Side of 啓太

「……!」
 丹羽と岩井、篠宮が僅かに身を捻ったその隙間から七条は目聡く啓太を見つけた。
「伊藤君?」
「啓太がどうかしたのか、臣?」
 その後ろから西園寺が声を掛けた。すると、それを聞きつけた成瀬が二人を押しのけ、バタバタと室内に駆け込んで来た。
「僕のハニーがどうしたって? あっ、ハニー!?」
 成瀬は啓太に駆け寄ると、その前に膝をついた。心配そうに顔を覗き込む。西園寺と七条も少し遅れて傍へ近づいて来た。
「……はあ、はあ……由紀彦……お前、啓太のことんなると素早いな」
 本能的に事件を察知する滝も現れ、そこへ合流した。
「おっ、啓太、どないしたんや?」
 すると、小さなため息と共に篠宮が訳を説明した。
「どうやら伊藤は間違って酒を飲んでしまったらしい。伊藤が気がつくまで二人にここで面倒を見させるから、お前達はもう部屋へ戻れ。直に点呼だ」
「そんなこと出来る訳がないでしょう! ハニーをここに置いてくなんて!」
「全くだ……臣、啓太を私の部屋へ」
「郁、ここからなら僕の部屋の方が近いですから、そちらへ運びましょう」
「何!?」
 西園寺が片眉を吊り上げた。
 実は西園寺は啓太に密かな想いを寄せていた。これは啓太に自分をアピールする千載一遇の好機だった。やがて意識を取り戻した啓太はこう言うだろう。
『あっ、俺、いつの間に……すいません、西園寺さん、こんな時間に迷惑を掛けてしまって……』
『気にするな。私が啓太を好きでしたことだ』
『西園寺さん……』
『それとも、啓太は私といるのは嫌か?』
『そんなこと……! 俺、西園寺さんに見つめられただけで……』
 西園寺はグッと拳を握り締めた。学園一の頭脳を誇る私が本気になれば、啓太に恋心を自覚させるなど容易い。今夜こそ、啓太を私のものに……!
 しかし、七条も同じ夢を見ていた。
『気にしないで下さい。僕が伊藤君を見ていたかったんです。他の人には任せられませんから』
『えっ!? 七条さん、どうしてそんな……?』
『君が好きだからです、伊藤君』
『七条さん……』
『初めて逢ったときから君だけを見ていました、ずっと……』
『七条さん……実は俺も……』
 黒い翼が七条の背中ではためいた。郁といえど、こればかりは引く訳にはいきません。今夜こそ、伊藤君を僕のものに……!
「臣……お前もか」
「ええ、郁」
 西園寺と七条の間で熱い火花が飛び散った。互いに譲る気は毛頭ない。滅多に見られない会計部の仲間割れに場の興味が啓太から逸れ掛けた……が、成瀬の声に二人以外の者はハッと我に返った。
「ハニーは僕が見る!」
 成瀬の頭に甘い光景が浮かんできた。
『気がついた、ハニー? 良かった』
『あ……すいません。俺、いつも成瀬さんに迷惑ばかり掛けて……』
『ハニー、僕は迷惑だなんて一度も思ったことはないよ。寧ろ、もっと僕を頼って欲しいくらいだよ。僕はハニーが大好きだから』
『成瀬さん……』
『好きだよ、ハニー』
『なら……もっと頼っても良いですか? 俺、成瀬さんのこと……』
 善は急げとばかりに成瀬は啓太を運ぼうとした。ハニーの想いを総て受け止められるのは僕だけだ。今夜こそ、ハニーを僕のものに……!
 すると、その手を滝が払った。
「待たんかい、由紀彦! お前の部屋はここから一番遠いやないか! どこかへ運ぶ言うなら、一番近い俺の部屋や!」
 滝が啓太の手を取った。
『あっ、俊介……』
『啓太、お前、もっと気つけなあかんで。たまたま俺が見つけたから良かったもんの……』
『そう、だな。ごめん、俊介……』
『まあ、これでも飲みや。俺の奢りや』
『珍しいな。俊介が奢るなんて』
『あ~、まあ、な。啓太は……その……特別や』
『特別って……俊介……』
 啓太とは学年の垣根なく付き合っている滝は、ここにいる面々の中で最も啓太に近いという自負があった。さり気ない俺の優しさに啓太はイチコロや。今夜こそ、啓太を俺のもんに……!
「猿、お前に啓太は運べねえよ」
 丹羽が滝の頭をガシガシと撫で回した。不慮の事故とはいえ、啓太を酔い潰してしまった責任を丹羽は感じていた。
『大丈夫か、啓太? 悪い……俺があんなとこで酒なんか飲んでたから……』
『いえ……俺の方こそ、すいません。王様が駄目だって言ったのに勝手に飲んじゃって……自業自得ですね』
『お前らしくねえな、そんな顔。お前はいつも笑ってれば良いんだ。俺は、そういうお前が好きなんだからよ』
『王様……』
『あっ、いや、その……つまり、何だな……』
『王様、本当は俺も……』
 普段なら言い難いことも、今の自分なら自然に言える気がした。酔って気が大きくなってるせいかもしれねえが、この際、理由なんかどうでも良い。今夜こそ、啓太を俺のものに……!
 丹羽が啓太の肩をグッと掴むと、小さな呻き声が上がった。すかさず篠宮がその甲を叩いた。
「丹羽、力を加減しろ。それでは痣になる」
「あっ、悪い」
 僅かに丹羽が怯んだ隙に素早く篠宮は宣言した。
「伊藤の面倒は俺が見る。寮生の健康管理も寮長の努めだからな」
 篠宮は有無を言わさぬ目で皆を見回した。丹羽と岩井に責任を取らせようと思っていたが、誰かの部屋へ連れて行くとなると話は別だった。みすみす啓太をその者と二人きりにすることは出来ない。そのくらいなら……
『篠宮さん……』
『気がついたか、伊藤』
『はい……でも、俺、どうして篠宮さんの部屋に……?』
『気分は悪くないか?』
『大丈夫です。あっ、そうか。俺……』
『良かった。だが、伊藤……不慮の事故とはいえ、一度に多量のアルコールを飲むのは危険だ。酒に強くても、弱くても絶対にしてはならない。わかったな?』
『はい、篠宮さん』
『伊藤は本当に素直だな。そんなお前だから、俺は……放っておけないのかもしれない』
『どうしたんですか、篠宮さん?』
『伊藤……驚かないで聞いて欲しい。俺は、伊藤が好きだ』
『篠宮さん……嬉しいです。俺も前から篠宮さんのこと……』
 温かい眼差しで篠宮は啓太を見つめた。これは天の采配なのかもしれない。今夜こそ、伊藤を俺のものに……!
 篠宮は啓太を抱き上げようと傍に跪いた。そのとき、ポソッと岩井が言った。
「……篠宮、点呼の時間だ」
「……!」
 ハッと篠宮は息を呑んだ。腕時計を見ると、確かにもう十時を過ぎている。点呼は寮長に課せられた最大の義務。これを放棄する訳にはいかない……
 力なく俯く篠宮に代わって岩井が啓太の上に身を屈めた。すやすやと眠る啓太に、思わず、微笑が零れる。
『……すまない、啓太……俺のせいだ』
『あ……そんなこと、ありません……俺が勝手に……』
『……でも、良かった……啓太にもしものことがあったら、俺は……』
『岩井さん……』
『……好きだ、啓太』
『岩井さん……!』
 岩井は啓太の肩と膝裏にそっと手を回した。俺にもっと啓太の絵を描かせて欲しい。今夜こそ、啓太を俺のものに……!
 そのとき、啓太がうわ言の様に何か呟いた。皆、その声に耳を澄ます。
「い……」
(い……?)
「石塚……さん……」
(な、何~っ!!)
 冷戦中の者も、敢えなく途中敗退した者も、誰もが心の中で叫んだ。
 理事長秘書・石塚の名は決して顔を見せない謎の理事長の代理として、学園内で知らない者はいなかった。酔った啓太を介抱し、その後、甘い一夜を共に過ごして恋人の座を手に入れる。皆が抱いた壮大なる野望は一瞬にして無残に打ち砕かれてしまった。啓太には既に好きな人がいた――……
 誰もがガックリと肩を落とした。衝撃(ショック)で口を利く気力もない。一方、啓太は石塚の夢を見ているのだろう。嬉しそうな微笑を浮かべていた。
「大……好き……」
「……」
 無邪気に愛を囁く啓太に、皆の表情が徐々に穏やかになっていった。そう……啓太が幸せなら、それで良い……
「臣」
「はい、郁」
 七条は携帯電話を取り出すと、石塚の番号へ掛けた。やがて通話口の向こうから柔らかい男の声が聞こえてきた……
 啓太は子供の様にすやすやと眠っていた……大好きなものの夢を見ながら。
『どうそ、伊藤君』
『有難うございます、石塚さん……わあ、凄い量ですね!』
『伊藤君は本当に苺が好きですね』
『はい! 俺、子供の頃から苺が大好きなんです!』
 魅惑の赤に囲まれて啓太は幸せそうに笑った。啓太の心を捉えて放さない苺、それこそがこの恋における最大の敵なのかもしれない。



2008.10.24
まだ色気より食い気の啓太です。
本命がいるかどうかは想像にお任せしますが、
石塚さんはその辺りを良く心得ていそうです。

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Café Grace
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