Side of 中嶋

「……!」
 丹羽と岩井、篠宮が僅かに身を捻ったその隙間から中嶋は目聡く啓太を見つけた。椅子に座って俯いている啓太に、中嶋の表情がにわかに険しくなる。すかさず篠宮が訳を説明した。
「どうやら伊藤は間違って酒を飲んでしまったらしい。伊藤が気がつくまで二人にここで面倒を見させるから、中嶋、お前はもう部屋へ戻れ。直に点呼だ」
「いや、こいつらはかなり飲んでいる。酔人に任すより、俺が見た方が良いだろう」
「確かに……」
 篠宮は呟いた。
 丹羽の酒豪は有名だが、実は密かに岩井はそれ以上の蟒蛇だった。凡そ酔いというものを知らない。そんな二人が一緒に飲んで尋常な酒量と考えること自体が間違っていた。
「わかった。名簿には伊藤は自室にいたと記入しておこう。伊藤のことは任せたぞ、中嶋」
「ああ」
 中嶋は小さく頷くと、眠っている啓太を静かに抱き上げた。岩井が、すまない、と謝った。悪かった、と丹羽も頭を下げて中嶋のためにドアを開けてやった。中嶋が小声で囁いた。
「明日は覚悟しておけ、丹羽」
「……!」
 一瞬だけ冷気を放つと、中嶋は真っ赤な啓太を連れて談話室から出て行った。

 自室に戻ると、中嶋は啓太をベッドに横たえた。ジャケットを脱がせ、息苦しくない様にネクタイを緩めてシャツのボタンを一つ二つ外す。啓太は顔どころか首や胸まで薄紅に染まっていた。
(意識のない者を襲う趣味はないが……)
 中嶋は苦笑した。
 胸元をはだけてベッドに横たわる啓太は妙に艶めかしかった。その姿が浅く早い呼吸音と合わさって、まるで情事の最中の様な錯覚を起こさせる。中嶋は窓辺に寄り掛かると、気を紛らわそうと煙草に火を点けた。直に目を醒ますだろう。それまで待つか……
 ……一時間後。突然、伏せた瞼がふるりと震えた。ゆっくりと二つの蒼穹が開く。
「気がついたか?」
「……」
 啓太はぼんやりと身を起こした。中嶋がミネラル・ウォーターをマグカップに注いで差し出すと、啓太は両手で包み込む様にしてそれを受け取った。上目遣いに中嶋を見つめながら、そっと淵に口唇をつける。
「全く……こんな時間に丹羽達がお茶を飲むと思うか? お前は良く状況を考えて行動しろ」
 んっ、と啓太は頷いた。口の端から水が零れ、透明な雫がすっと顎を伝った。啓太はそれを拭いもせず、ゆっくり水を飲み続けた……コクリ、コクリと。中嶋はそんな啓太をただ見ていた。やがてマグカップが空になると、はい、と啓太は無邪気に中嶋に返した。中嶋は僅かに眉を上げたが、黙ってそれを机に置いた。
「中嶋さん」
 ベッドから下ろした足をプラプラ揺らしながら、啓太が声を掛けた。
「何だ?」
「色々有難うございます」
「礼を言われるほど幾つもした覚えはない。それよりも、お前は俺の手を煩わせたことを謝るべきではないのか?」
 静かに腕を組むと、中嶋は厳しくそう言った。すると、啓太は足を止めて、ちょこんと首を傾げた。
「でも、謝るよりお礼の方が気持ち良いでしょう? 全部、俺を心配してのことなんだから」
「そう思うか?」
 中嶋は僅かに顎を上げ、威圧的な態度で啓太をじっと見据えた。普段の啓太なら、それで直ぐ顔色を変えた……が、今は違う。まるで天の高い場所から地で足掻く子を見つめる様な眼差しを、逆に中嶋へと向けてきた。
「他にどう思えって?」
「……!」
 一瞬、中嶋は返事に窮してしまった。子供に返った様だと思っていたら、いきなり大人の顔で見下ろしてきた。ふっ、面白い……
 長い指がクイッと啓太の顎を捉えた。我知らず、口の端が歪む。
「どうやらお前にはお仕置きが必要な様だ」
「貴方に、それが出来るなら」
 クスッと啓太が笑った。
「良いだろう……誘ったのはお前だ、啓太」
 中嶋は欲望のままに啓太の口唇を奪うと、その身体をベッドへと押し倒した。

 酔った啓太はいつも以上に敏感だった。中嶋の触れる先から次々と火が点き、はしたないまでに自らを濡らしてゆく。まさに男に抱かれるためにある身体だな。そう中嶋が揶揄すると、膝立ちになって中嶋の上に身を沈めようとしていた啓太は濃艶に微笑み返した。
「あっ……ああ……んっ……」
 ゆっくりと身体を貫く異物の不快感に、まだ幼さの残る頬を涙が伝った。不安定に揺れる上体を中嶋が腰を取って支えると、啓太はキュッとその腕を掴んだ。礼を言う様に小さく瞳を伏せる。そして、更に深く身を落とした。
「は、ああっ……!」
「……っ……!」
 中嶋は僅かに眉を寄せた。
 啓太の内は既に眩暈がしそうなほど熱く蕩けていた。すぐさま激しく突き上げたい衝動に駆られたが、まずは啓太の様子を窺った。
 漸く総てを収めた啓太は中嶋の腹部に両手をつき、体内で荒れ狂う熱を整えていた。かなり体力を消耗したのか、足が微かに震えている……が、その振動でさえ今は身体を甘く疼かせるらしく、喘ぎ混じりの悩ましい吐息をついていた。すっと中嶋の手が脇を滑った。
「あ、んっ……!」
 ピクンと啓太が仰け反った。すると、奥まで呑み込んだ中嶋の位置が変わり、新たな快感が背筋を走った。自然に啓太は丸く腰を揺らし始めた。
「ん……あ……っ……」
 緩やかに身の内をかき混ぜていると、快楽が波の様に寄せては返してゆく。それだけで充分、啓太は気持ち良かった。しかし、中嶋によって深く男を教えられた身体はこれでは足りないと叫んだ。もっと、強い快感を! もっと……!
 啓太は無心に腰をくねらせた……が、なかなか思う様な感覚が得られない。拙い啓太の動きでは、中嶋が与えてくれるほどの快楽には至らなかった。自分で抜き差ししようにも足には全く力が入らない。こうして跨っているだけで、もう精一杯だった。無意識に啓太は右手を自分の中心に伸ばした。優しく握ると、かなり焦れていたのか、肌が一気に粟立つ。その波を追って、すぐさまそれを扱き始めた。そこに技巧は全くない。ただ先端から溢れる蜜を指に絡めて塗り広げる様に何度も擦るだけ。それでも、腰が悦ぶのがわかり、啓太は更にその行為に没頭した。いつの間にか、左手は胸の飾りを弄っている。指で摘んで転がすと、そこからも甘い疼きが湧き起こった。しかし――……
「あ……やだあ……」
 ポロポロと涙が零れた。
 まだ何かが欠けていた。しかも、決定的に。啓太は直ぐその理由がわかった。身体を上下に動かせなければ、これ以上の快感を得ることは出来ない。幾ら手や腰を回しても刺激が強くなった分、逆に内なる熱が更に煽られてゆくだけ……
 啓太は縋る様に恋人を見つめた。
「中嶋さん……中嶋さん、も……動いて……」
「もう限界か、啓太?」
「んっ……」
 コクコクと啓太は頷いた。そんな子供の様な啓太を中嶋は面白そうに見上げた。
「先に誘ったのはお前だ。なら、一度でも俺を楽しませてみろ」
 すると、ふっと啓太の表情が変わった。
 啓太は両手を中嶋の胸につくと、慎重に身を屈めた。顔を近づけ、瞳をじっと覗き込む。微かに開いた口唇から零れる熱い吐息が中嶋の鼻をくすぐった。キスするつもりか、と中嶋は思った。しかし、予想に反して啓太は直前で顔を逸らすと、中嶋の耳元で蠱惑的に低く囁いた。そして、小さくそこに口づけた。
「……」
 クッと中嶋の喉が鳴った。啓太は媚びることも、強請ることもしなかった。ましてや、愛を告げることも。ただ、一言……
『……意地悪……』
 艶めかしく上体を起こした啓太は慈しむ様な瞳で中嶋を見下ろした。
 子供から大人の顔へ……この不安定さは酒のせいなのか、過渡期の今だからこそのものなのか。中嶋には判断がつかなかった。しかし、一つだけ……はっきりとわかることがあった。いつかお前は誰をも魅了する者になるだろう。なら、今の内にお前の心と身体の総てに深く刻み込んでおかなければならない。お前は俺のものだということを……!
「あっ、何!? やあっ……!」
 突然、啓太は中嶋と繋がったまま、仰向けに押し倒された。覆い被さった中嶋に大きく膝を割られ、グッと深奥を抉られる。啓太は悲鳴の様な声を発し、シーツを強く握り締めた。しかし、求めていた快感に啓太の意識は直ぐに熱く溶けてゆく。
「啓太、お仕置きはこれからだ」
 中嶋の口唇が歪な線を描いた。啓太はそれを濡れた瞳で見上げて妖艶に微笑んだ。
「あ……貴方に、それ、が出来るなら……」
 啓太は両手を中嶋の首に絡めて自分の方へ引き寄せた。同時に内壁がキュッと中嶋を締めつける。中嶋の目が僅かに細まった。
「……良いだろう」
 そして、中嶋の激しい律動が始まった。快楽の夜に、まだ終わりは見えなかった……

 翌日の放課後、煌く木漏れ日の中で啓太は無邪気に眠っていた。何か夢でも見ているのだろう。時折、小さな微笑が浮かんでは消えてゆく。中嶋は短く嘆息した。サーバー棟へ書類を届けに行ったきり戻って来ないと思ったら、全く……呆れた奴だ。中嶋は腰を屈めて啓太の顔を覗き込んだ。
(こんな処で良く眠れるな)
 そよ風が引っ切り無しに癖のある柔らかな髪を揺らしていた。芝生は無造作に投げ出された腕をくすぐり、陽射しは隙あらば寝込みを襲おうと上空から眩しく周囲を照らしていた。その向こうでは恐らく夜の星々までもが控えているに違いない。あらゆる存在が啓太の注意を引こうと、かしましいほどに騒ぎ立てていた。しかし、肝心の啓太はそんなことは露ほども知らず、まるで幼い子供の様にすやすやと安らかな寝息を立てていた。これが昨夜、自分の上で下で淫らに腰を振っていた者とはとても思えなかった。
 ふっ、と中嶋は苦笑した。
(少し無理をさせたか。だが……)
 啓太の耳元に口唇を近づけると、中嶋は小さく囁いた。あんな顔で俺を誘ったお前が悪い。
 それが聞こえたのか、啓太が何か呟いた。意識が覚醒し始めている……が、眠りはまだ強く啓太を捉えて離さなかった。再び夢の底に沈みそうな啓太を中嶋の声が揺さぶった。
「淫乱」
「……!」
 ハッと啓太は目を開けた。すると、そこには怜悧な瞳をした中嶋の顔があった。
「な、中嶋さん!?」
「ほう? お前にしては、すんなりと起きたな。昨夜の夢でも見ていたのか?」
「ち、違います!」
 慌てて啓太は首を振った。実は当たらずしも遠からずだったが、それを素直に認めることは出来なかった。
「もっと普通の夢です」
「そうか」
 中嶋が面白そうに口の端を上げた。啓太は顔が赤くなりそうなのを必死に堪えて言った。
「中嶋さんこそ、もっと普通に起こせないんですか? あんなこと言われたら誰だって驚いて一発で目が醒めますよ」
「なら、寝起きの悪いお前には丁度良いな」
「中嶋さん!」
 啓太は剥れた顔で立ち上がった。中嶋が喉の奥で低く笑った。
「しっかり頭も醒めた様だな。なら、寮へ帰るぞ」
「えっ!? だって、まだ仕事が……」
「丹羽がやっている。元々あいつの仕事だ」
「そうですけど……でも、王様が良く言うことを聞きましたね」
「……ふっ」
 中嶋の口唇が微かに歪んだ。あっ、と啓太は直感した。
(中嶋さんがこういう顔をするときって、絶対、何かやってるんだよな。王様、中嶋さんを怒らせる様なことしたのかな。それとも、毎日、サボってばかりいるから、とうとう堪忍袋の尾が切れたとか。だったら、自業自得だけど……ちょっと可哀相かも)
 丹羽に少し同情していると、中嶋が啓太に鞄を渡した。
「あっ、持って来てくれたんですか?」
「お前があそこへ戻ったら、丹羽に良い様に使われるだけだからな」
「そう、ですね」
 じっと啓太は中嶋を見つめた。ある考えが頭に浮かぶ。これって……もしかして、俺を休ませるためかな。正直、まだ少しだるいし。昨夜は中嶋さん、なかなか放してくれなかったから――……
「置いて行くぞ」
「あっ、待って下さい、中嶋さん」
 啓太は中嶋の横に立って並んで歩き始めた。暫くして、不思議そうに中嶋を見上げる。
(歩調がいつもより緩い。中嶋さんも疲れてるのかな。それとも……俺に合わせてるのかな)
 しかし、理由などどうでも良かった。中嶋に訊いたところで話してくれるはずもないから。なら、自分の好きな様に取った方が幸せだろう。勿論、啓太は後者を選んだ。でも、案外、それって外れてない気がする……
 啓太は嬉しそうに微笑んだ。
「大好きです、中嶋さん」
 そうか、と中嶋は呟いた。真実は、ただ中嶋の中に……



2008.10.10
啓太を酔わせて中嶋さんの怒りを買った王様は
生徒会室で酷い目に遭っているのに、
岩井さんにはお咎めなしなのかな。

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Café Grace
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