ケヤキ並木の広い舗道に面したオープン・テラスの一角で、石塚は一人静かにコーヒーを飲んでいた。秘書という仕事柄、何かと気苦労が絶えないので、休日はこうしてゆったり過ごすことが多い。晴れ渡った空と緑を眺めていると、疲れた心が徐々に解れてゆくのが自分でも良くわかった。
 今の仕事に不満がある訳ではない。寧ろ、やりがいを感じている。
 確かに最初は不安の方が大きかった。鈴菱と血縁関係にあるというだけで能力以上の地位についている者を石塚は実際に何人か知っていた。現社長は非常に能率的な男だが、所詮は人の親だったらしい。今から自分を息子の傍に置くことで忠誠心を育み、次代に備えようとしているのは明らかだった。それなら、それで構わない……と石塚は思った。私が勤める間だけ『鈴菱』が持てば良い。その後、どうなろうと私には関係ない。それを考えるのは彼らの仕事だから……
 幸い、和希は石塚の想像より有能だった。今からしっかり経験を積めば、いずれ父親に勝るとも劣らない存在になって『鈴菱』を立派に率いてゆけるだろう。ただ一つ問題があるとすれば、和希の原動力がある子供への想いに起因することだった。
 石塚の目に、それは兄弟愛の域を遥かに越えている様に映った。他人の性癖に干渉する気はないが、和希の醜聞(スキャンダル)は『鈴菱』にとって迷惑この上ないはず。社長はその事実を知りながら、なぜ、放置しているのだろう。
 そのとき、初めて石塚は啓太に興味を覚えた。
 やがて情報漏洩事件が起こり、石塚も啓太と『鈴菱』の関係を知った。最初に感じたのは同情に近い気持ちだったと思う。しかし、学園に転校してきた啓太を見たら、愛らしい外見に加え、純粋さが結晶になった様なその心に惹かれてゆく自分を抑えられなかった。
「……」
 石塚は街ゆく人をぼんやりと眺めた。
(今頃、伊藤君は和希様と一緒でしょうね。今日は久しぶりに学園島の外へ出掛ける予定らしいですから。もしも、私に伊藤君ほどの運があれば、通り掛かりの二人に会えるのですが……)
 他愛もない考えに石塚は小さく苦笑した。少し冷めたコーヒーに手を伸ばす。
「……!」
 ハッと指が止まった。
 通りの反対側を茶色の癖毛が歩いていた。まさか、と目を凝らそうとした矢先に白い車が二人の間を通り抜ける。慌てて石塚は立ち上がった。
(……いない)
 恐らく他の誰かと見間違えたのだろう。連れがいたが、それは和希の髪色ではなかった。石塚は再び椅子に腰を下ろした。
(この想いを断ち切ることは未だ出来ませんが、私は君の幸せを祈っています)
 残りのコーヒーを飲み干した石塚は清算のためにウェイターの視線を捉えた。そのとき、ふとここの苺のババロアは評判が良いことを思い出した。大好きな苺を前にした啓太の嬉しそうな顔と、それを見た和希の渋い表情が頭に浮かぶ。人の恋路を邪魔する気はないが、このくらいなら許されるだろう。お呼びですか、と尋ねるウェイターに、石塚は穏やかな声でババロアを四つ持ち帰りたいと告げた。



2009.7.24
石塚さんの、石塚さんによる、石塚さんのためだけの話です。
ちなみに、ババロアが四つなのは加賀見の分です。
ああ、微妙に危険な予感……

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Café Grace
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