Side of 和希

「……!」
 丹羽と岩井、篠宮が僅かに身を捻ったその隙間から和希は目聡く啓太を見つけた。
「啓太!」
 異変を感じた和希は慌てで啓太に駆け寄った。心配そうに顔を覗き込む。
「啓太! どうし――……」
 言葉が途切れた。すかさず篠宮が訳を説明した。
「どうやら伊藤は間違って酒を飲んでしまったらしい。伊藤が気がつくまで二人にここで面倒を見させるから、遠藤、お前はもう部屋へ戻れ。直に点呼だ」
「いえ、啓太は俺が見ます」
 和希はきっぱりそう言うと、静かに啓太を抱き上げた。岩井が、すまない、と謝った。悪かった、と丹羽も頭を下げて和希のためにドアを開けてやった。和希は小さく苦笑した。寮内は禁酒だが、それを律儀に守る者など誰もいないことは知っていた……堅物の篠宮も含めて。自己の許容アルコール摂取量の範囲で飲む分には和希も細かく咎めるつもりはなかった。ただ、今度からは場所を選んで下さい、と小声で丹羽に囁いた。そして、真っ赤な啓太を連れて談話室から出て行った。

 自室に戻ると、和希は啓太をベッドに横たえた。ジャケットを脱がせ、息苦しくない様にネクタイを緩めてシャツのボタンを一つ二つ外す。啓太は顔どころか首や胸まで薄紅に染まっていた。
(これは……二日酔いになるかもしれないな。明日の朝は血糖値がかなり低下しているから、果糖を多く含むものを飲ませよう。確か朝食メニューの中にミックス・ジュースがあったはずだ。もし、気分が悪いようなら、点滴を受けさせるか。血中のアルコール濃度を素早く下げるには、それが最適だからな。ブドウ糖か生理食塩水を……ああ、でも、啓太は針を刺すのを嫌がるかもしれないな)
 今後の対応を考えながら、和希は啓太の枕元に腰掛けて癖のある柔らかい髪を優しく梳いた。そうして静かに小一時間が過ぎた。和希は飽きもせず、ずっと啓太を見つめていた。すると、突然、伏せた瞼がふるりと震えた。ゆっくりと二つの蒼穹が開く。
「あ……気がついた? 気分はどう、啓太?」
「……」
 啓太はぼんやりと身を起こした。水でも飲む、と訊かれて無邪気な微笑を浮かべる。和希は立ち上がると、部屋に置いてある啓太のマグカップにミネラル・ウォーターを注いだ。その間、啓太はベッドから下ろした足をプラプラ揺らして遊んでいる。
「はい、啓太」
「……ん……」
 啓太はカップを両手で包み込む様にして受け取ると、上目遣いに和希を見つめながら、そっと淵に口唇をつけた。瞳を伏せ、コクリと水を飲み込む。んっ、と甘い声が鼻から抜けた。
「あっ、ほら、零れているよ」
 口の端から溢れた雫を拭おうと和希がハンカチを出すと、啓太は顎を上げてうっとり瞼を閉じた。
「……」
 和希の指が小さく頬を掻いた。
 今の啓太は完全に子供に返っていた。無垢な表情、緩慢な動作、拙い発音。あまりの稚さに触れることさえ躊躇われる……が、身に纏うのは紛れもない夜の艶で、それは無意識に和希を誘っていた。
(啓太を子供と思ったことはないが……)
 理性と情欲の狭間で揺れる和希を啓太が不思議そうに眺めている……ちょこんと首を傾げて。その仕草に幼き日の啓太が蘇ってきた。どうしたの、かず兄……
(……これは犯罪だな)
 啓太に関しては往々にして沈黙する理性が、今回は罪悪感に突き動かされて勝利した。和希はふわふわと啓太の頭を撫ぜた。
「それを飲んだら寝ようか、啓太? 今夜は俺が付き添ってあげるから」
「ん……良いよ。でも……」
 舌足らずに答えた啓太はそこで言葉を切ると、空のマグカップを差し出した。ああ、おかわりか。そう思って和希がそれを取ろうとした瞬間、啓太はパッと両手を放した。
「……っ!!」
 咄嗟に片膝をついた和希は床すれすれで辛うじてマグカップを受け止めた。ほっと胸を撫で下ろす。
「駄目だろう、啓太、悪戯したら」
 めっ、と優しく怒った。すると、啓太はクスクス笑いながら、和希の肩に右手を置いて身を乗り出してきた。顔を近づけ、瞳をじっと覗き込む。微かに開いた口唇から零れる熱い吐息が和希の鼻をくすぐった。
「……ごめん、和希」
 啓太は和希の耳元に小さく口づけた。
「じゃあ、もう寝るから……これ外して?」
 ゆっくりと啓太は和希に左手首を見せた。ああ、袖のカフスか。わかった、と和希は頷いた。マグカップを机に置き、クスッと笑う。
(たまにはこういうふうに甘えられるのも悪くないな)
 そして、にこやかに振り返って……固まった。
 両腕を脇に垂らした啓太は胸を軽く前に突き出していた。幼い啓太は、よくそうやって和希に着替えさせてと頼んだ。あの頃は啓太が自分を慕ってくるのが嬉しくて何の躊躇いもなく服を脱がすことが出来た……が、今は違う。啓太の甘い肌を知ってしまった以上、否が応でも思い出してしまう……幾度となく過ごした二人の夜を、あの快楽を。
「……」
 啓太は黙って和希を待っていた。自分で着替える気配は微塵もない。和希は密かにため息をついた。今夜は長くなりそうだ……
 和希は啓太の前に跪くと、胸のボタンを一つ外した。綺麗な長爪の先が微かに肌を掠め、啓太がもじもじと身を捩った。
『……啓太はくすぐったがり屋さんだね……』
 昔、和希はそう言ったことがあった。しかし、今は別の意味を籠めて囁く。啓太は本当に敏感だね……
(何を考えているんだ、俺は!)
 好からぬ考えを振り払って、和希は次のボタンに手を掛けた。啓太がやたらと動くのでやり難いが、和希は丁寧に一つずつ外してゆく。徐々に露になる白い肌に無意識に目が宙を泳いだ。そのとき、つるっとボタンから指が滑った。
「んっ……!」
 不意に身体に触れられ、啓太が跳ねた。あっ、ごめん。慌てて引っ込めた和希の手を、すかさず啓太が捉える。
「啓太……?」
「ねえ、和希は俺のこと……欲しくない?」
「……酔っているね、啓太」
「でも、自分が何を言ってるかは、ちゃんとわかってる」
 啓太は艶めかしく指を絡めてきた。いつの間にか、幼さは消えて夜の顔になっている。和希はずっと燻っていた情欲が自分の中で波打つのを感じ、慌てて目を逸らした。和希、と啓太が耳元で蠱惑的に囁いた。
「俺は、和希が欲しい……今、凄く。だから、頂戴?」
「……啓太」
 ひび割れた和希の理性で、その誘惑に抗うことはもう出来なかった。和希は欲望のままに啓太の口唇を奪うと、その身体をベッドへと押し倒した。

「はあっ……あっ……ん、ああっ……」
 ベッドに四つ這いになった啓太を和希は後ろから深々と貫いていた。既に一度、達した身体は完全に弛緩し、また敏感になっている。戯れに和希が緩く動くだけでも、啓太は切なげに啼いた。顔こそ見えないものの、腰に響くその甘い嬌声といつも以上に熱く絡みつく内なる啓太の感触に和希は眩暈がしそうだった。
「啓太……っ……」
「……あ……和希……もっと……」
「ああ……」
 和希は啓太の柳腰をしっかり掴むと、自らを強く打ちつけた。悲鳴の様な声が上がる……が、ぎりぎりまで身を引くと、啓太は呑み込んだ和希を離すまいと妖しく内壁を蠢かせた。深く浅く繰り返される律動に、濡れそぼった啓太の中心から悦びが溢れ、その雫が淫らに腿を伝ってゆく。
「あっ、ああ……ああっ……」
 ベッドに肘をついた啓太は堪える様に左手でシーツを握り締めた。縦横無尽に身の内をかき混ぜられる感覚に何も考えられなくなる。ただ、限界が迫ってくることしかわからなかった。
 啓太は顎を引き、僅かに和希を振り返った。
「……もう……駄目……和、希……」
「まだだよ、啓太……」
 和希の指が前へと滑り、啓太をきつく戒めた。もう少しだけ、この感覚を味わっていたいから……
「や、あっ……!」
 ポロポロと啓太の瞳から涙が零れた。キュッと身体が収縮し、内部にいる和希を強く締めつける。
「くっ……啓太っ……!」
 啓太を穿つ和希の動きが更に激しさを増した。それに合わせて二人の息も大きく弾み、乱れてゆく。快楽の夜に、まだ終わりは見えなかった……

 翌日、啓太はベッドの中でミックス・ジュースを飲んでいた。和希はニコニコしながら、椅子に座ってそれを眺めている。
「啓太が二日酔いにならなくて本当に良かったよ」
「……代わりに動けなくなった」
 啓太が、むっとした口調で言った。
「そんなことはないだろう? 明日の体調がわからないから、寧ろ、いつも以上に抑えていたし」
「……それ、本気で言ってるのか、和希?」
 じと~っと啓太は和希を睨んだ。
 確かに啓太が達した回数は少なかった……が、代わりに一回が長かった。込み上げる欲望を手で塞き止められ、何度も内奥を突き上げ、穿たれた。お陰で、啓太はまだ足腰がふらふらしていた。そんな状態で食堂へ行くのが恥ずかしくて、今、啓太はベッドの住人となっている。和希が困った様に頬を掻いた。
「あ~、だけど、一つ言わせて貰うと、俺はきちんと寝かせるつもりだった。でも、啓太が……啓太の方から誘ってきたんだよ、俺が欲しいって」
「……!」
 ポンッと啓太が赤くなった。和希が小さく口の端を上げた。
「忘れたとは言わさないよ、啓太」
「お、覚えてるよ、ちゃんと」
「良かった」
 ふわりと和希は微笑んだ。啓太は耳まで真っ赤になって俯いた。
(お酒で記憶が飛ぶ話はよくあるのに、どうして俺はこんなにしっかり覚えてるんだろう。絶対、不公平だ!)
「決めた!」
 キッと啓太は顔を上げた。
「何を決めたんだ、啓太?」
「俺、もうお酒は飲まない!」
「えっ!? どうして急にそんなことを……あっ、寮則に禁酒とあるからか? でも、嗜む程度なら俺は別に構わないと思っているから。外国ではワインなど子供のときから――……」
「和希、ここは日本! お酒は二十歳になってから! 未成年者の飲酒は法律で禁じられてますって書いてあるだろう!」
「そんな……」
 明らかに狼狽した声で和希が呟いた。恥ずかしがり屋の啓太から、夢のお誘いを貰う方法が漸くわかったというのに……今度は計画的に飲ませて、自分の望むがまま、啓太を乱れに乱れさせようと思っていたのに……そんなに何年も待ってはいられない!
「啓太、お酒にはビールやワイン以外にも色々な種類があるんだよ」
「ふ~ん、でも、俺には関係ないから」
 コクリと啓太はミックス・ジュースを飲んだ。
「苺のお酒もあるよ」
「えっ!?」
 啓太が微かに色めき立った。和希は平静を装って更に言葉を続けた。
「苺のリキュールは啓太が好きそうなのにな。甘いから食後酒やカクテルに最適だし、何より色合いがとても綺麗なんだ。リキュールは『液体の宝石』と呼ばれているんだよ。ああ、そうか……啓太は駄目なのか。昨日、岡田に啓太の苺好きのことを話したら、出張のお土産に買ってくると言っていたのに……残念だけど、仕方ないな。週末に俺一人で飲むことにするよ。啓太はもう暫くの辛抱だな……二十歳になるまで」
「……」
 無言で啓太はグラスを見つめた。確かにジュースも好きだが、酒も……嫌いではなかった。飲むと身体がふわふわして何だか気持ち良くなってくる。一体、どんなお酒なんだろう、苺のリキュールって。きっと赤くて、甘くて、苺の香りが一杯して……美味しいんだろうな。
「……和希」
「何、啓太?」
 にっこりと和希が言った。啓太は、もじもじと指を動かした。
「えっと……俺、少し言い過ぎたかな、と思って。嗜む程度のお酒なら……良いよ」
「そうか。そう言ってくれて嬉しいよ、啓太、なら、これからも一緒に飲めるな」
「うん」
 啓太は元気良く頷いた。
 和希は一人密かにほくそ笑んだ。早速、岡田に連絡して苺のリキュールを買わせなくては……!

 その週末、啓太は人生における最大の教訓を学んだ。酒は飲んでも、飲まれるな。和希が暫く啓太に触れさせて貰えなかったのは言うまでもない。



2008.9.26
ビールのテキーラ割りは、
まろやかな喉越し……ただ、酒量には注意しましょう。
苦味を消したいなら、
オレンジ・ジュースを入れるのも良いです。

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Café Grace
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