「う~ん」
  啓太は携帯電話のメール画面を見て、小さく唸った。見知らぬ人物からの全く意味不明なメール。所謂、それは迷惑メールだった。そんなものはさっさと削除してしまおうと思うのだが、もう一分以上も啓太はそれを出来ずにいた。
「○妻……○妻……妻……?」
「ごめん、啓太、待たせて……どうしたんだ、啓太?」
  理事長室に戻って来た和希は、ぼんやりしている啓太を見て首を傾げた。
  最近では理事長印が必要な書類は啓太が直接、ここまで届けるようになっていた。情報漏洩を機にサーバー棟内部は生体認証システムが導入されたが、啓太は音声・指紋・顔・静脈・虹彩の総てに登録されていた。学園島の他の者で、そこまで許可されているのは和希と石塚以外にはいない。啓太はそれを知っているのか、いないのか。今日も無邪気な顔でサーバー棟へやって来た。しかし、和希はシステムの不具合を調整するために席を外していた。そこで、いつもの様にソファーに座って待っていたら、このメールを受け取った。
「啓太?」
  呼ばれて、啓太はハッと我に返った。その瞬間、唐突に閃いた。
「……新妻だ」
「何!?」
  和希の眉がピクッと動いた。中嶋との仲を認めていない和希にとって、それは看過出来ない発言だった。啓太の幸せを願う気持ちに嘘偽りはない。だが、結婚はまだ早過ぎるだろう!
  日本で同性婚は認められていないということは、和希の頭には全くなかった。そんなものは法律を変えれば済む問題であり、鈴菱にはそのくらいの力があった。しかし、漸く再会した啓太との蜜月を和希はまだ手放す気は毛頭なかった。いや、そんな日は永遠に来ない!
(啓太との養子縁組は卒業後にと思っていたが、甘かった! もっと早く啓太を鈴菱の籍に入れておくべきだった! 啓太が彼との結婚を望めば、今の俺には何の法的拘束力もない! 中嶋啓太になるのか、啓太? 中嶋啓太になりたいのか、啓太!)
  完全に色を失った和希は力なく啓太の横に腰を下ろした。
  漸く疑問が晴れて心が納得した啓太は嬉しそうに携帯電話を閉じた。その顔を見た和希は悲壮なまでに決意を固めた。そっと啓太を抱き締める。
「……わかった。それが啓太の望みなら、俺が叶えてあげる。来年早々にでも議員立法の形で衆院に提出しよう。必ず年度内に成立・施行させるよ。そうすれば、啓太は彼の卒業と同時に――……」
「何の話をしてるんだ、和希?」
  キョトンと啓太は和希を見つめた。
「……啓太の結婚の話だよ」
  和希は寂しそうに微笑んだ。
「結婚!? どうして俺が結婚するんだ? そもそも、出来る訳ないだろう?」
「啓太が望むなら、俺が必ず叶えてあげるよ。啓太は俺の総てだから」
「俺、そんなこと望んでないよ?」
「恥ずかしがらなくても良いよ、啓太……今、新妻って言っただろう?」
「あっ、それ?」
  啓太は和希の腕の下から右手を上げると、パカッと携帯電話を開いた。ピッっとボタンを押して、メール画面を出す。
「ほら、これだよ、和希」
「……○妻との出会い……」
「ただの迷惑メールなんだけど、この○に何が入るか考えてたんだ」
「……そうか! そうだよな! 啓太にまだ……は早過ぎるよ!」
  一気に和希の顔が輝き、しかし、言葉の一部を冷静にグッと呑み込んだ。無闇に連呼して、啓太に中嶋との結婚を意識させる訳にはいかなかった。今回は単なる勘違いで済んだが、いずれそれが現実となる日が来るかもしれない。その前に、啓太と父の養子縁組を早く済ませてしまわなければ!
(それが啓太のためなんだ)
  和希は拳を握り締めた。啓太は、また携帯電話に視線を戻した。和希もその画面に目を向けた。
(こんな出会い系サイトに啓太が嵌まるとは思わないが、正しい路に導くのは大人の義務だな)
「啓太、どんなことも真剣に考えるその姿勢は立派だと思うよ。でも、この場合、新妻は違うと思うな」
「えっ!? だって、他に○妻なんて言葉ないだろう?」
「色々あるよ」
  ふわふわと和希は啓太の頭を撫ぜた。
(人妻や若妻など、な。でも、それはいずれ嫌でも耳に入って来るから今は知らなくても良い)
「じゃあ、和希は何だと思うんだ?」
「俺が最も相応しいと考える言葉は、稲妻だよ」
「稲妻……との出会い?」
  あどけない顔で啓太はコクンと首を傾げた。和希は頷いた。
「一目惚れする瞬間をよく稲妻にたとえて言うだろう? これは、そうした経験をした人達が不特定多数に向けて発信したメールなんだよ」
「そっか……知らない人の奥さんに会っても仕方ないしな。でも、そんな体験談なら……」
  啓太の瞳に微かに好奇心の色彩(いろ)が浮かんだ。本文をきちんと読んでみようと、ボタンに手を掛ける。しかし、その瞬間、すかさず和希が携帯電話を取り上げてしまった。素早くメールを削除する。
「駄目だよ、啓太、恋愛は自分でしないと。人の話を読んでも意味がないよ。隣の芝生は青いって言うだろう? その代わり、何か悩みがあったら俺がいつでも相談に乗るから」
「うん……有難う、和希」
  ふわりと啓太が微笑んだ。
  和希はそれを眩しそうに見つめた。そして、この無垢な魂を護るため、大至急、顧問弁護士と連絡を取ろうと心に誓った。

「迷惑メールにも面白いものがあるんですね、中嶋さん」
「ふっ……」
  啓太の話を聞き終えた中嶋は小さく鼻で笑った。啓太の保護者を自認している和希の動揺が手に取る様にわかる。さぞかし面白い見物だっただろう。自分がその場に居合わせなかったのが残念ですらあった。
  一方、和希に巧く言い包められたとも知らない啓太は中嶋に馬鹿にされたと勘違いしてしまった。
(どうせ俺は新妻しか思い浮かばなかったですよ。一目惚れなんてしたことないから仕方ないじゃないですか。中嶋さんのことだって、気がついたら好きになってた訳だし……)
「何を拗ねている?」
「拗ねてません」
  啓太は、むっとした声で呟いた。そのとき、ふと思った。
「あの……中嶋さんは一目惚れしたことありますか?」
「ああ」
「……!」
  その言葉に、啓太は息が止まるほど驚いた。中嶋が一目惚れする相手など想像がつかなかった。確かに中嶋は啓太より遥かに恋愛経験が豊富だった。それは毎晩、ベッドの上で散々啼かされているので良くわかっている。
(別に、そのことが嫌って訳じゃないけど……一体、どんな人だったんだろう? 中嶋さんが一目惚れするんだから、きっと俺なんか足元にも及ばないくらい凄い人なんだろうな)
「あの……どんな人だったんですか?」
  沈みそうな心を堪えて、啓太は尋ねた。
「……」
  中嶋は直ぐには答えなかった。コーヒーを飲んで暫く間を置いてから、ゆっくり口を開いた。
「物事の本質を知っている人間だ。純粋で、自らの中に確固たる芯を持ち、その光で多くの者を惹き寄せる。だが、同時に春の木洩れ陽の様に優しく人の心に寄り添う。だから、傍にいると、あれほど安らぐのだろう。まあ、少々お人好し過ぎるとは思うが、今はそれも魅力の一つだとみなしている。俺は後にも先にも、あんな者には逢ったことがないな」
「そんなに凄い人だったんですか……」
  しゅんと啓太は項垂れた。覚悟はしていても、はっきり言われると改めて自分との差を感じる。しかし、それ以上は落ち込まなかった。
(俺はその人には遠く及ばないかもしれないけど、中嶋さんを想う気持ちだけは絶対に負けない。和希が言った様に恋愛は自分でしないと駄目なんだ……!)
「中嶋さん、俺、頑張りますから」
  強い意思を秘めた二つの蒼穹がじっと中嶋を見つめた。そうか、と中嶋が呟いた。
「はい!」
  啓太は大きく頷いた。
  中嶋が喉の奥で低く笑ったが、その瞳がとても優しかったので啓太は全く気にならなかった。ミルクたっぷりのカフェ・オ・レをコクリと飲む。いつも戦場の様な生徒会室も今だけはコーヒーの香りに包まれ、穏やかな雰囲気を醸し出していた。こんな時間がずっと続けば良いのに。そんなことをぼんやり考えていると、中嶋がマグカップを置く音が聞こえた。
「休憩は終わりだ。さっさと残りを片づけるぞ」
「はい、中嶋さん」
  そして、辺りは再び慌しい空気に包まれていった。


2008.4.4
中嶋さんは啓太に逢ったとき、
稲妻と言うより、
払えない霧雨の様な想いに囚われたと思います。
そんな静かな一目惚れも良いかも。

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Café Grace
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