談話室のテレビに映った天気予報を見た啓太は呆然としてしまった。気象予報士がパネルを指しながら、淡々とした声で告げている。明日はシベリアから寒気が南下してこの冬一番の冷え込みとなりそうです。全国的に積雪が予想され、各種交通機関に大きな影響が出るものと――……
「はあ……」
  無意識に深いため息が零れた。隣に座っていた丹羽がポンポンと啓太の頭を叩いた。
「仕方ねえよ、啓太、冬だからな。遠藤の奴は国内にはいるんだろう?」
「はい……十時の飛行機に乗るから午後には学園島に着くって、昨日、電話で……」
「そうか。まあ、空路が駄目でも陸路で帰って来るさ。どのみち明日には逢えるんだ。元気だせよ、啓太」
  はい……と啓太は力なく呟いた。しかし、気落ちしたせいか、何だか急に疲れを感じた。
「王様……俺、部屋に戻ります……」
「ああ、また明日な、啓太」
  丹羽が励ます様に啓太の髪をくしゃっと撫でた。その手に少し元気を貰い、啓太は小さく微笑んだ。

  翌日は予報通り、外は大荒れの天気だった。
  強風に煽られた雪が教室の窓に叩きつけられる様を啓太は頬杖をついてぼんやり眺めていた。これでは飛行機は飛べないだろう。車では帰寮は早くても夜。もしかしたら、今日中には戻れないかもしれない、と思った。いつもなら出張は和希のもう一人の秘書・岡田が行っていた。しかし、今回は和希でなければ対応出ない案件だったらしい。恋する立場は同じでも、既に成人した和希は啓太にはない仕事がある。その意味を頭では理解しているが、やはり少し歯痒くて、寂しくて、切なくて……
「くしゅっ……」
  不意にくしゃみが出た。
  和希が啓太の肌に残した眩うほどに熱い感触も今はもうすっかり消えてしまった。そのせいか、暖房がきいているはずの室内も今日はやけに寒く感じる。啓太は窓から視線を無理やり引き剥がした。情けないぞ、俺……と自分を叱咤する。
  つい物思いに耽ってしまったが、今はまだ生物の授業中だった。和希が仕事を頑張ってるんだから、俺もしっかり勉強しないと。そうしなければ、和希と釣り合いが取れなかった。延いては、石塚と岡田に申し訳ない。二人は何の関係もないのに、ただ和希の秘書というだけで協力してくれるのだから。
(昨日、王様も言ってたじゃないか。どのみち夜には逢えるって。今日まで待ったんだ。あと少し我慢するくらい何でもない……)
  啓太は教科書に目を落とし、これから海野が説明しようとしている部分を読み始めた。しかし――……
「……?」
  意味がわからない……と言うより、きちんと文字を目で追えなかった。お陰で、何度も同じ行を繰り返してしまう。
「くしゅっ、くしゅっ……」
  またくしゃみ……今度は連続して。その音を聞きつけた海野が啓太を見て言った。
「先刻からくしゃみしてるの伊藤君? 風邪でも引いた?」
「いえ、大丈夫です」
  啓太は弱々しく微笑んだ。そう、風邪は引いていない。くしゃみが出るのは寒いから……和希がいなくて、身も心も冷え切っているだけ。
「う~ん、でも、何だか顔色も良くないし、気になるな。念のため保健室へ行って熱を測ってきなよ」
「大丈夫です、海野先生」
「駄目だよ、調子の悪いときに遠慮なんかしたら。特に今はインフルエンザが流行ってるんだから。一人で行くのが嫌なら誰かに付き添って貰えば良いよ。遠藤君、お願い出来る?」
  海野は教室をキョロキョロと見回した。すると、誰かが言った。
「今日は欠席で~す」
「あっ、そうだった。なら、誰か他の――……」
「海野先生、俺、一人で行けます」
  慌てて啓太は立ち上がった。
  改めて和希がここにいないと言われたら、胸が苦しいほど締めつけられて何だか泣きたくなってきた。涙が滲んでいるのか、周囲がゆらゆらと歪んで見える。啓太は顔を見られまいと、足早に教室を出て行った。
「……っ……」
  廊下は雪と風の狂想曲が吹き荒れていた。誰かが渡り廊下のドアをきちんと閉めなかったのだろう。隣の教室さえ白く煙る景色の向こうに沈んでいた。こんなとき、和希が傍にいてくれたら……と思う。
(和希なら、温かい腕で俺のことをしっかりと抱き締めてくれる。そして、優しくキスをして、寒くないかって訊いてくれるのに……)
  瞳に溜まっていた涙が堪え切れずにすっと零れ落ちた。
  どうして今日はこんなに気が弱くなっているのか、自分でもわからなかった。ただ、泣きたいほど和希に逢いたかった。身を切る様な吹雪よりも、和希がいないことの方が辛い。このままでは心が凍えてしまう。和希の存在を感じられる場所に行けば、この寒さが少しは和らぐのだろうか。逢いたいな、和希に……和希……和希……和希……
『……啓太……』
「……!?」
  一瞬、和希の声が聞こえた。啓太は素早く辺りを見回した……が、誰もいない。
「和希……?」
  すると、また和希が啓太を呼んだ。遠くの方で、低く静かに……
「和希!」
  逸る心のまま、啓太は走り出した。
(和希、和希、和希……!)
  身体が鉛の様に重くて巧く動かないが、自分が和希の声を聞き間違うことは絶対になかった。なら、この雪の向こうに必ず和希はいる……!
「あっ……!」
  積もった雪に足を取られて、ガクッと膝が抜けた。倒れる、と思った瞬間――……
「啓太!」
  和希が啓太の手を強く握り締めた。
「和、希……?」
  ベッドに横たわっていた啓太は小さく瞬いた。良かった、と和希が大きく肩の力を抜いた。
「どうしたんだ、啓太? 夢でも見ていたのか?」
「夢……?」
  良く見ると、そこは寮の自分の部屋だった。枕元に寄せた椅子に和希が座っている。状況が掴めず、少し混乱していると、和希が言った。
「心配したよ、啓太が苦しそうに何度も俺を呼ぶから。もう熱は殆どないけれど、どこか痛むのか?」
「ううん……平気」
  啓太は首を振った。霞んでいた頭が徐々に鮮明になってくる。
(そうだ。俺、昨夜、部屋に戻ってから何か寒気がして……点呼に来た篠宮さんから薬を貰ったんだ。もしかして、あれからずっと寝てたのか……?)
  レースのカーテン越しに柔らかい午後の陽射しが差し込んでいた。天気までは良くわからないが、少なくとも雪は降っていない様だった。
「和希、いつ帰って来たの?」
「二時頃だよ。六限だけ出ようと思って着替えに戻ったら、篠宮さんから啓太の具合が悪いと聞いて驚いたよ。昨日の点呼のときに薬を飲ませたけれど、気になって夜中に様子を見に行ったら、発熱していたそうだ。篠宮さんが適切に対処してくれて本当に良かった。もし、朝になるまで……俺が帰寮するまで誰も気づかなかったら、と思うと……」
  和希は辛そうに口を噤むと、啓太をきつく抱き締めた。
「大丈夫だよ、和希……俺、運が良いから。和希も良く知ってるだろう?」
「ああ……でも、この五日間、俺はずっと啓太に逢いたかった。ずっと、こうしたかったんだ。だから……」
「……っ……」
  その言葉に、啓太は胸が苦しくなった。
  啓太もずっと和希に逢いたかった。逢いたくて、逢いたくて仕方がなかった。しかし、今の自分に出来るのは待つことだけ。だから、大人しく和希の帰りを待っていた。夢の中でも待っていた。ただひたすら待っていた。和希も同じ気持ちだったんだ……
「俺……俺、も……」
  涙で声が震えた……あまりに嬉しくて。そんな啓太に和希は羽根の様に軽く口づけた。それでは全く物足りないが、これ以上、深く口唇を重ねたら……抑えられなくなる。
「啓太」
「……何、和希?」
  濡れた瞳で啓太は恋人を見つめた。和希が熱く囁く。
「早く風邪を治して。そうしたら……」
「そうしたら……?」
「直ぐに啓太を抱きたい」
「……っ……!」
  ポンッと啓太は沸騰した……が、和希から決して目を逸らさなかった。やがて恥ずかしさを堪えて、はっきりと頷いた。
「うん……頑張る」

  啓太が登校出来る様になったのは、それから三日後のことだった。
  まだ少し足元が覚束ない啓太を和希が支えるのを見て、篠宮は密かに首を捻った。そんなに長引く風邪ではなかったはずだが……やはり伊藤の健康には特に注意が必要だな。責任感の強い律儀な寮長は改めてそう心に留めた。


2010.2.5
何でも一生懸命な啓太は、
きっと根性で風邪を治したでしょう。
でも、結局はベッドの住人……
それは、勿論、和希のせいです。

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Café Grace
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