「今日も遅くなってしまいましたね、中嶋さん」
  寮への帰り道、啓太は何となく中嶋に話し掛けた。
  中嶋は、ああ、とだけ呟いた。日頃から大量の書類に追い回されている上に、丹羽が春先に開催した『第二十八回チキチキお花見大会』の残務整理まで押しつけられ、最早、中嶋の機嫌の悪さは頂点に達していた。
(それでもやるんだから、やっぱり中嶋さんって優しいよな)
  啓太はクスッと笑った。中嶋は僅かに片方の眉を吊り上げたが、何も言わずに煙草を取り出し、火を点けた。
「あっ……!」
  突然、啓太は駆け出すと、少し先で立ち止まって一本の桜の木を見上げた。
  それは最も遅くまで咲いていたので、ずっと啓太のお気に入りだった。しかし、終に散り始めてきた。風に舞う花びらをそっと啓太は手ですくった。あんなにも綺麗に春を謳歌していたのに、こうなると、ただただ切なかった。人の一生に思いを馳せた昔の歌人の心境が良くわかる。来年になればまた咲くけど……啓太は小さく瞳を伏せた。そのときはもう中嶋はいない。二人の関係が卒業を機に終わってしまうとは思わないが、それはとても寂しかった。
「一々くだらん感傷に浸るな。咲いた花なら、散るのは当然だろう」
  傍まで来た中嶋が言った。はい、と啓太は頷いた……が、一向に顔を上げないので中嶋は短く嘆息した。煙草を踏み消し、花を見上げる。
「……時間の流れを変えることは出来ないが、その意味を変えることは出来るだろう、啓太?」
「……?」
「そうして去る時間を嘆いていれば、それは通り過ぎてゆくただの瞬間に過ぎない。だが、こうすれば……何が見える?」
  すっと中嶋は啓太の顎を捉えた。啓太は中嶋をじっと見つめた。春風の中に、冷たい蒼を湛えた中嶋がいる。
  中嶋と学園で過ごせる日々は限られていた。それはどう足掻いても変えることは出来ない。たとえ、これから先、共にいられたとしても、時間は昨日や今日と同じ様に明日もまた流れてゆくだろう……いつか啓太自身が移ろう季節の中に消えるときまで。万物は常に流転し、その中で人はあまりにも儚かった。
(でも、中嶋さんといれば、それは俺にとって永遠にも値する時間となる。俺はこの人が好きだから……)
  啓太はふわりと微笑んだ。
「そうだ。お前は余計なことは考えるな。ただ俺だけを見ていれば良い」
「はい」
  そして、二人の姿は春の向こうに溶けていった。


2008.4.18
『今を盛りと咲き誇るよりも、桜はやはり散り際が美しい』
……という台詞に絆されて書いてしまいました。
この意味を知りたい人は
’85の里見浩太朗主演『忠臣蔵』のDVDを見て下さい。

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Café Grace
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