――独白――


(もし、天国で逢っていたら……お前は俺に気づいただろうか?)
 雨空を一人静かに見上げながら、中嶋は思った。足元にはくだらない連中が何人か転がっている。それは月に数度は発生する恒例行事だった。理由はいつも同じ。予算が足りない。部へ昇格させろ。全く……こいつらには学習能力がないのか。短く嘆息すると、中嶋は煙草に火を点けた。少し湿気た味がするが、そのまま、深く吸い込む。細く煙を吐き出して、ゆっくりと寮への道を辿り始めた。
 人工島のせいか、学園内は色々と自然を意識した造りになっていた。ここは、ちょっとした森に見えるほど木が鬱蒼としている。普通の者では迷ってしまいそうだが、中嶋には既に勝手知ったる場所だった。こうして帰るのはもう何度目だろうか。いい加減、数えるのも厭きてしまった。
 以前なら、これは正当な理由で力を行使する良い機会だった。いつも抑えてばかりではこちらも疲れる。ときにはストレス発散も必要だった。しかし、前回のこと……相手にとどめの一撃を放ったとき、偶然、折れた竹刀が中嶋の首元を掠めた。掠り傷にも満たないもので中嶋自身は気にも留めなかったが、啓太は違った。生徒会室へ戻って来た中嶋を一目見るなり、啓太は蒼ざめた。どこからか救急箱を持ち出すと、微かに震える指で絆創膏を貼った。大袈裟な、と中嶋が呟くと、啓太は今にも泣きそうな顔でこう言った。
『……中嶋さんが傷つくのは嫌なんです……』
 中嶋は立ち止まった。
 濡れた髪を払いもせず、宙を見つめる。あのときの啓太の瞳が今でも瞼に焼きついて離れなかった。今日も外出する中嶋を見送る啓太は酷く辛そうだった。ちっ、と舌打ちして再び煙草を口に運んだ。啓太の涙は中嶋の欲望を煽るが、あんな顔はさせたくなかった。心が揺れる。お陰で、今日は必要以上に気を使い、余計、疲れてしまった。
 中嶋の基準は善悪ではなく、自らが培った価値観にあった。中嶋はそれを貫くことにのみ人生の意味を見出し、それを妨げるものは尽く排除した。当然、他人の目など気にしたこともなかった。にもかかわらず、啓太のあの澄んだ瞳が曇ると激しい抵抗を感じた。お前は今のままで良い。自ら啓太に放った言葉はそっくりそのまま、自分への呪縛となって返ってきた。中嶋は漸く気がついた。二人が初めて身体を重ねたあの夜、本当の意味で堕ちたのは自分の方だった、と。啓太を切り捨てることも、手放すことも出来ない。縋りつくあの手を求め、紡がれるただ一つの言葉を望んでしまう。
(もし、天国で逢っていたら……お前は俺を支えてくれただろうか?)
 無意味な問いを重ね、それを確かめる様に至る場所で啓太を抱いた。しかし、答えは出なかった。ここは天国ではないから……
「……」
 いつの間にか、煙草の火は消えていた。雨だれの奥から傘を差した啓太が駆けて来るのが見える。中嶋は動かず、ただ待っていた。来い、啓太……俺の処へ。

 重苦しい空に、未だ曙光(ひかり)は見えなかった。



2007.12.31
月を背負った中嶋さんも良いけれど、
個人的には雨に打たれる姿も好きです。
何と言っても、
水も滴る良い男ですから。

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Café Grace
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