山岸様へ、感謝を籠めて


差し出すその手に

3 October 2009  Dedicated to Y


 最高級の豪華なメゾネット形式のスイート・ルームで、啓太は大きなソファで寛ぎながら、隣でシャンパーニュを飲む和希を静かに眺めていた。和希は啓太と一緒にBL学園(ベル・リバティ・スクール)を卒業した後は二重生活をやめ、自分の仕事に専念した。あれから、何年もそう経った訳ではない。相変わらず、実年齢よりかは若く見える……が、以前より風格を強く感じる様になった。これでは、もう高校生にはなれない。
 あの頃は、ふとしたときに見せる和希の大人の顔がとても格好良くて好きだった。いつか自分もそんなふうになれたら、と密かに憧れてもいた。しかし、今にして思えば、それはどちらに傾くかわからない天秤の様に危ういものだった。にもかかわらず、そんな和希に啓太は未熟さ故に大きく依存していた。そうした日々を乗り越えて辿り着いた現在と一つの形。これで本当に良かったのかはわからない。でも、こうしたいと思った……
「どうしたんだ、啓太、ぼんやりして? もしかして、俺に見惚れていた?」
 フルート・グラスをテーブルに置きながら、和希が悪戯っぽく尋ねた。うん、と啓太は素直に頷いた。
「見惚れてた」
「そうか」
 和希が柔らかく呟いた。
 生まれたときから『鈴菱』を継ぐ者として教育されてきた和希は人を見る目には自信があった。しかし、その自分を以ってしても、今や深い知性に裏打ちされた啓太の底はわからない。もし、この可愛い恋人の成長の一端を自分が担えたのなら、これに勝る歓びはないだろう。いや、もう恋人ではなかった。これからは良き伴侶として互いを支えあってゆく訳だから。
「愛している、啓太」
「うん、俺も……」
「全く……相変わらず、啓太は恥ずかしがり屋だな」
 クスッと和希は笑った。
「……っ……仕方ないだろう、性格なんだから。大体、和希が急にそんなこと言うから……!」
 拗ねて顔を背けようとすると、和希の手が逃がさないとばかりに頬を挟み込んだ。しっとりと口唇が重なり、口腔を深く愛撫される。
「……っ……あ……ふっ……」
 眩う様な快感に肌が妖しくざわめいた。こうなると、もう何も考えられなくなってしまう。ただ、もっと和希が欲しかった……もっと、もっと。すると、不意に和希の身体が離れた。啓太は蕩けそうな蒼い瞳をゆっくりと開いた。
「啓太」
 和希が立ち上がって、すっと右手を差し伸べた。
「……うん」
 それが何を意味するかわからないほど鈍くはなかった。結婚して初めて迎える夜にすることは一つしかない。二人の新しい関係が、ここから始まる。啓太は綺麗に微笑むと、ふわりと手を差し出した。和希が啓太の視線を捉えながら、その甲に小さく口づけた……
「……」
 二階にある主寝室へ向かう長くて短い道すがら、啓太はずっと雲の上を歩いている様な気がした。和希に抱かれるのはこれが初めてではない……が、やはり今夜は特別だった。緊張で足が震えて今にも崩れてしまいそうになる。そんな自分を和希の手が、腕が優しく引いてくれた。いつもと変わらぬ強い眼差しでしっかりと見つめて励ましてくれた。俺は幾つになっても和希に頼ってばかり。でも……だけど……この人と結婚したことを素直に嬉しいと思う。
「和希……愛してる」
 溢れる想いのまま、我知らず、啓太は呟いた。すると、次の瞬間――……
「わっ……!」
 いきなり和希に横抱きにされた。
「啓太、急にそんなことを言われたら余裕がなくなるだろう?」
 和希が小さく苦笑した。少し驚いたものの、啓太は落ち着いて和希の首に両腕を回した。
「でも、俺、本当にそう思ったから……」
「無自覚なのも、相変わらず、か」
「……?」
「良いよ。啓太はずっとそのままで良い。それでこそ啓太だからね。でも、俺を煽ったら、どうなるか……そろそろ本気で覚えて貰おうかな」
 いつの間に辿り着いたのか、和希は広いベッドの中央にそっと啓太を横たえた。恥じらいながらも啓太は幸せそうに和希を見上げ……ハッと息を呑んだ。なぜか天井に自分の顔が映っている。
「和希、あれ……」
 啓太は呆然と上を指差した。
「ああ、さすがスイート・ルームだな」
 和希は事も無げにそう言うと、啓太の首筋に深く顔を沈めようとした。待って、と啓太は慌てて和希の胸を押し返した。
「部屋、替えて」
「う~ん、啓太の願いなら何でも叶えてあげたいけれど、今からは少し難しいな。時間も時間だしさ。ホテルを移動するとなると何かと――……」
「和希、俺はそこまでしろと言ってるんじゃない。ちゃんと見なかったけど、下にもう一つベッド・ルームがあるだろう?」
「ああ、あそこか……まあ、俺は別に良いよ、どこでも」
 妙に歯切れの悪い和希に、啓太は言い知れぬ不安を覚えた。まさか……
「そこの天井にも、鏡があるとか……?」
「いや……ただ、主寝室ではないから、ここより少し狭くてベッドの右側にある壁がビルトイン・クローゼットになっているだけだよ」
「何だ。それくらいなら平気だよ、俺」
 ほっと啓太は胸を撫で下ろした。すると、和希が小さく口の端を上げた。
「本当に良いのか、啓太? そのクローゼット……全面、鏡張りだよ」
「……っ……!」
 ポンッと沸騰する啓太を和希は楽しそうに見つめた。
「ど、どうしてこんな部屋を選んだんだよ、和希?」
「知らないのか、啓太? 今どきのスイート・ルームはどこもこんな感じだよ」
「……」
 絶対、嘘だ……と啓太は思った。もっと普通の部屋もあるはずだ。もしかして、俺……人生の選択、少し早まったかもしれない。でも……
「愛している、啓太……愛している」
 耳元に響く甘い声を聞く度に歓びで胸が一杯になって、そんなことはどうでも良くなってしまう。結局、どんな和希でも好きだから。啓太はキュッと和希にしがみついた。俺も愛してる、和希……
 そうして自ら口唇を重ねると、深まる想いと熱に総てを委ねた。二人の夜が静かに更けてゆくときまで……



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Café Grace
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