Pote様へ、思いを籠めて


初夜

26 September 2009  Dedicated to P




 豪華なスイート・ルームの大きなソファに座って、啓太は肌触りの良いクッションを抱き締めながら、ぼんやり宙を眺めていた。はあ、とため息をつくと、隣でシャンパーニュを飲んでいた中嶋が静かな声で言った。
「不満そうだな」
 はい、と啓太は素直に頷いた。
 今日、啓太は中嶋と結婚した。これからは良き伴侶として互いを支え合ってゆく訳だが、その最初の一歩から早くも壁にぶつかっていた。
「結婚するからって中嶋さんの性格が変わるとは思ってませんでした。でも、少しは俺の意見を聞いてくれても良かったじゃないですか」
「お前のことだから、新婚旅行に行きたがるのはわかっていたからな」
「勿論です。たった一度しかないんですよ。でも、俺に内緒で行き先まで決めることないじゃないですか」
「安心しろ。的外れな選択はしていない」
 中嶋がフルート・グラスをテーブルに置いて立ち上がった。飲み足りなくて新しいボトルを取りに行くのだろう、と思った啓太はふて腐れて小さく膝を抱えた。俺は弱いからって、一杯しか飲ませてくれなかったのに……
「きっと海外ですよね。アメリカとか、カナダとか、フランスとか、イギリスとか、ベルギーとか……でも、新婚旅行って言ったら、熱海に決まってるじゃないですか! 俺の夢を返して下さい! 中嶋さんの馬鹿~!」
 ポスンとソファに倒れると、啓太はクッションに深く顔を埋めた。
 新婚旅行について今まで何の話もなかったので、てっきり後日、日を改めて行くものとばかり思っていた。しかし、もう総て手配済みだと聞かされ、密かにかなり期待していた啓太は完全に拗ねてしまった。
(二人の記念の旅行なのに……俺には全く相談もしないで、いつもの様に一人で勝手に決めるなんて酷い)
 スプリングが微かに軋む音が聞こえ、中嶋が再び横に座ったのを感じた。啓太は、きつく目を瞑った。今更、謝っても遅いんです! 俺、絶対、飛行機になんて乗らないんだから……!
 意地になって中嶋を無視していると、突然、さっとクッションを奪われた。
「何するんですか、中嶋さ――……」
 怒って言い掛けた言葉が途中で霧散した。テーブルに先ほどまではなかった老舗旅館のパンフレットが置いてある。場所は……熱海温泉。
「えっ!? どう、して……?」
 戸惑いながら、啓太は身を起こした。中嶋が短く嘆息した。
「以前、自分で言っただろう。結婚したら熱海に行きたい、と」
 あっ、と啓太は声を上げた。
 恋人との結婚を夢見ない者はいない……が、同性である以上、最初からそれは諦めていた。だからこそ、口にした儚い夢物語。自分でも忘れていたことを、まさか中嶋が覚えていたとは思いもしなかった。
 啓太はキュッと中嶋の首にしがみついた。
「ごめんなさい、中嶋さん……馬鹿なんて言って、ごめんなさい」
(中嶋さんのこういう優しさは、いつも少しも変わらない。さり気なく俺の気持ちを酌んでくれる。もう良くわかってたはずなのに……)
「全く……お前は幾つになっても感情が先に立つ。仕方のない子だ」
 喉の奥で低く笑いながら、中嶋が優しく啓太の背を撫ぜた。その指先がとても気持ち良い。
「好き、中嶋さん……大好き」
 うっとり啓太は呟いた。そうか、と静かな声が聞こえ……ふわりと身体が抱き上げられる。啓太は落ちないよう腕にしっかり力を籠めた。どこへ運ばれるかは訊かなくてもわかった。結婚して初めて迎える夜にすることは一つしかないから……
「あ……」
 大きなベッドに横たえられた啓太は小さく息を呑んだ。胸の鼓動が一気に跳ね上がる。
「何をそんなに緊張している?」
 啓太を組み敷いた中嶋が面白そうに尋ねた。だって、と啓太は恥ずかしそうに中嶋を見つめた。
 何度も肌を合わせているとはいえ、やはり今夜は特別な気がした。しかし、自分と違って、そう感傷に浸らない中嶋はいつもと全く変わらない顔をしている。心の片隅で、それを少し寂しく感じた。何とか今の気持ちを巧く伝えられないだろうか……誰よりも優しくて、意地悪なこの人に。
 これからも自分は先刻の様に怒ったり、拗ねたり、ときには泣いたりするだろう。でも、初めて逢った瞬間から惹かれていた。この人と結婚したことを素直に嬉しいと思う。だから……
 啓太は両手を伸ばして、中嶋の頬を優しく包み込んだ。
「愛してます……英明さん」
「……!」
 中嶋が僅かに目を瞠った。
 今まで、呼び方を気にしたことはなかった。中嶋さんの方が慣れているなら、結婚後もそれで構わないとさえ思っていた。しかし、単なる恋人同士だった昨日までの二人とはもう違う。長く短い人生を共に歩む者として、己が意思で互いを選び……選ばれた。啓太に、英明さん、と言われて中嶋は初めてそのことに気がついた。
(もしかしたら、今日、俺は終にお前のものになってしまったのかもしれないな)
 我知らず、中嶋は穏やかに微笑んだ。
「ああ、知っている……啓太」
 どちらからともなく口唇が重なった。中嶋はすぐさま舌を滑り込ませ、啓太の口腔を熱く愛撫した。その蕩けそうな感覚に啓太もまた自ら総てを委ねる。徐々に深まる二人の想い。そうして静かに夜が更けてゆく……



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Café Grace
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