「あっ……」
 急に腰を引き寄せられて、まるで怯えているかの様に啓太の瞳がふるりと震えた。中嶋と肌を合わせるのは嫌ではない……が、内に込み上げる欲望を素直に認められるほど、啓太はまだ性に慣れていなかった。羞恥に彷徨う視線が無意識にベッドの上で留まった。恥じらいながらも多分に期待を孕んだ蒼い眼差し。それがどんなに男をそそるのか、支配欲を刺激するのか。啓太は全く気づいてなかった。まあ、こいつは一人しか経験がないから知りようもないか……
 ふっ、と中嶋は口の端を上げた。自分を待つ啓太の顎に繊細な指先をすっと滑らせ……しかし、不意にその動きが止まった。
 一体、この手でどれだけの者を抱いてきただろう。
 最初から性別は問わなかった。偏見さえ捨てれば、そこから得られる快楽に大差はない。だから、執着もしなかった……たとえ、相手がどう思おうとも。中嶋にとって星の数ほどいる人との関係は、夜に生まれて朝に消える水の泡に過ぎなかった。お陰で、年の割にはかなり淫事に精通してしまったが、そんな自分は汚れていると考える感傷は持ち合わせていなかった。ただ、なぜか今……いつまでも白い啓太の身体に触れるのを躊躇ってしまった。
「中嶋さん……」
 呼ばれて中嶋は小さな声で呟いた。
「何だ?」
「あの……っ……キス、して下さい……」
 頬を赤らめながら、啓太が中嶋を見上げた。
 何度、同じ夜を過ごしても自分から強請るのはとても抵抗があった。中嶋と比べて、これではあまりに余裕がない気がする。こんなこと言うから淫乱ってからかわれるんだろうな。でも、俺は総て中嶋さんのものだから……それでも、良い……
 そう思い切ると、啓太は両手を伸ばして中嶋の眼鏡をそっと外した。
「そうやって男を誘うのか、お前は?」
「違っ……!」
 咄嗟に反論しようとしたが、それより先に口唇が重なった。嘲笑にも似た言葉とは裏腹に、啓太をしっとりと包んでゆく口づけ。滑り込んできた熱い舌に口中を深く愛撫されると、直ぐに頭の芯が痺れてくる。
「……ふっ……んっ……」
 意識と感覚の総てが恋人へと向かってしまい、啓太は身体を支えようと夢中で中嶋の胸にしがみついた。そうして、いつ服を脱いだのか、脱がされたのかもわからないまま、気がついたらベッドに横たわっていた……
「あっ……っ……中嶋、さん……」
 舌先が首筋を伝う濡れた感触に啓太の口唇から甘い声が零れた。くすぐる様に鎖骨の線をなぞられ、肌がざわりと粟立つ。
「ふっ、もうこんなにしているのか?」
 中嶋が啓太の羞恥心を煽る様な口調で言った。薄く色づく実を大きく撫で上げられ、んっ、と啓太は息を詰めた。
「そういえば、お前は初めからここで感じていたな。こうして丸くなぞりながら、柔らかく揉み込んでやるだけで……」
「あ……はあ、んっ……」
 溢れる吐息を塞ごうと、啓太は口に手の甲を押し当てた。すると、中嶋が低く囁いた。
「啓太、以前にも言っただろう。声は惜しみなく上げて良い」
「……っ……はい……」
 恥ずかしそうに頷きながら、啓太は恍惚と恋人を見つめた。そこにあるのは、蒼い瞳の奥で欲情している中嶋の夜の顔。その冴えた美しさに自然と胸が高鳴り、ある感情が抑えられなくなる。早く、この人に抱かれたい……
 溶け始めた啓太の表情に中嶋は小さく喉を鳴らした。
「良い子だ……っ……」
「あっ……」
 胸に咲く飾りを口に含まれて反射的に啓太の背がしなった。舌で転がす様に嬲られながら、同時に指で反対側をきつく摘まれる。絶妙の緩急をつけて捏ね回されると、そこから新たな快感が次々と湧き起こってきた。
「ふ、あっ……んっ……ああ……」
 啓太は中嶋の両肩を掴んで身悶えた。その度に下肢の狭間に横たわる中嶋に腰が擦りつけられ、身の内に堪らなく熱が籠もってゆく……が、ふと微かな違和感を覚えた。中嶋が迷っている気がする。そのせいか、いつもの様に啓太を快楽の淵に追い込むことが出来なかった。
(中嶋さん……)
 密かに啓太は微笑んだ。この人は自分で思ってるよりもずっと優しいから、つい色々考え過ぎてしまう。もっと俺だけを見て。俺だけを望んで……
 啓太は中嶋の手を取ると、濡れそぼった中心へ自ら導いた。中嶋に強く握り締められた瞬間、身体が大きく震える。
「ああっ……」
 そのまま、巧みに扱かれた。艶めかしく身をくねらす度に桜色に染まった肌が濃艶な色香を放ち、ただ一人の男を誘う。一体、どちらだろう、この徒花を咲かせたのは……
(もっと乱れろ、啓太……俺を求めて)
 すっと中嶋が下へ滑った。
「あ、ああっ……!」
 熱い口腔に最も敏感な部分を包まれ、啓太の意識は一気に中嶋に侵蝕された。あまりに気持ち良くて腰が波打つのを止められない。更に追い討ちをかける様に蜜を纏った指が啓太の器となる場所へ潜り込んできた。
「だ、駄目っ……」
 両方から与えられる刺激に堪えかねて啓太は力なく中嶋の頭を押しやった。すると、あっさり中嶋は顔を上げた。しかし、ほっとする間もなく――……
「ん、ああっ……あっ……!」
 再び中心を掴まれた。
 内壁を押し広げる動きはそのままに中嶋は右肘で自分の身体を支えていた。そうして啓太が達しないよう器用に利き手の指を使い分け、根元を戒めつつ、敏感な先端の縁を擦り出した。
「やあっ、中嶋さんっ……!」
 沸点を越えた熱に涙が滲んだ。大きく広げた脚の間から響く淫らな音に無性に怖くなる。こんなふうに攻め続けられたら、多分……変わってしまう。自分一人では、この波に攫われて身も心もどこかへ流されてしまうだろう。快感は中嶋と一緒でこそ意味があるというのに……
「中嶋さんっ……ああっ……中嶋、さんっ……」
 必死に恋人を呼ぶ声に中嶋が静かに答えた。
「何だ?」
「……っ……あ……」
 朧に揺れる中嶋を啓太は夢中で引き寄せた。キュッと首にしがみつき、ありったけの言葉をかき集める。
「好き……中嶋さん……中嶋さんっ……」
「そうか」
「んっ……好き……」
「ふっ……」
 中嶋は密かに自嘲した。
(全く……俺としたことが、どうかしていた。何も複雑に考えることはない。こいつが求めるなら、与え続ける……これからも。ただそれだけ良い……)
 感触を確かめる様に中嶋は啓太の内腿を優しく撫でた。肌が粟立つ感覚に自然と腕から力が抜けてゆく。両足を抱え上げられ、蕩けた蒼穹がうっとりと中嶋を見上げた。
「さあ、啓太……どうして欲しい?」
 心地良い声音に、啓太から艶めかしい吐息が零れた。そして、我知らず、囁いていた。
「……中嶋さんが、欲しい……」
 その瞬間、一気に身体を貫かれた。
「は、ああっ……あっ……!」
 啓太の意思とは無関係に逃げようとする腰を掴み、中嶋が更に奥を穿った。息が詰まるほどの圧迫感に涙が溢れる……が、望んでいた感覚だけに啓太も自ら進んで求めてしまう。
「ああっ……あっ……ん、ああっ……」
 身の内を突かれると、痛みにも似た快感に眩暈がした。身体の芯に響く中嶋の熱と重みに何も考えられなくなる。ただ、中嶋のこと以外は……
「あっ……ああっ……中嶋、さんっ……」
 啓太は、まだ中嶋の肩に引っ掛かっていた両手で恋人を引き寄せた。霞む視界の中で中嶋の口唇が動いたが、何を言っているのか良くわからない。だから、代わりに綺麗な微笑を浮かべた。
「……啓太……っ……」
 中嶋が再び啓太に口唇を重ねた。喜悦に喘ぐ吐息ごと総てを奪う様な口づけ。啓太はそれを受け入れ、更に自分からも深く舌を絡めた。もっと……もっと中嶋さんが欲しい……
(……中嶋さん……)
 今、啓太は身も心も満たされていた。息苦しさと絶え間ない快感に朦朧としながら、その心は真っ直ぐ中嶋へ向けられている。人を愛することに性別は関係ないから。中嶋さんが中嶋さんでさえあれば、きっとまた俺は同じ路を辿る。愛してます、中嶋さん……愛、してます……
「……!」
 そのとき、中嶋が深奥を強く抉った。口唇が離れるほど大きく仰け反った啓太が悲鳴の様な声を上げた。その陰で低い呻きが聞こえた気がする。同時に自分の内に感じた中嶋の熱い迸りに、心が身体の快感を越える歓びに震えた。やがて力の抜けた腕がポスンとベッドに落ちた。
 啓太は幸福感に導かれるまま、意識を宙へと浮遊させていった……

「……」
 恍惚とした余韻がゆっくりと引いてゆく中で、啓太は誰かの責める様な、切ない様な視線を感じた。優しい人……と無音で囁く。
 求めたのは俺だから、そんなに心配しないで。俺は貴方が思うほど脆くはない。だって、貴方の心を抱いてるから。貴方は総て、俺のものだから……
(愛してます、中嶋さん……心から、愛してます)
 祈る様な気持ちで、啓太は暫く瞼を閉じていた。最初に映す怜悧なあの瞳が、いつも中嶋が殆ど口にしない想いを深く湛えた色彩(いろ)であって欲しいから。
 二人の想いが通じ合うまで、あともう少し……



2009.9.5
サイト・オープン二周年記念作品です。
隠れヘタレな中嶋さん。
さり気なく啓太に主導権を奪われています。
でも、そのことに啓太は気づいてなさそうです。

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Café Grace
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