薄暗い水族館の大きな水槽の中を啓太は楽しそうに眺めていた。特に魚が見たい訳ではなかったが、久しぶりに和希と学園島の外で過ごす時間に心が弾んでいた。ひらひらと優雅に泳ぐ青い熱帯魚を目で追いながら、頭の片隅でぼんやりと思う。和希って魚が好きなのかな。
「……」
 隣にいる恋人をそっと窺うと、ふわりと微笑まれた。慌てて顔を元に戻す。
(お、驚いた。何で魚の方を見てないんだよ、和希)
 赤くなった頬を隠す様に啓太は一歩、水槽へと近づいた。
 休日とはいえ、館内は人影も疎らで閑散としていた。もう少し先へ進むと、水中庭園へと続く硝子の通路がある。そこなら海中にいる様な気分を味わえて更に面白そうだが、今はかなり混んでいる気がした。
 啓太は岩陰に潜む小魚をじっと見つめた。もう暫くここにいたいな。二人きりだし……何だかデートしてるみたいだし……
「……っ……」
(な、何、恥ずかしいこと考えてんだよ、俺。相手は和希じゃないか。普通に遊んでると思えば良いんだ、普通に)
 確かに和希は啓太にとって気の置けない親友でもあった。一緒に授業を受けたり、休み時間には色々な話をして笑っている。だから、和希が仕事でサーバー棟へ行くときは寂しくなったが、それを埋め合わせる様な口唇にいつも胸が震えた。誰もいない教室で、ときには大胆に廊下の片隅で、何度も和希と……
(や、やっぱり……これってデートなのかな)
 そっと啓太は視線を上げた。すると、水槽に映る和希と目が合った。ドキッとして持っていた館内地図に素早く視線を落とす。
「か、和希、先刻からやけに目が合うんだけど……」
 出来るだけ声を抑えて啓太は呟いた。そうだな、と和希が答えた。
「今日の俺は啓太から目を離せないからな」
「……?」
 啓太は不思議そうに振り返った。
「もしかして、俺が迷子になると思ってるのか? 相変わらず、心配性だな、和希は。大丈夫だよ。ここ、そんなに広くないし。それに、ほら……俺、地図も持ってる」
「俺は迷子の心配をしている訳ではないよ、啓太」
「なら、どうして先刻から俺の方ばかり見てるんだ?」
 コクンと啓太は首を傾げた。和希がゆっくり顔を寄せて来たので無防備に返事を待っていると、思いもよらないことが聞こえた。
「啓太が言ったんだろう。ずっと俺の方を見てて欲しい、と」
「……っ……!」
 ポンッと啓太は沸騰した。
「ま、まさか……だから、ここに来たのか? 水槽に俺が映るから」
「ああ、これなら幾らでも啓太を見ていられるだろう?」
 あっさり和希は認めた。
「さ、魚を見ろよ」
「魚も見ているよ」
「も、じゃない!」
 つい大きな声を出してしまい、慌てて啓太は口を押えた。
「そんなに恥ずかしがらなくても良いだろう、啓太、折角のデートなんだから」
 和希が穏やかな微笑を浮かべた。その表情に危うく見惚れそうになった啓太は照れ隠しにプイッと顔を背けた。
「俺、もう和希とはデートしない」
「う~ん、それは困ったな」
 全くそうは感じさせない口振りで和希が言った。それを聞いて啓太の瞳が複雑に揺れた。もう少し困ったり、驚いたりしてくれても……俺は別に嫌って訳じゃないんだから……
「……啓太」
 和希が啓太の頬に軽く手を添え、静かにこちらを向かせた。
「意識してくれるのは嬉しいけれど、それで二人の時間を楽しめなければ意味がないだろう? それとも、啓太は俺といるのは嫌?」
「そんなことある訳ないだろう。俺だって、もっと和希との時間を楽しみたい。ただ、その……」
 言葉に詰まって啓太は小さく俯いた。和希が優しく頷いた。
「なら、そう難しく考える必要はないよ。一緒にコンビニにでも来たと思えば良い」
「コンビニって……それはたとえが変だろう、和希」
 クスクスと啓太は笑った。しかし、お陰で、少し気が楽になった。
(そっか。和希は和希だから、恋人や親友って枠に無理に収めなくて良いんだ)
 緊張が解れたら、啓太はもっと色々なものが見たくなった。現金だな、と思いつつも地図を広げてある場所を指差した。
「和希、今度はこの水中庭園へ行こうよ。俺、泳ぐ魚を下から見てみたいんだ」
「ああ、それは面白そうだな」
「だろう?」
 啓太は元気良く歩き出そうとした。すると、背後から急に和希が啓太を抱き寄せた。低い大人の声で耳元にそっと囁く。
「今はそれで良いけれど……でも、夜は俺のことを意識して欲しいな、啓太」
「……っ……」
 一瞬、背筋を走った艶めかしい感覚に啓太は僅かに息を呑んだ。そして、耳まで真っ赤になりながら、殆ど聞き取れない音で答えた。
「そんなの……当たり前、だろう」
「嬉しいよ、啓太」
 和希の腕に僅かに力が入った。はあ、と啓太がため息をついた。
「全く……これのどこがコンビニなんだか」
「啓太、恋愛は一種のストレスなんだよ」
「コンビニ行くのにストレスを感じてどうするんだよ、和希」
「ははっ、それもそうか」
 爽やかに笑う和希を啓太はじと~っと睨んだ。
「……俺、一人でコンビニ行こうかな」
「そんなこと言わないで、啓太、俺と一緒に行こう」
「じゃあ、もう変なこと言うなよ、和希」
「わかりました」
 和希は小さく両手を上げた。その代り……と心の中で呟く。今夜は啓太の恥じらう姿を思い切り堪能させて貰うから。
 そうして大人の恋人は密かに微笑を深めた。啓太が夜に乱れるまであと半日……



2010.5.20
’11 啓太BD記念作品 和希ver.です。
時間軸的に『橋の上で手を繋いで』の続編になっています。
初々しい啓太の密かな悩みです。
でも、単なる惚気かも。
Keita,Happy Birthday.

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Café Grace
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