細く煙を吐き出す中嶋を三人はじっと見つめていた。重苦しい沈黙。中嶋は吸殻で山になった灰皿に煙草を押し込むと、再び別の一本に火を点けた。丹羽が、ふと口を開いた。
「俺がいない間にそんなに吸ったのか、中嶋?」
「ああ」
「お前……煙草の量、増えたよな。一日に何本、吸ってるんだ?」
「さあな」
「下手したら、啓太が転校してくる前より増えてねえか? 一体、どうしたんだ、中嶋? 啓太と何かあったのか?」
「……先刻も言っただろう、丹羽? ただ退屈なだけだ。こうでもしないとやっていられないくらいにな」
「退屈って……お前、何がそんなに退屈なんだ? 毎日、やることは一杯あるだろう? 仕事だって、いつも溜まって郁ちゃん達に怒られてるじゃねえか」
  すると、中嶋はクッと口元を歪ませた。
「そういう意味ではない。俺は繰り返す時間に厭きたと言っている。昨日と今日のどこが違う? 書類を片づけ、邪魔者を排除する。同じだろう? そこにはもう何の色彩(いろ)もない。総て褪せている。俺は新しい色彩(いろ)が欲しいんだよ、丹羽……なら、自分で作るしかないだろう?」
「そんな理由で一々破壊されては堪りません。いい迷惑です」
  七条が中嶋を冷たく見下ろした。
「犬は主人の顔色だけを窺っていれば良いからな。人の悩みは理解の範疇を越えるか」
「僕は貴方と違って――……」
「やめろ、臣! 今は奴と口論している場合ではない!」
  西園寺が話の腰を折った。そんなことは滅多にしない西園寺なだけに、いかに状況が逼迫しているか。七条もそれを思い出し、すみません、と口を噤んだ。
「中嶋、そんなふうに傍観者面してるから退屈なんじゃねえか?」
  ガシガシと頭を掻きながら、丹羽が言った。中嶋が僅かに片眉を上げた。
「少なくとも俺や啓太といるときは退屈しなかっただろう? 今、啓太はいねえが、俺はまだいるぜ。俺がお前を舞台の上に引きずり出してやる。そうすれば、こんなことしなくても新しい色彩(いろ)が手に入るだろう?」
「なら、この場で今直ぐ俺に新しい色彩(いろ)を見せてみろ、丹羽……そうしたら、解除コードを入力してやる」
「その話、乗った!」
  丹羽は破顔一笑した。バシッと拳を打つ。
「退屈なときはな、中嶋、遊ぶに限るんだぜ! 早速、準備するか! 今回のタイトルは、そうだな……『第十一回ウキウキ鬼ごっこ大会』で良いか。生徒会代表として逃げるお前を学園の全員が追うんだ!」
  ビシッと丹羽は中嶋を指差した。すかさず西園寺が口を挟んだ。
「待て、丹羽! なぜ、いきなりそういう話になる! それに、第十一回ウキウキとは何だ! まだ一回もやったことがないだろう!」
「フィーリングだよ、フィーリング。頭、硬いな、郁ちゃん」
  丹羽は軽く肩を竦めた。なっ……と西園寺が絶句した。
「それで、だ。話を続けるぜ。開催は明日だ。祝日だし、丁度良いだろう。正午の時報が合図だ。中嶋を捕まえた奴には優勝商品として、生徒会に何でも一つだけ言うことを聞かせられる権利をやる。部への昇格でも、予算UPでも、何でも良いぜ。そんときは宜しくな、郁ちゃん」
「よ、宜しくな、で済む訳がないだろう! 第一、既に決まった予算をそう簡単にコロコロ変えられるか!」
「郁ちゃん、これは経費だ。それなら、幾らでも自由がきくだろう?」
「そんな経費があるか! それに、お前は無駄に経費を使い過ぎる! 少しは私達の身にもなれ!」
  西園寺は、まるで全身の毛を逆立てたペルシャ猫の様だった。はあ、と丹羽は嘆息した。
「経費ケチってたら良い仕事は出来ねえぜ。なあ、中嶋?」
「まあな。だが、丹羽、奴らに俺が捕まえられると本気で思っているのか?」
  中嶋はゆっくりと腕を組んだ。すると、丹羽がニヤッと口の端を上げた。
「ああ、だから、俺も参加するぜ。追っ手の一人としてな」
「会長のお前が、一体、生徒会に何を望む?」
「そんなの決まってるだろう。一週間の休暇だ」
「お前は普段から自主休暇ばかり取っているだろうが」
「だが、お前の影に脅えずに過ごせる一週間なんて滅多にねえからな。俺は本気でいくぜ。たまにはお前も追われる俺の気持ちを思い知れ!」
「くだらん」
  すっと中嶋が眼鏡を押し上げた。しかし、先ほどまでの凍てつく雰囲気が僅かに和らいでいた。煙草も吸わずに、ただ持ったまま。
「では、僕達も捕まえて良いんですね?」
  七条が尋ねた。
「ああ、これは希望者全員に参加資格がある。お前達も出ろ、出ろ」
  丹羽は大きく手招きした。七条が西園寺を見やった。
「郁、僕達が捕まえたら何をお願いしましょうか?」
  すると、西園寺は小さな微笑を浮かべた。
「決まっている。卒業するまで、丹羽には仕事を溜めずにきっちり働いて貰う」
「げっ、そんなのありかよ!」
「一つには変わりないだろう? お前のそのサボり癖のお陰で、日頃、私達がどれほど迷惑していると思っている。少しは中嶋を見習って真面目に働け」
「良いんだよ。俺達はこれでバランスが取れてるんだ」
「お陰で、俺はいい迷惑だ」
「ほら、見ろ。中嶋がいなかったら、今頃、お前はここにはいない」
「裏切り者」
  恨みがましい瞳で睨む丹羽を中嶋は小さく鼻で笑った。
「まあ、それについては異議を唱えたいところですが、僕も郁の意見には賛成です。丹羽会長の確約が得られれば、今後、僕達も安心して業務につけますから」
「やっぱりお前達は参加しなくても良いぜ?」
「いえ、絶対に参加します。ねえ、郁?」
「ああ」
「マジかよ……」
  ガックリと丹羽は肩を落とした。西園寺が満足そうにほくそ笑んだ。七条はいつもと変わらない表情をしているが、どこか楽しそうに見える。いつの間にか……そこにいる全員が好むと好まざるとにかかわらず、丹羽の輝きに惹き込まれていた。その強い光は色褪せた世界を中嶋の瞳に再び鮮やかに蘇らせてゆく。それは啓太が見せた色彩(いろ)と比べても全く引けを取らなかった。
「やはりお前といると退屈しないな、丹羽」
  中嶋は煙草を灰皿の縁で揉み消した。
「……だろう?」
  丹羽はニカッと笑った。中嶋はパソコンに向かい、カタカタと幾つかのキーを叩いた。七条が直ぐにモバイル・パソコンを開く。
「郁、システムが停止しました。現在、プログラムの自動修復に入っています。恐らく一時間もすれば完全に復旧するでしょう」
「そうか」
  西園寺は、ほっと安堵の息をついた。中嶋がすっと二人の横を通り過ぎた。
「どこへ行く!」
  すかさず西園寺が厳しい声を発した。
「寮にいる。後はお前達の好きにしろ」
  背中越しにそう言い捨てると、中嶋は後ろ手にパタンとドアを閉めた。
  深刻な顔で西園寺が丹羽を見やった。わかってる、と丹羽は低く呟いた。学園のシステムに侵入するのは日常茶飯事だが、一時的とはいえデータ流出の危機を招いた中嶋に何らかの処分が下されるのは確実だった。
  丹羽は携帯電話を取り出した。
(中嶋の異変に薄々気がつきながら、何の手も打たなかった俺にも責任はある。だが、果して今のあいつに話が通じるか、だな)
  そして、和希の番号へと発信した。

「……止まったか。わかった。俺も直ぐそちらへ戻る」
  石塚からシステム停止の報告を受けた和希は静かに携帯電話を閉じた。啓太はベッドに座ってシャツのボタンを留めているが、いつの間にか、一つ掛け違えていた。
「あっ、待って、啓太」
  それに気づいた和希が啓太の手を止め、きちんと直してやった。それから、制服の赤いジャケットに腕を通させる。少し暑いよ、と抗議する啓太を和希は優しく宥めた。
「啓太はまだ本調子ではないだろう? 良い子だから、今は我慢して?」
「……うん」
  啓太はコクンと頷いた。
  和希の思った通り袖のカフスを留めると手首の痣は綺麗に隠れた。あの晩の出来事を思い出すのか、啓太は包帯を酷く嫌がったのでもうつけてはいなかった。しかし、これで学園に帰って誰かに会っても気づかれることはないだろう。和希は密かに安堵した。そのとき、ポケットの中でまた携帯電話が震えた。丹羽の名前が表示されている。
「また電話?」
「ああ……ごめん、啓太、少しここで待ってて」
  そう言うと、和希は隣の居間へ移動した。ピッとボタンを押す――……
『……遠藤か?』
「王様……色々やってくれましたね」
  和希は小さくため息をついた。
  王様と呼ばれて、丹羽は暫し沈黙した。どうやら今は話のわかる状態らしい。そっちで何があったかは知らねえが、こっちもその方が都合が良い。
『ああ、その件で連絡した』
「言いたいことはわかっています。安心して下さい。今回のことで、俺のシステムもまだ完璧でないことが良くわかりました。システム不備は俺の責任ですから、それを誰かに押しつけるつもりはありません。幸い、実害もありませんでした。だから、ここは一つ、痛み分けということにしませんか?」
『ああ、俺としても異存はねえ』
「では、この件はこれで。ところで、今、中嶋さんはどうしていますか?」
『寮の自室にいる。だが、まだ少し不安定だな。暫くは目が離せねえ』
「それも直ぐに解決しますよ。今から啓太を連れて戻りますから」
  カーテンを僅かに開け、和希は外の様子を窺った。
『本当か!? もう治ったのか!?』
  丹羽が大きな声で叫んだ。思わず、和希は顔を顰めて携帯電話を耳から遠ざけた。
「いえ、まだ治ってはいません。でも、ここでは療養になりませんから」
『はあ? そこは病院だろう?』
「ええ……でも、泣くんですよ、啓太が。毎日、毎日。ここでは……俺では駄目なんです。彼でないと。だから、啓太を連れて戻ります」
『……そうか』
「……では、また後ほど……」
  和希は電話を切った。そして、テーブルの上にあるクマのぬいぐるみを手に取った。
「さあ、一緒に帰ろうか」
  お~っと言う様に和希はクマの左手を上げた。久しぶりの学園に、我知らず、胸が躍る。ふと気がつけば、ずっと薄暗かった部屋にカーテンの隙間から柔らかい陽射しが差し込んでいた。ああ、世界はこんなにも明るかったのか。早く啓太にも見せてあげたい。心から……和希はそう思った。


2008.7.12
静の中嶋さんでは展開が先に進まないので、
動の王様視点にしました。
あのネーミング・センス……実は密かなツボです。

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Café Grace
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