エレベーターの扉が開き、サーバー棟の廊下に啓太の明るい声が響き渡った。
「……それで間に合わなくなってデータごと持ってくよう言われたんだ。プリント・アウトはこっちでやれって」
「全く……最近、あの人達は啓太をメッセンジャーか何かと勘違いしていないか?」
「でも、そのお陰で、こうして和希の処へ来れるから」
 数時間振りの再会に、啓太は嬉しそうに和希を見上げた。まあな、と和希は頬を掻いた。二人並んで理事長室へと向かう。
「ところで、啓太……先刻、石塚と何をしていたんだ?」
「えっ!?」
 コクンと啓太は首を傾げた。
 地下のサーバー・ルームから戻る途中で一階の管理室に立ち寄った和希は、玄関の硝子戸越しに啓太が石塚と立ち話をしているのに気がついた。背広姿で表へ出れば誰に目撃されるかわからないので、最初はその場で啓太が来るのを大人しく待とうと思った。しかし、石塚が啓太に近づくのを見た瞬間、足が勝手に外へ向かってしまった。直ぐに啓太を呼び寄せたものの、胸の奥がざわざわして落ち着かない。石塚が何をしたのか気になって仕方がなかった。
 子供の様な独占欲を押し隠しながら、和希は重厚なドアを開けて啓太を先に室内へ通した。啓太はいつものソファにポスンと腰を下ろした。
「う~ん、別に何もしてないよ。ただちょっと話してただけで……あっ、髪についた花を取って貰った」
 確かこの辺りだよ、と啓太は前髪の部分を指差した。はあ、と和希は密かにため息をついた。全く……無防備にも程がある。
 あのとき、啓太は頬をほんのり赤く染め、恍惚と石塚を見つめていた。出来ればそんな表情を自分以外の者の前でして欲しくなかった。それが人の瞳にどれほど魅力的に映るのか。心にどんな欲望をかき立てるのか、啓太は全く理解していない。更に悪いことに、恐らく啓太はそのことに永遠に気がつかないだろう。
(まあ、それでこそ啓太かもしれないが……)
 物言いたげな和希の視線に啓太が小さく瞬いた。
「何、和希?」
「いや、別に。ただ、幸せだなと思って」
「……和希……」
 ふと石塚の言葉を思い出す。
『……素敵な恋人を手に入れたとき、これに勝る歓びはありません……』
「うん、俺も」
 啓太も笑顔でそれに同意した。和希が、すっと手を出した。
「啓太、データを貸して。それを見終わったら、一緒に帰ろう。丁度切りも良いから」
「うん……あっ、でも、まだプリント・アウトしないと」
「石塚に頼むから大丈夫だよ」
「和希、それ、石塚さんの仕事じゃないだろう?」
 じと~っと啓太は和希を睨んだ。和希は穏やかに微笑んだ。
「だけど、明日は理事会だから、俺が石塚にこき使われるんだ。始まるまでに、あれを読んでおいて下さい。これに目を通して下さい、と色々持ってくるからな。なら、今日くらいは良いだろう? それとも、啓太は俺といるのは嫌? まだ俺に仕事をして欲しい?」
「そんなこと……」
 もごもごと啓太は口籠もった。
 本音を言えば、一緒にいるときは仕事よりも自分を見つめて欲しかった。それは恋する者なら、誰でも当然のことだろう。その心理を逆手に取って、そういう訊き方をしてくるのはずるいと思った。
 良心が咎めるのか、なかなか自分の気持ちに素直になれない啓太に和希は最後の一押しとばかりに甘い声音で囁いた。
「啓太、早く決めないと時間が減ってしまうよ」
「……っ……」
 啓太は小さく息を呑んだ。こうして悩んでいる間も、時計の針はどんどん先へと進んでゆく。なら、ほんの少しだけ石塚に甘えても良いだろうか……それほど手間の掛かる作業ではないから。
 預かったUSBメモリをポケットから取り出し、啓太は心の中で小さく手を合わせた。
(ごめんなさい、石塚さん)
 そして、恥ずかしそうに和希に手渡した。無垢な眼差しに映るのは、ただ愛しい人のみだから……



2009.7.24
時間軸的に『人と生まれて恋に落ち』の続編になっています。
二人の恋の良き理解者であり、
協力者でもある石塚さんに愛の手を……

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Café Grace
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