「……」
 自分を取り囲む様に左右に展開する4人を中嶋は無言で見回した。それぞれ身体の正面で見えない剣を持つ様にゆったり両手を構えている。左側にいる生徒が言った。
「七条といい、お前といい、女王様のお守りも大変だな」
「俺にそんな義理はない」
「なら、どうしてここへ来た?」
「目的が会計部なら、西園寺を狙うのは目に見えている。貴様らには一つ訊きたいことがある」
「何かは知らないが、そんなこと素直に教えると思ってるのか!」
 男が中嶋に襲い掛かった。
「……ふっ」
 上段で打ち込んでくる動きを素早く見切った中嶋は隙をついて胴へ蹴りを放った……が、相手は軽やかにそれを右手でいなした。攻撃の力とは決して争わず、まるで円を描く様な体捌(たいさば)きで接触点から中嶋の重心を崩す方向へと導く。そうして生じた隙を別の一人が鋭く突いた。
「……っ……!」
 咄嗟に中嶋は軸足を変えて柔軟に身体を反転させた。すると、それを読んでいた残りの二人が同時に手刀で切り込んだ。しかし、その攻撃は既に織り込み済み。回し蹴りで一気に周辺をなぎ払う。
「ちっ……!」
 四人は瞬時に後ろに引くと、再び各々自分の中心線上に中嶋を捕捉した。青いネクタイをした生徒が小さく口の端を上げた。
「死角を変えるとは、さすが場数を踏んでるだけはある。だが、これが噂の副会長の実力か? 遠慮しないで、もっと攻撃してこいよ」
「返し技だけでは俺には勝てない」
 中嶋は軽く眼鏡を押し上げた……が、そうは言ったものの、水の様に流れる彼らを一々相手にするのは面倒だった。西園寺を捕らえられない場合に備えて停電と同時に既に別の仲間が会計室へ向かっているだろう。七条が簡単にやられるとは思わないが、先刻から妙な胸騒ぎがして仕方がなかった。今、あそこには啓太がいる……
(さっさと終わらせた方が良さそうだ)
「発案者は誰だ?」
 静かな声で中嶋は尋ねた。すかさずリーダー格の生徒が嘲る。
「盗み聞きは得意だろう?」
 しかし、中嶋はその言葉を軽く流した。単独を好む浅野が今回の様な計画を立てるとは考え難かった。レンズ越しに蒼い瞳が冷たく相手を睥睨した。
「もう一度、訊く。発案者は誰だ?」
「……っ……!」
 その場に満ちてゆく氷の気迫に、思わず、彼は息を呑んだ。頭の片隅で警報が鳴る。こいつは強い……
「知ってても教えるかよ!」
 それに気づかない仲間が無意識に答えを叫んだ。別の一人が挑発する様に手をひらひらと振る。
「ほら、足技が得意なんだろう? 良いぜ。蹴ってこいよ」
「……!」
 そのとき、男の形が崩れたのを中嶋は見逃さなかった――……

「くそっ、開かない!」
 苛立った男が会計室のドアをガンッと蹴飛ばした。電源を落とすと、校舎内の総ての扉は緊急避難のためにロックが外れる……はずだった。
「聞いてた話と違うじゃねえか!」
「おい、どうする?」
「んなこと俺に訊くな!」
 すると、部屋の中から囁く様な声が聞こえた。
「ねえ……そこにいる人……」
「……!?」
 二人の背後で無言で腕を組んでいた生徒が、しっ、と指を立てた。一斉に視線がドアへと向かう。
「誰だ、お前? 西園寺達じゃねえな」
「うん」
「あいつらはそこにいねえのか?」
「うん、いない……だから、ここ開けて」
「開けてって言われても、実は俺達も……」
 続く言葉を赤いネクタイをした三人目が手で制した。退け、と顎を振る。俺に良い考えがある……
「あのさ、僕達、予算に関することで、ちょっと急ぎの書類を取りに来たんだ。本当に急いでるんだ。だから、君がそれを下の隙間から僕達に渡してくれないかな。そうしたら、このドアは責任持って必ず開けてあげるから」
 お~、と仲間内から無音の歓声が上がった。ふっ、と男が口の端を上げた。西園寺と七条がいないなら丁度良い。こいつを利用して、必要なものだけさっさと手に入れる……!
「ねえ、君、聞いてる?」
 返事がないので、もう一度、彼は話し掛けた。
「……生徒会を潰したいなら、そんな方法じゃあ駄目だよ」
「……!?」
 瞬間、三人に動揺が走った。どうしてこいつが知ってるんだ? そんなの俺が知るかよ。しかし、残る一人は素早く気を取り直すと、冷静にしらばくれた。
「あのさ、君は何か勘違いしてるよ。僕達は本当に予算に関する書類を取りに来ただけなんだ。君が僕達の頼みをきいてくれたら、それが事実だって直ぐに証明する。ここから出してあげるよ」
「……」
「ねえ、君、聞いてる……?」
「……嘘」
 ドアの向こうで誰かが小さく笑った。
「確かに会計部には予算認可に関する書類が揃ってる。でも、その大元の予算配分は生徒会にだけ与えられた権限。ここの書類だけ手に入れて何の意味があるの? 貴方達が本当に欲しいものは何? 貴方達が本当に欲しいのは別のもの。そもそも、出入金の管理だけを行う会計部が生徒会と同等の力があるのはどうして? 会計部をして真の会計部たらしめてるものは何? それは情報。虚構と現実の狭間を漂う情報を、会計部は握ってる」
「お前……誰だ?」
 緊張した面持ちで男は尋ねた。話すことは鋭いのに、それとは不釣合いな幼い口調が妙に不気味だった。まるで絶対的な力の差がある相手と対峙している様な薄ら寒い恐怖を感じる……
「俺は、ただ俺だよ。そんなことより、良く考えて。目的の『書類』を手に入れて生徒会を潰せたとしても、その先にどんな路があるの? 貴方達は、貴方達にそれを命じた人を本当に信じられる? 自分の手は全く汚さず、危険なことは総て貴方達に押しつけた、そんな卑怯な人を。断言しても良い。ここにある『書類』を盗めば、貴方達が得るのは汚名だけだよ」
 まさか、と語尾を濁して……しかし、それを否定し切れない自分に彼は俯いた。
「でも……もっと良い方法がある」
「……!?」
「どうしてこのドアが開かないと思う?」
「それは七条がいつもの様にシステムに干渉して……成程、そういうことか!」
「おい、どういうことだよ?」
 全く意味のわからない他の二人が会話に割り込んだ。
「いいか。この学園島で停電でも電気を取れる処はどこだ? サーバー棟だけだ。だが、あそこは生徒の立ち入りは厳禁。面白半分に侵入しただけでも停学になると言われてる。つまり、この扉は七条がサーバー棟に無断侵入し、管理システムに不正干渉した重大な証拠になる!」
「そう……しかも、その結果、一人の生徒が本人の意に反して部屋に閉じ込められた。それは決して許されることではない、決して。だから、ドアが開いたら、その子は必ず彼ら全員に厳罰を望む。絶対に……誰も許さない」
「そういうことか。理事会に堂々と会計部の閉鎖を訴えるんだな。確かにその方が受けは良い!」
「ああ、いつもお高くとまってる女王様や騎士(ナイト)気取りの七条が理事会の連中に寄って集(たか)って追い落とされるってのは悪くねえ」
「そうだな。結果が同じなら、浅野も文句は言わないだろう」
 三人は上機嫌で顔を見合わせた。
「なら、早くここを開けて」
「ああ、待ってろ」
 リーダー格の男がドアから少し離れた。仲間を集めて低く囁く。
「今から二手に分かれる。ここであまりうろうろしてると、他の奴らに怪しまれるからな。俺達は、これから電源を復旧させに行く。お前はここに残れ。明かりが点いたら、出来るだけ派手に騒いでこいつを助けてやれ。だが、それまでは目立たないようどこか適当な場所に隠れてろ。良いな」
「OK」
「おい、こいつにバッチリ恩を売っとけよ。会計部を潰す要になるんだからな」
「任せろ」
「よし……行くぞ」
 互いに視線を短く交わして、三人はその場から走り去った。暫くして、無垢なる者がクスクスと笑った。
「さあ、走って。急いで……そして、悟れ。救済への路は右にも左にもない。ただ俺の中にだけある」

(……伊藤君)
 資料保管室のドア越しに総ての会話を聞いていた七条は紫紺の瞳を小さく伏せた。
 啓太は残酷なほど無邪気に相手を追い詰めていた。まるで子供が玩具で遊ぶ様に。外にいた者達は全く気づいてなかった。啓太は誰も許すつもりがないことを……彼ら自身も含めて。その根底にある怒り――あるいは、哀しみ――が何かはわからない。しかし、誰かがそれを静めなければならなかった……誰かが。
「……」
 七条の手には開いた携帯電話が握られていた。
 停電のため明かりが点かないので、窓のない資料保管室ではその液晶画面が唯一の光源だった……が、バッテリーの残量表示は一つ。恐らくもう長くは持たない。それが切れたときを思うと、怖くない訳ではなかった。
(でも、意味もなく総てを恐れ、拒絶していた幼い頃の僕とは違う。今は真に恐れるべきものを知っている。僕は、絵に描いた悪魔など恐れはしない……!)
 だから、確固たる意思を持って七条はある一つの番号を呼び出した。

「……!?」
 不意に中嶋はジャケットの内ポケットに振動を感じた。無言で携帯電話を取り出し、ボタンを押す。
「何だ?」
『そろそろ手が空いた頃でしょうか?』
 淡々と七条が言った。ああ、と中嶋は短く答えた。足元には鮮やかに蹴り倒された四人の生徒が転がっているが、彼らには一瞥もせずに歩き始めた。
『では、至急、会計室へ来て下さい』
「もう向かっている」
『……急いで下さい。僕は郁にパンドラの役を振りたくはありません』
 それだけ言うと、プツリと通話が切れた。
(……そうか)
 中嶋は沈む夕陽を眩しそうに見つめた。ここが構内でなければ、一服したかった。
 長かった時間が……今、漸く終わろうとしていた。



2010.1.22
漸く総てが啓太へと収束しました。
中嶋さんと七条さんは最低限の言葉だけで、
意思の疎通をしているのかも。

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Café Grace
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