真夜中に、ふと目が醒めた。 隣で眠る啓太を起こさない様にそっとベッドを抜け出し、脱ぎ散らかした服の中から自分のシャツを拾い上げる。腕を通しながら、ぼんやりと窓の外に目を向けた。
 雲の隙間から覗く月は、あの日と同じ様に蒼ざめていた。
(全く……嫌になる)
 中嶋は窓辺に寄り掛かり、密かに呟いた。正直、自分がこれほど脆いとは思っていなかった。
 啓太に手を出したのは単に興味があったから。未だ穢れを知らぬ、無垢な身体を溺れさせてゆくのは面白いだろう。ただそれだけだった。事実、啓太は見込んだ通りの反応を示した。今は不本意だろうが、直に俺しか見えなくなる……そうしてやるつもりだった。
 しかし、気がつけば、中嶋もまた啓太を追っていた。
 いつも啓太の周囲には光が溢れていた。それは目の眩む様な夏の陽射しではなかった。さながら穏やかで優しい春の木漏れ陽。疲れた者には安らぎを与え、傷ついた者には癒しを、迷う者には路を示し、集う者には憩いをもたらす。闇に棲む自分とは真逆の存在だった。それなのに、あの瞳が、声が、肌が忘れられなかった。 姿を見る度に、執着にも似た衝動が胸を焦がした。深みに嵌まってゆく心が抑えられない。
 初めて、人を欲しいと思った。
 いずれ啓太が堕ちてくるのはわかっていた。中嶋は静かに堪えた。それは、これまでの人生で最も長い時間だった。そして、あの晩……終に月下の花を手折った。
 漸く手にした啓太は、まだ幼さの残る外見からは想像もつかないほど妖艶だった。縋りつく腕は蔓草の様に身体を縛り、紡がれる言葉は麻薬の様に心を奪った。中嶋は夜ごと、激しくその甘い身を貪った。そうする以外、この愛されるべくして愛される天壌の煌きを繋ぐ術を知らなかった。
(是非もない……)
 月に向かって、そう自嘲した。愛している。その、ただ一言が言えないのだから。一度でも口にすれば、これまで培った自分の総てが崩れてゆくだろう。今更、生き方は変えられなかった。たとえ、不安に駆られて眠れなくとも……
 ため息をついて中嶋は振り返った。すると、ベッドの中の啓太と目が合った。
「起きたのか」
「……はい」
 少し掠れた声で啓太は囁いた。まだ身体が辛いのだろう。ピクリとも動かなかった。
「……中嶋さん」
「何だ?」
「……抱いて下さい」
 意外な言葉に中嶋の柳眉が僅かに上がった。
 啓太自ら求めてくるのは、とても珍しかった。良いだろう。中嶋はベッドに腰を下ろすと、啓太の顎を軽くすくった。濡れた瞳を見つめ、言葉の代わりに口唇を与える。そのまま、首筋へと指を這わせた――……
「好きです……」
 誘う様に啓太がシャツの背を掴んだ。
「もっと聞かせろ」
 中嶋は啓太の身体をかき抱いた。重ねた肌が互いの熱を奪い合う。この瞬間だけは、啓太を失うことを恐れている自分を忘れることが出来た。
「愛してます、中嶋さん……」
「もっとだ……」
(身も、心も、もっと俺で満たせ、啓太……)
 求め合う二人を冷たい月が照らしていた。
 中嶋は、また終わりなき夜に沈んでいった。愛している。その、ただ一言が言えないから……



2007.8.16
中嶋さんの独占欲は不安の裏返しの様な気がします。
多分、精神的には啓太の方が
強いのではないでしょうか。
ああ、中嶋さんがシャツだけ羽織っている姿を見てみたい。

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Café Grace
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