドに突っ伏す。
(ど、どうしよう……王様達に気づかれた!)
  皆から不審がられる前に、自分から話すつもりだった。特に和希には……話さなければいけなかった。しかし、今があまりに幸せだから、それを失うかもしれないのが怖くて啓太はずっと言い出せずにいた。
  丹羽や中嶋と一緒に生徒会の仕事をして、時折、西園寺や七条と楽しくお茶を飲む。篠宮や岩井は何かと啓太を気に掛けてくれたし、滝はお調子者だが、話していると元気が出た。そして、成瀬は最初からいつも変わらぬ優しさで啓太を包み込んでくれた。その想いには決して応えられないのに、あの翠色の瞳は囁く。それでも僕は構わない、と……
  啓太は仰向けになり、両手を見つめた。
「やっぱり気持ち悪いって思うよな……絶対、気持ち悪いよ……」
「そんなことはないよ」
「……!」
  その声に啓太はハッと起き上がった。ドアの処に背広姿の和希が立っている。
「和希……どうして……?」
「啓太が生徒会室を飛び出した後、王様が俺に電話をくれたんだ。謝っていたよ。啓太を傷つけたかもしれないから。そんなつもりはなかった。悪かったって」
  和希はベッドに腰を下ろした。啓太は首を横に振った。
「王様達は何も悪くないよ。俺が……俺がずっと言わなかったから……だから……」
「成長が止まったこと?」
「……!」
  啓太の顔がさっと蒼ざめた。和希はクスッと笑うと、啓太の髪を優しく撫でた。
「気づいていたよ、そんなことには。俺はいつも啓太を見ているからな。まあ、そう結論づけたのは最近だけど。初めは単に成長が鈍化していると思っていた。でも、あれからもう三ヶ月だろう? 幾ら色々あったからとはいえ、全く変化がないのはおかしい。そのとき、思い出したんだ……啓太の言葉を」
『……啓太はまだ成長期だろう? 精神的にも肉体的にも今は微妙な時期だ……』
『……それはないよ……』
  啓太は小さく俯いた。和希は話を続けた。
「それでわかったんだ。あの言葉には二つの意味があったんだろう、啓太? 俺の想いが啓太の負担にはならないということと……成長期ではないということ。まだ啓太は成長が止まる年齢ではない。すると、考えられる理由は覚醒の副作用だ。恐らく宿主の安定した状態を保つために不安定要因の一つである成長が止まったんだろう。一種の生存本能だな。もしかしたら、啓太が直ぐに覚醒しなかったのはそれが原因だったのかもしれない。あのときはまだあまりに幼かったから。ある程度、成長しないと覚醒は起きないのかもしれないな。そうだとすると――……」
「和希」
  言葉を遮る様に啓太は和希の腕に手を掛けた。和希が優しく微笑んだ。
「前に言っただろう、啓太? 辛いことは無理に言わなくて良い。俺は何も訊かないよ。知りたいことの答えは、総て自分で見つけるから」
(啓太が俺に何をしたのかも……)
「……うん……」
  そう呟くと、啓太は和希の首に抱きついた。嬉しいはずなのに……どこか寂しかった。そんな表情を和希には見せたくなかった。
  和希は啓太の背に腕を回した。
「愛しているよ、啓太」
「俺も愛してるよ、和希……」
(和希は俺のために頑張ってるのに、和希はこんなにも俺の傍にいるのに……どうしてだろう。前よりも和希を遠く感じる……)
「王様達には俺から話しておくよ。Kウィルスのことまでは言えないけれど、啓太が何かのウィルスに感染したことは知っているから納得してくれると思うよ。それから、西園寺さん達にも伝えておいた方が良いな。恐らくもう気づいている。大丈夫。啓太は何も心配しなくて良いから。総て俺に任せて?」
「うん……有難う、和希……」
  啓太は和希を見上げて精一杯の微笑を浮かべた。そのぎこちなさに和希は直ぐ気づいたが、それを口にしようとした瞬間、内ポケットの中で携帯電話が震えた。反射的にそれを取ろうとした手を寸でのところで止める。
「行って、和希……まだ仕事が残ってるんだろう?」
「ああ、でも……」
「俺なら大丈夫だよ。少し動揺してるだけだから。暫く部屋で大人しくしてるよ」
「ごめん、啓太……約束通り、今日は早く帰るから」
  愛している、と囁いて和希は駆け戻って行った。
「……」
  その姿を無言で見送っていた啓太は、おもむろにベッドの上に落ちている小さな橙色(オレンジ)の花を拾い上げた。金木犀は中庭にしか咲いていない。サーバー棟から来たのなら、和希がそこを通るはずがなかった。
(やっぱり今日も研究所に行ったんだ……)
  啓太はキュッと掌を握り締めた……胸の奥に揺れる様な鈍い痛みを感じながら。


2008.9.5
有能だからこそ陥ってしまった無意識の傲慢です。
こうして、和希は徐々に黒くなる。
でも、根がヘタレだから……

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Café Grace
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