開幕と同時に丹羽、中嶋、篠宮、岩井、成瀬、滝、遠藤、伊藤、海野、下手よりぱらぱらと登場。続いて西園寺、七条、上手より現れる。
西園寺:皆、揃った様だな。
七条 :はい、郁。
丹羽 :郁ちゃんが俺達を呼び出すなんて珍しいな。一体、どうしたんだ?
篠宮 :ああ、訳を説明してくれ。
西園寺:勿論だ。既に聞き及んでいると思うが、昨日、『高音の王様』と呼ばれた三大テノールの
一人が亡くなった。実にイタリア的な歌唱力を持ったあの声が永遠に失われたのは残念で
ならないが、その足跡は歴史に刻まれ、語り継がれてゆくことと思う。そこで、彼に哀悼の意
を表し、BL学園(ベル・リバティ・スクール)会計部主催による追悼オペラ公演を行うことにし
た。今日、ここに集まった者達にはそれに協力してもらう。
皆、一様にざわめく。
滝 :そんな無体な~
丹羽 :おっ、良いねえ。面白そうじゃねえか。
中嶋 :お前は単に騒ぎたいだけだろう。
伊藤 :オペラですか? 俺、良く知らないんですけど。
七条 :大丈夫ですよ。伊藤君は良い声をしていますから、練習すれば、きっと綺麗に歌えます。
篠宮 :やるのは構わないが、俺は歌など歌えないぞ。大道具係で良い。
岩井 :……俺は美術係が良い。
海野 :僕、特殊効果とかやりたいな。
遠藤 :あ~、俺は家の用事が……
伊藤 :えっ!? 和希、駄目なの? 折角、和希と同じ舞台に立てると思ったのに。
成瀬 :ハニーは元演劇部だったね。じゃあ、僕はハニーに演技を教えて貰おうかな。手取り、足
取り、じっくりと。嬉しいなあ!
遠藤 :俺も出ます!
成瀬 :無理しなくて良いよ、ハニーのお友達君。
遠藤 :無理なんてしていませんから。
成瀬 :そう、残念。
海野 :ねえねえ、西園寺君! 曲目は? 配役は決まってるの?
丹羽 :郁ちゃん、勿体つけずに早く教えろよ。
西園寺:今、考えているのは『トゥーランドット』だ。トリノの開会式で彼が歌ったアリアは、まだ記憶
に新しいだろう。
滝 :知らわ、そんなん。
西園寺:では、これより配役を決める、臣。
西園寺、目配せする。七条、前へ出る。
七条 :はい、郁……それでは、最初にトゥーランドットを決めたいと――……
丹羽 :俺、主役!
七条 :却下です。
丹羽 :何でだよ!
中嶋 :丹羽、タイトル・ロールは女だ。それでも良いのか?
丹羽 :げっ、マジかよ。俺、パス。
成瀬 :それなら、ハニーが良いよ。ハニーならドレスも良く似合うから。
遠藤 :確かに……
滝 :写真も良う売れたしな。啓太で決まりや!
伊藤 :俺!? まあ、女の子いないから仕方ないけど……七条さん、トゥーランドットってどういう
人なんですか?
七条 :中国の美しい王女です。求婚者に三つの難題を出して答えられないと首を刎ねる冷酷非
情な鬼畜です。
滝 :……何や、どっかの誰かさんみたいやな。
皆、さり気なく視線を中嶋へ向ける。
丹羽 :ヒデ、お前がやったらどうだ? 地でいけるぜ。
中嶋 :後でお仕置きだな、哲ちゃん。
丹羽 :ははっ、冗談だって。そうだ、郁ちゃん! 自分で言い出したんだから、勿論、参加するだ
ろう? なら、この役は郁ちゃんで決まりだ。美人だし、ピッタリじゃねえか!
西園寺:駄目だ。私は演出担当だ。
丹羽 :え~、そりゃねえよ。
伊藤 :あっ、西園寺さん、音痴だから……
七条 :それは内緒ですよ、伊藤君。
遠藤 :う~ん、冷酷非情な王女か。啓太には合わないな。
成瀬 :うん……残念だけど、ハニー向きじゃないね。ハニーは尽くすタイプの役が似合うんじゃな
いかな。あっ、以前、ロンドンで見た『椿姫』なんて良いと思うんだけど。
海野 :あっ、それなら僕も知ってるよ。恋人のために身を引く悲劇の女性だよね。
遠藤 :駄目ですよ、海野先生、啓太に娼婦の役はやらせません。
中嶋 :何だ、啓太、誘っているのか?
中嶋、腕を組み、酷薄な微笑を啓太に向ける。啓太、後ずさる。
伊藤 :い、いえ……そんなことは……
岩井 :……俺は『蝶々夫人』が良いと思う。
遠藤 :岩井さん! 蝶々夫人は二股を掛けられた挙句、自殺するんですよ。それでは、啓太が
可哀相過ぎます!
篠宮 :卓人、お前は……
七条 :『椿姫』、『蝶々夫人』ときたら、次は『カルメン』ですね。これで三大オペラが総て出揃いま
した。
成瀬 :良いねえ、愛と情熱の女、カルメン!
中嶋 :ああ、特に男を手玉に取るところは啓太そっくりだな。
伊藤 :中嶋さん、俺、そんなことしてません。
中嶋 :お前が気づいていないだけだろう。
丹羽 :ああ、そうだな。
伊藤 :王様~
滝 :罪作りな奴やな、啓太。
成瀬 :俊介、ハニーに罪はないよ。綺麗な花が魅せるのは仕方のないことだろう?
七条 :伊藤君はモテモテですから。
伊藤 :七条さんまでそんなこと言うんですか!?
遠藤 :駄目! 駄目! カルメンなんて絶対、駄目だっ!!
遠藤、皆の前に立ちはだかる。
伊藤 :和希、やっぱり和希だけはわかっ――……
遠藤 :カルメンは最後、嫉妬に駆られたドン・ホセに殺されるんだよ、啓太! そんなものあまり
に現実的過ぎて俺は見ていられない!
伊藤 :……和希。
丹羽 :おい、遠藤! そんなこと言ってたら、決まんねえだろう!
遠藤 :何と言われても駄目なものは絶対に駄目です! 啓太を不幸にするのは、この俺が許さ
ない!
丹羽と中嶋、声を潜める。
丹羽 :あ~あ、瞳が鈴菱モードに入ってやがるぜ。
中嶋 :あいつ自身がドン・ホセになりそうだな。
篠宮 :全く……これでは纏まらんな。そうだ。伊藤は何か希望はないのか?
伊藤 :俺ですか? う~ん……あっ、以前、音楽の授業で凄く綺麗なアリアを聴いたことがありま
す。確か『トリスタンとイゾルデ』ってオペラの……
遠藤 :『愛の死(リーベス・トート)』か!?
伊藤 :うん、それ。良く知ってるね、和希。
遠藤 :そうか! 啓太もワーグナーが好きなのか! よし、それにしよう! ドイツ・オペラでも良
いですよね、西園寺さん! 勿論、啓太がイゾルデで!
西園寺:ああ、別にイタリア・オペラに拘るつもりはないが……臣、遠藤はワグネリアンか?
七条 :その様ですね。ワグネリアンには熱狂的な人が多いですから。
滝 :それ、どんな話なんや?
西園寺:愛の秘薬を飲んで恋に落ちたトリスタンとイゾルデの悲恋をワーグナーが楽劇にしたもの
だ。
七条 :最後はトリスタンもイゾルデも死にます。
滝 :何や、これも不幸やないか。それでも良いんか、遠藤?
遠藤 :確かにトリスタンはイゾルデの腕の中で死ぬけれど、イゾルデも生命の炎を燃やして『愛
の死(リーベス・トート)』を、トリスタンへの愛の成就を高らかに歌い上げるんだ。そして、後
を追う様に死んでゆく。それは一種、究極の愛の形だろう? 現実に死ぬことは出来ない
が、舞台の上で、俺は啓太にそこまで想われてみたい!
滝 :バリバリ私情、入ってるな。
成瀬 :ハニー、僕のために愛を歌ってくれるんだね!
丹羽 :啓太の膝枕か。良いねえ。
中嶋 :ああ、啓太で腹上死も悪くない。
伊藤 :何を言ってるんですか、中嶋さん!
七条 :伊藤君、下種な考えしか出来ない人の言葉を耳に入れる必要はありませんよ。君は僕だ
けを感じていれば良いんです。
中嶋 :獣姦とはそれこそ鬼畜な発想だな、女王様の忠犬。
七条 :ふふふっ……
中嶋 :ふっ……
中嶋と七条、互いに睨み合い、冷たい微笑を浮かべる。
伊藤 :あ……あの……二人とも……?
間に挟まれ動揺する啓太の腕を丹羽が掴む。
丹羽 :啓太、そんな処にいたら凍死するぜ。
伊藤 :はい……
西園寺:啓太のイゾルデは良いが、トリスタン立候補者が多過ぎるな。
篠宮 :ああ、丹羽、中嶋、七条、成瀬、滝、遠藤……計五名、か。
滝 :あっ、寮長さん、俺もパスや。あん中に入ってったら、俺、潰されちゃいますわな。
海野 :そうだね。
岩井 :……どうする、篠宮?
篠宮 :ふむ……
丹羽 :全く……これじゃ埒が明かねえ。よし、啓太! お前の相手役だ。お前が選べ!
丹羽、伊藤を指差す。
伊藤 :えっ!? 俺が勝手に決めても良いんですか?
遠藤 :大丈夫。誰も文句は言わないよ。
成瀬 :勿論、ハニーは僕を選んでくれるよね。
中嶋 :素直になれ、啓太。
七条 :伊藤君、君が好きな人を言えば良いんですよ。
西園寺、ハッと息を呑む。篠宮、岩井、海野、滝、それぞれ首を捻る。
篠宮 :七条、それはどういう意味だ?
七条 :トリスタンはイゾルデの恋人なんですよ。僕達は素人ですから、気持ちの通じ合っている
者同士でなければ、感情の籠もった演技をすることは出来ません。トリスタン立候補者は全
員、伊藤君に好意を持っていますから、後は伊藤君の気持ち次第ということです。
伊藤 :あ……えっと……その……
伊藤、そわそわと身体を動かす。
西園寺:待て、啓太、気が変わった。私も立候補する。
七条 :おや、郁、良いんですか?
西園寺:……啓太のためだ。
滝、海野、篠宮、岩井、順番に手を上げる。
滝 :あの~、俺も参加しようかなて思うんやけど……
海野 :あっ、僕も!
篠宮 :ふむ、少し事情が変わったな。俺も立候補しよう。
岩井 :……俺も。
伊藤 :結局、全員じゃないですか!
西園寺:そういうことになるな。
遠藤 :啓太、恥ずかしがらないで。皆、啓太の告白を待っているんだ。啓太が誰を選んでも、そ
れは啓太の自由だから、誰も啓太を恨んだりはしないよ。そのくらいの思慮分別はあるから
安心して言って良いんだよ。
七条 :相手の人にまで、それが及ぶとは限りませんが。
中嶋 :言え、啓太。
伊藤 :あ……あの……
伊藤、おろおろと周囲を見回す。
篠宮 :伊藤の正直な気持ちを聞かせてくれ。
岩井 :……俺も、それが知りたい。
滝 :俺かてそうや!
海野 伊藤君、トノサマも待ってるから。
伊藤 :その……俺……俺は……
伊藤、じりじりと後ずさる。
丹羽 :啓太、こっち来いよ!
中嶋 :来い、啓太。
西園寺:啓太、私の処へ来い!
七条 :伊藤君、来てくれますね?
成瀬 :さあ、ハニー! 遠慮せずに、僕の腕の中に!
遠藤 :啓太、俺を信じて! 俺が必ず護るから!
全員 :啓太っっっ……!!!
篠宮のみ『伊藤っ!!』、七条、海野は『伊藤君』と叫ぶ。
伊藤 :そ……そんなの……俺、言えませんっ!!
伊藤、逃げる様に上手より退場する。
中嶋 :逃がすな、丹羽!
丹羽 :おうっ!!
丹羽、中嶋、上手より退場。遠藤、成瀬、篠宮、岩井、滝、海野、口々に叫びながら、その後を追って上手より退場する。
西園寺:臣!
七条 :総ての出入口は完全に閉鎖しました。もう袋の鼠です。
西園寺:ならば、私達も行くぞ。
七条 :はい、郁。
西園寺、上手に向かおうとして立ち止まる。
西園寺:……臣、啓太を鼠呼ばわりするな。たとえるならば、あれは純白の翼を持つ美しい鳥だ。
七条 :すみません。僕の失言でした。郁の言う通りですね。出来ることなら僕も伊藤君にはいつ
までも自由に羽ばたいていて欲しいです。でも、鳥にも休む場所は必要ですからね。今回は
強硬手段を取らせて頂きます。
西園寺:私達も、そろそろ迎えに行かないとな。
七条 :どの枝に止まるでしょうか?
西園寺:それを今から確かめる。行くぞ、臣。
七条 :はい、郁。
西園寺と七条の退場に合わせて幕が下りる。
2007.9.12
ルチアーノ・パバロッティ死去に伴い
哀悼の意を表して緊急に書き上げたのですが、
なぜかコミカルになってしまいました。
氏自身、陽気な方でしたから、
そのせいかな。
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