「何だ?」
  丹羽は生徒会室の入口でピタッと立ち止まった。
  啓太の机に山盛りの苺が入った特大の籠が置いてあった。脱走前までこんなものはなかった……が、中嶋に捕まって渋々戻って来たら、なぜかそこは苺の楽園になっていた。啓太は自分の椅子に座って頬杖をつき、蕩けそうな表情でそれを眺めている。その瞳は既にどこか遠くの世界へ旅立っていた。
  丹羽の後ろで中嶋がむせ返る様な甘い匂いに冷たく目を眇めた。
「啓太、それは何だ?」
「あ……和希からです……この間のお礼にって……」
  恍惚と啓太が答えると、中嶋が短く舌打ちした。丹羽がガシガシと頭を掻いた。
「礼って言われてもな……凄い量だな」
「ああ、邪魔なだけだ」
  中嶋は自分の席でさっさと仕事を始めた。啓太はその声が聞こえないのか、うっとり苺に魅入っている。
「ああ、幸せです、俺……こんなに苺が一杯……」
「まあ、啓太はそうかもな」
(あいつ、本当は啓太を喜ばせたいだけじゃねえのか。まっ、どうでも良いか、そんなことは)
  丹羽は大きな苺を一つ摘み上げると、パクッと口の中に放り込んだ。
「あ……」
「おっ、旨いな」
「……俺の……苺……」
  唖然とする啓太に気づかず、丹羽はまた苺を取ろうとした。
「啓太も食ってみろよ。なかなか旨――……」
「だ、駄目!」
  突然、啓太が苺の籠にしがみついた。駄々を捏ねる様に何度も首を横に振る。
「これ、全部、啓太の苺! 取っちゃ駄目!」
「啓太!?」
「あっ……す、すいません。つい苺に目が眩んで……」
  啓太は恥ずかしそうに手を離した……が、その瞳はまだ名残惜しそうに苺を見つめていた。そのとき、ドアが開いて滝が部屋に入って来た。
「副会長さん、お届けもん……おっ、苺やないか。どうしたんや、啓太、これ?」
「あ……うん、理事長からの差し入れだよ」
「へえ~、案外、気が利くやないか」
  滝が苺に手を伸ばした。あっ、と啓太は小さな悲鳴を上げた。
「うん? 何か言ったか、啓太?」
「ううん」
「なら、良いんやけど」
  もぐもぐと苺を食べる滝を啓太はずっと凝視していた。すると、開き放しのドアから突風の様に成瀬が現れた。キュッと啓太を抱き締める。
「ハニー、今日はまた一段と素敵だね」
「な、成瀬さん……今日はって先刻も会ったじゃないですか」
「それはもう過去の話だよ。何せ一時間もハニーに会えなかったんだから。僕にとっては永遠に等しかったよ。本当に……また会えて嬉しいよ、ハニー」
「成瀬さん……」
  ほんのり頬を染め、啓太は小さく瞳を伏せた。
  胸が痛かった。成瀬の想いには決して応えられないのに未だにその手を離せない自分は酷く卑怯だ、とこういうとき思う。この人の優しさに俺はいつまで甘えてるんだろう。甘えてられるんだろう。こんなことはやめないといけない。もう俺はそんなに子供ではないから……
  憂う啓太を見て、成瀬は困った様に微笑んだ。そして、話題を変えようと苺の方へ目を向けた。
「それにしても、凄い数の苺だね」
「あ……これは理事長から王様達へのプレゼントです。いつも有難うって」
「ふ~ん……そうだ、ハニー! 僕がこの苺を使ってナポレオン・パイを作ってあげる。コアントローで香りづけしたカスタードとこの苺をサクサクのパイ生地で挟んで、表面にもたっぷりと苺を盛りつけるんだ。ねっ、美味しそうだろう?」
「でも、成瀬さんは練習があるんじゃ……」
「大丈夫。今日は部内の事務を片づけるために早めに切り上げたんだ。それも、この書類をここに提出すれば終わり。夕食のデザートは期待してね、ハニー、僕が腕に縒りを掛けて作るから」
「はい、有難うございます、成瀬さん」
  魅惑のパイに啓太は再び元気を取り戻した。成瀬がクスッと笑った。
「なら、苺を貰ってくね。何か入れ物はないかな」
「えっ!?」
  思わず、啓太は耳を疑った。持ってくの、俺の苺……
「ほな、由紀彦、これに入れたら良い」
  給湯室から現れた滝が大きなボウルを差し出した。気が利くね、俊介。そう言って成瀬はそれを受け取ると、丁寧に苺を入れ始めた。滝もついでに自分の分をパカパカと取ってゆく。
(あっ……あっ……俺の苺が……)
  啓太の口唇がわなわなと震えた。
  苺が目の前から一つ消える度に、啓太は身を切りつけられる気がした。この苺はずっと啓太の机にあり、ずっと啓太が見守っていた。だから、この苺は総て啓太のものであり、また啓太のものでなければならない。そう、苺は総て俺のもの! それは天地が逆転しても変わらない偉大(おおい)なる真実だった……啓太の中では。
「うん、このくらいで足りるかな」
  成瀬が満足そうに呟いた。明るく啓太に微笑む。
「じゃあね、ハニー、また後でね」
  小さく投げキスを送ると、成瀬は慌しく生徒会室から出て行った。
「あっ、成瀬さん、待っ――……」
  呼び止めようとした啓太の頭を丹羽がポンポンと叩いた。
「良かったじゃねえか、啓太」
  また何個か苺を取ると、丹羽はドカッと自分の席に座った。啓太は胸の痛みに堪える様にきつく拳を握り締めた。二人とも、俺の苺を勝手に……!
「ほな、俺も行くわ。またな、啓太」
  滝も苺を持って帰ろうとした。
  キッと啓太は滝を睨みつけた。すぐさま口を開こうとする……が、その前に中嶋が書類から顔を上げた。
「滝、誰がお前にその苺をやると言った?」
「由紀彦にはやったやないか」
「食べるためなら幾らでもやる。だが、それで商売するとなれば話は別だ」
「うっ……!」
  図星を突かれ、滝に動揺が走った。
「……と言いたいところだが、今回は大目に見てやっても良い。但し、その籠を寮へ運ぶならな」
「……っ!!」
  その言葉に啓太は愕然とした。あまりの衝撃(ショック)に声が出ない。俺の苺……全部、持ってくの……
  涙で揺れる視界の向こうで滝が叫んだ。
「それ、只働きやないか!」
「文句があるのか?」
  中嶋が冷たく一瞥すると、たちまち滝は小さくなった。いえ、別に……
  どう足掻いても中嶋には勝てないと今までの経験から骨身に沁みていた。今回だけやで。そう呟くと、滝は諦めて苺の籠に手を伸ばした。その瞬間、啓太の理性が砕け散った……!
「王様と中嶋さんの馬鹿~っ!!」
  バンッとドアを開けると、啓太は弾丸の様に生徒会室を飛び出して行った。

「伊藤君、何があったんですか?」
  会計室に駆け込んで来た啓太を見るなり、七条が微かに表情を強張らせた。
  瞳に一杯の涙を溜めた啓太は七条に何か言おうとして小さな歓声を上げた。七条の後ろのテーブルに苺の入った大きな籠が置いてある。ああ、ここにあった、俺の苺……!
  その視線に西園寺は直ぐ気がついた。
「遠藤からだ。さあ、まずは座れ、啓太。ここに臣が取り分けた苺がある。これを食べて少し気持ちを落ち着かせると良い。話を聞くのはそれからだ」
「はい……有難うございます、西園寺さん」
  啓太は涙を拭うと、いつものソファに腰を下ろした。七条がそっと紅茶を差し出す。
「有難うございます、七条さん」
  ふわっと啓太は微笑んだ。そして、うっとりと苺の籠へ瞳を流して……固まった。七条が苺の籠を持ち上げようとしていた……!
「では、郁、後はお願いします」
「ああ、啓太のことは任せておけ。臣は早くそれを寮へ運んでくれ。部屋中、甘くて堪えられない」
  西園寺が綺麗な顔を嫌そうに顰めた。
  途端にバッと啓太が立ち上がった。小さな拳を握り締め、涙目で二人を睨みつける。全身から怒りにも似た哀しみが溢れ出していた。
「西園寺さん達は違うと思ったのに……二人とも、馬鹿~っ!!」
  バンッとドアを開けると、啓太は弾丸の様に会計室を飛び出して行った。

  夕方、和希は上機嫌で生徒会室のドアをノックした。日頃の感謝の意も籠めて啓太の好きな苺を贈ったが、喜んで貰えただろうか……
「失礼します」
  しかし、そんな和希を迎えたのは憔悴し切った顔の丹羽と氷の微笑を浮かべた中嶋だった。
「よく来たな、遠藤」
「……?」
  予想と違う二人の表情に密かに和希は戸惑った。中嶋が瞳で啓太の椅子を指す。ここに来たら手伝わされるのは毎度のことなので、和希は素直に腰を下ろした。中嶋がポンポンと目の前に書類を積み上げてゆく。
「これは明日までに理事会に提出するものだ。必要な資料は適当に自分で探せ」
「あ……はい」
  和希は小さく頷いた。中嶋が席に戻ったので丹羽へ目を向けると、ファイルの山越しに恨みに満ちた鋭い視線とぶつかった。
「あんなもの寄越しやがって……遠藤、やっぱりお前はいつか必ず俺が殴る」
「えっ!? それはどういう――……」
「黙って集中しろ」
  和希の言葉はピシャリと中嶋に封じ込められた。仕方なく和希は追求を諦め、与えられた仕事を片づけることにした。まあ、これが終わる頃には啓太も戻って来るだろう。そうすれば、総てわかる……
  一時間後、最後の書類を受け取った中嶋は無愛想に礼を言った。
「ご苦労」
「啓太はどこに行ったんですか?」
  和希が硬い声で尋ねた。こんな時間になっても戻らないのは、ただ事ではない。啓太の身に何かあったのかもしれない。
「さあな。恐らく会計室だろう」
「そうですか」
  くるりと背を向けた和希に中嶋が凍った声を浴びせる。
「遠藤、苺の礼はまた改めてさせて貰う……必ず、な」
「……わかりました」
  和希は生徒会室から出て行った。

  ……コン、コン、コン。
  会計室のドアをノックすると、七条がいつもの張り付いた微笑を浮かべて和希を出迎えた。
「ようこそ、遠藤君、お待ちしていました」
「……」
  またか、と和希は密かに嘆息して室内を見回した。啓太がいない。
「七条さん、啓太はどこですか?」
  しかし、七条はそれを見事に無視して西園寺へ瞳を流した。
「郁、漸く遠藤君がいらしてくれましたよ」
  立ち上がった西園寺が一歩……優雅に前へ進み出た。
「大層なものを頂き、本来ならこちらから電話するのが礼儀だが、多忙な貴方を煩わせては申し訳ないと思い、遠慮した。どうか気を悪くしないで貰いたい」
「……」
  和希は慇懃無礼な西園寺達の態度に微かな苛立ちを覚えた。
  確かに会計室にも苺を贈った。西園寺は甘いものが嫌いで、七条一人では食べ切れないとわかっていたが、下手に物品を贈るよりは遥かに良いと思った。生徒会と合同で苺パーティでも開けば皆で楽しめる。何より啓太が喜ぶだろう。しかし、生徒会室でも会計室でも明らかに和希は歓迎されなかった。苺を贈ったことを暗に批難されている気さえする。さすがにここまでされる覚えはなかった。
「いい加減にして下さい。王様達もそうでした。一体、俺が何をしたんですか?」
  だろうな、と西園寺は自嘲気味な微笑を浮かべた。そして、素っ気無く答えた。
「知りたければ、啓太に聞くと良い。恐らくもう寮へ帰っている」
  それを聞くや否や、和希はさっさと踵を返した。すると、背後から西園寺が声を掛けた。
「待て、遠藤……これを持って行け」
「……?」
  和希は小さく首を捻った。
  それは真紅のリボンで綺麗にラッピングされた一粒の苺だった。有難うございます。訳がわからないまま、和希はそれを受け取った。そして、会計室を出た。すぐさま鳥の様に校舎を駆け抜け、正門を通り過ぎ、寮への最短経路を辿る。見慣れた玄関から寮内へ入ると、真っ直ぐ啓太の部屋へ向かった。少し乱暴にドアを叩く。
「啓太? そこにいるのか、啓太!?」
  僅かばかり耳を澄ました……が、反応がない。不安に駆られた和希はすぐさまマスター・キーを取り出し、強引に室内に踏み込んだ。すると、ベッドの中央に啓太が一人……ポツンと片膝を抱えて座っていた。
「啓太、いたなら返事くら……っ!!」
  突然、顔に枕が飛んできた。
「和希の馬鹿!」
  啓太は別の枕を取り、再び投げつけようと大きく振り被った。慌てて駆け寄った和希がその手を掴んだ。
「放せよ、和希! 俺の気持ちを散々弄んで! 和希の大馬鹿野郎!」
  真っ赤に泣き腫らした目で啓太はキッと和希を睨んだ。
「弄んだ!? 一体、それはどういう意味だ! きちんと訳を説明してくれ、啓太!」
  思わず、和希の声に力が籠もった。啓太の心を弄んだ覚えは一度もない! それは天地神明に誓って事実だった。啓太は暫く無言で和希を凝視し、それから、クスンと小さく鼻を鳴らした。
「……苺が減ってくんだ」
「えっ!?」
「和希が贈った苺だよ。俺、あんなに沢山の苺を見たの初めてで、嬉しくて、ずっと眺めてたんだ。なのに、王様が皆にあげちゃうんだ! それが正しいってことはわかってる。でも、俺の目の前で、どんどん苺が減ってくんだ! 俺の苺なのに! それから、中嶋さんが俊介に俺の苺を寮へ運べって! そんなの、俺、もう堪えられなくって会計室へ行ったんだ。そうしたら、そこにも俺の苺があって今度は西園寺さんが七条さんに同じこと……酷いよ、和希! 俺に何度もあんなシーン見せるなんて! 俺が苺好きなの、和希、知ってるくせに! 和希の馬鹿!」
  感極まった啓太はポロポロと泣き出した。ああ、と和希は心の中で天を仰いだ。
  漸く全貌が見えた。
  姿形がどう変わろうと、やはり啓太は啓太だった。苺への執着は昔から並々ならぬものがある。恐らく丹羽達は啓太に言われたのだろう……馬鹿~っと。啓太を憎からず思っている四人には相当な衝撃(ショック)だったに違いない。自分に非はないとわかってはいても、割り切れない気持ちが心に残る。現に今、和希自身がそうだから。
(俺はその憤りをぶつけられたのか)
「ごめん、啓太、そんなつもりはなかったんだ。ただ俺は皆で食べたら美味しいだろうと思ったんだ」
「確かにそうだけど……苺は総て俺のもの!」
  啓太は手の甲で涙を拭いながら、きっぱりと明言した。
  和希は小さく頬を掻いた。そろそろ啓太には分別を取り戻して貰わないといけないが、さて……どうしたものか、と考えてしまった。苺に眩んだ啓太の目を醒まさせるのは容易ではない。そのとき、先刻、西園寺から貰った苺のことを思い出した。ポケットからそれを取り出すと、途端に啓太の表情が変わった。
「和希、その苺……!」
「ああ、啓太へのプレゼント……と言っても、貰い物だけどな」
  啓太の広げた両の掌の上に、和希はそっと苺を置いた。
「……ううん、和希が俺にくれることに意味があるんだ」
  ふわりと啓太が微笑んだ。
「沢山の苺より、俺は和希がくれるこの一粒の方がずっと嬉しい」
  啓太の瞳に徐々に理知の光が戻って来た。啓太は少し背伸びをすると、和希に小さく口づけた。
「有難う、和希……大好き」
「啓太……!」
  和希は啓太を強く抱き締めた。クスクスと啓太が笑った。
「今日の夕食は皆で苺パーティだね」
「ああ、楽しみだな」
「うん! あっ、でも、俺、その前にちょっと厨房へ行ってくる! 成瀬さんが俺のためにパイを作ってるんだ! 様子を見てくる!」
「えっ!?」
  虚を突かれた和希の腕を啓太は素早く振り解くと、元気良く部屋から飛び出した……たっぷりと苺を使った麗しのナポレオン・パイを目指して。啓太、と伸ばした和希の手が虚しく宙を切った。
(俺からの一粒の方が嬉しいって……あの言葉はどこへ行ったんだ、啓太!)
「……」
  はあ、と室内に大きなため息が響いた。
  和希への愛と苺への想い……啓太の中では、一体、どちらが重いのだろう。勿論、比べることは無意味だが、それでも恋人として気になってしまうのは仕方がない。それから暫くの間、和希はその問題について一人静かに静かに悩むことになった……


2009.2.6
時間軸設定が『永遠の愛』後になっています。
こき使われる和希を目指したのですが、
なぜか周囲を振り回す啓太になっています。
副題は『苺と啓太』かな。

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Café Grace
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