あの日から一週間……一昨日まで、和希はサーバー棟と研究所、本社の間を忙しく行き来していた。事の顛末と判明した啓太の宿主としての力を報告し、すぐさま和希自身の再検査を行った。その結果、啓太の言葉が総て事実だと判明した。これで『鈴菱』は無闇に啓太に手を出すことは出来なくなった。次期当主である和希の生命が懸かっているから。しかし、それは今後の予定を少しばかり変更したに過ぎなかった。
 啓太の力は巧く使えば『鈴菱』に莫大な富と利益をもたらす。それは人心を操るに等しく、『鈴菱』の繁栄をより磐石なものとするだろう。つまり、宿主が今以って重要なのは些かも変わりなかった。ただ、今回の件で『鈴菱』は幾つかの点を学び、改めた。
 まずは未熟な宿主に過度のストレスを与えない様にした。警護体制を三ヶ月前の状態にまで緩め、一旦、研究速度を落とす。そして、宿主の精神的な成長に合わせて研究を行うことにした。
 また、宿主の安定のために宿主が信頼する者の協力を得ることにした。まだ一介の生徒に過ぎない丹羽達では問題がない訳ではないが、既に仮眠室での話を聞かれてしまった以上、選択の余地はなかった。
『……ならば、いっそ内に取り込む方が役に立つ……』
 男は短くそう言った。
 和希はその企業論理に基づく考え方は気に入らなかったが、丹羽達に話すこと自体に異論はなかった。啓太は不安定な状態に陥っても、丹羽達の言葉には耳を傾けた。本能を脅かされて生じた怒りを和らげるのは理性の許しのみ。だから、啓太に訴える力を持つ者は一人でも多いに越したことはなかった。そこで、学園島に戻るなり、丹羽達を理事長室に呼んで啓太とKウィルスのことを総て話した。
 話を聞き終えた丹羽達は最初は驚いたものの、直ぐにまた啓太を受け入れた。
『……ウィルスなんか俺の知ったことじゃねえ……』
『……全くだ……』
『……それで啓太の魅力が損なわれることはない……』
『……伊藤君は伊藤君ですから……』
 四人のその言葉を聞いて和希は嬉しい反面、憂鬱にもなった。それは和希といえども、気を抜けば啓太の恋人という地位を脅かされかねないことを暗示していた。一難去ってまた一難、と和希は深いため息をついた。
 それから、和希は研究所からの検査結果報告書に目を通した。
 加賀見が採取した啓太の血液は、位相差がある――暴走し掛けている――ときの宿主の状態を知る唯一の貴重な試料だった。それをみすみす無駄には出来ない、と和希はすぐさま生物ラボへと回した。しかし、これまでの数値と殆ど差は出なかった。恐らく啓太が安定したら、元に戻ってしまったのだろう。
『……やはり一筋縄ではいかないな……』
『……言動が矛盾してはりますな、和希はん……』
『……そんなことはない。ただ俺は積極的に研究を推し進めることはもうしないだけだ……』
『……なら、今後も研究は続けはると……』
『……ああ、同化の詳細は未だに全く解明されていない。現時点では異構造を内包する啓太の体細胞は細胞死(アポトーシス)もガン化もしていないが、それが今後も続く保証はどこにもない。日々啓太は死の危険に曝されている。だから、俺はこの研究を絶対にやめはしない。啓太のために。そして、何よりも俺自身のために……』
 それを聞いた加賀見はとても小さく笑った。
 啓太が目を醒ましたのは今から六日前……夢での言葉通り、翌日の早朝だった。
 その日、仮眠室のベッドに横たわる啓太に和希はずっと付き添っていた。やがて瞼がふるりと震えて静かに蒼穹の瞳が開いた。おはよう、啓太。あ……おはよう、和希。啓太は恥ずかしそうに微笑むと、ゆっくり身を起こした。
 啓太は少し緊張しているのか、組んだ指先をもじもじと動かしていた。色々あったので、正直、どういう態度を取れば良のかわからなかった。それに、最近の和希は直ぐ仕事に行ってしまったので、こうして二人静かに過ごすのは久しぶりだった。取り敢えず、頭に浮かんだことを小声で訊いてみる。
『……和希、仕事は……?』
『……午後から本社へ行く予定だけど、それまでは啓太の傍にいるよ……』
 それを聞いた途端、一気に啓太の表情が華やいだ。
 その後の二人は、まるで隙間を埋め合わせるかの様に昼までずっと寄り添って過ごした。そうしているだけで心が温かくなり、幸せだった。幾百の言葉を以ってしても、互いの存在以上に想いを誓えるものはない。今回のことで、和希と啓太はそれが良くわかった。だから、石塚が仮眠室に現れたときは本当に残念に思った。
『……ああ、もうそんな時間か……啓太、午後のことなんだけど……』
『……あっ、俺、五限から登校しようと思うんだ。王様達に迷惑を掛けたから、なるべく早く謝りに行きたいんだ……』
『……ごめん、啓太、気持ちはわかるけれど、啓太には午後から専門医による性格検査とカウンセリングを受けて貰う……』
『……カウンセリング? あっ、そっか……また西園寺さんにした様なことしたら困るもんな……』
『……別に啓太を疑っている訳ではないんだ。でも、俺は理事長として生徒達に対して責任がある。だから、啓太はもう大丈夫だとわかっていても、医師がきちんと状態を確認するまでは啓太の登校を認めることは出来ないんだ。ごめん、啓太……』
『……謝ることないよ、和希……俺、ちゃんとわかってるから……』
 啓太はふわりと微笑んだ。そして、今日、漸くその結果が出た……
 和希が理事長室のドアを開けると、啓太はいつものソファではなく、和希の大きな椅子に座って窓の外を眺めていた。物思いに耽っているのか、和希には全く気づかない。
「……」
 眼下に広がる学園島の豊かな自然と元気良く動き回る生徒達。十年前も、ここからは同じ景色が見えただろう。そして、十年後も……きっと同じ景色が見える。ここから見える景色はいつも変わらない……が、そんなことはあり得なかった。自然は季節と共に移ろう。春に芽吹いた緑は夏を謳歌し、秋に色づき、冬に散る。あの生徒達もやがては卒業し、いつか、どこかでその生を終えるだろう。
(変わらないものなんて何もない。世界には生と同じ数だけ死が満ちてる……俺以外は)
 死が一切の消滅を意味するなら、宿主に記憶を連綿と受け継がれてゆく自分はそれを超越してしまった。もうあの中へは入れない。俺の時間は止まってしまったから……ここから見える景色の様に。
「何を考えているんだ、啓太?」
 そっと近寄って来た和希が優しく髪に口づけた。啓太は窓を見つめたまま、低く呟いた。
「ここから見える景色はずっと変わらないんだろうなって……」
「そうだな。俺が着任して以来、いつも同じ景色だ」
 和希も窓の外へ瞳を流した。本当に、まるで大きな風景画の様だ……
「啓太、俺はこの景色をずっと護りたいと思っている……ここは俺の大切な学園だから」
「うん……わかってる」
「でも、もし、啓太がどちらかを選べと言うなら――……」
 しかし、その先は口唇に軽く押し当てられた指によって止められてしまった。立ち上がった啓太が和希をじっと見つめている。
「俺はそんなこと言わないよ。そんなこと考えてたんじゃない。ただ、俺……見つけたんだ。俺にしか出来ないこと……」
 その顔がとても大人びていたので和希はドキッとした。いつから、啓太はこんな表情をする様になったんだろう……
「和希……俺は見続ける。人を、世界を、総てを……これからも、ずっと」
「……そうか」
 和希は口元にある啓太の手を取った。誓う様に掌に口づける。
「なら、俺が啓太に見せてあげる。人の世の表も、裏も。それには『鈴菱』は格好の位置にあるからな……愛している、啓太」
「うん」
 ふわりと花が綻ぶ様な微笑を啓太は浮かべた。そこには相手を受け入れるだけではない、自らの意思に裏打ちされた強い自信が満ちていた。その輝きに見惚れながら、和希は密かに嬉しくなった。少し大きくなったね、啓太……
 ゆっくりと和希は顔を近づけていった。啓太の瞳が静かに伏せられる……が、何を思ったのか、突然、啓太は和希の胸を押しやった。
「ま、待って、和希!」
「何、啓太?」
 吐息だけで和希は尋ねた。もう二人の口唇は直ぐ触れられそうな距離にある。啓太の頬がほんのりと染まった。
「も、もう診断結果が出たんだろう? 俺、ずっと待ってたんだから、それだけ先に教えてよ」
「……後で良いだろう、そんなこと」
 和希が少し首を傾げたので咄嗟に啓太は背を逸らした。和希が不満そうに眉を寄せる。
「啓太」
「だって……」
「啓太」
「……っ……!」
 ピクッと啓太が震えた。
 熱く掠れた夜の声に首筋を撫でられ、身体の奥が勝手に反応してしまった。悪戯っぽく口の端を上げる和希を、真っ赤になった啓太が上目遣いで睨みつけた。
「……態とやっただろう、今」
「ごめん」
 クスッと笑って和希は啓太の腰を抱き寄せた。しかし、啓太は完全に臍を曲げ、プイッと顔を横に向けてしまった。参った、と和希の指が頬を掻いた。
(結構、啓太は頑固だからな)
 仕方なく和希は無防備な耳に優しい声を吹き込んだ。
「明日から、また一緒に行こう」
「……!」
 さっと啓太が和希を見上げた。
「本当、和希?」
「ああ……だから、もう良いだろう、啓太……」
 艶やかな大人の微笑を浮かべながら、和希は啓太の顎を捉えた。啓太がまだ何か言いたそうに口を開くも、恋人の口唇がそれを許さなかった。やがて素直に瞳を閉じた啓太に和希が甘く囁く。
「愛しているよ、啓太……」
「……俺も……愛してるよ、和希……」
 意識の底まで溶かされそうな口づけに幾重にも想いが重なる。そして、二人は同じ時間を刻み始めた。



2009.2.6
『永遠の愛 12』をUP後に後日談を分割、
改めて挿話を少し追加しました。
これで少し読み易くなっと思います。
和希パパも一言だけ登場です。

r  m

Café Grace
inserted by FC2 system