「啓太」
「……っ……!」
 和希に呼ばれて啓太はビクッと震えた。いつもとは違う低い大人の声に何か不穏な気配を感じる。中嶋も和希の直ぐ後ろから胸を落ち着かせなくする様な瞳で啓太を見つめていた。
「怯えなくて良いよ、啓太……俺達は啓太を傷つけるために来た訳ではないから」
「和希……」
「ただ、これ以上は……もう待てない」
「……!」
 ハッと啓太は息を呑んだ。中嶋が喉の奥で小さく笑った。
「俺達が気づかないと思うか? お前の意思を尊重して待っていただけだ。だが、どんな結論に辿り着くかと期待していれば……全く……」
「だから、俺達で話し合って決めた。さあ、おいで、啓太」
 和希が手を差し出した。啓太は弱々しく首を振った。その瞬間、和希が腕を掴んで強引に啓太を自分の胸元へ引き寄せた。
「や、やめっ……」
 咄嗟に啓太は和希から離れようとした……が、背後に回っていた中嶋が素早く啓太の顎を捉えた。一気に深く口づける。
「あ、んっ……ふっ……」
 滑り込んできた舌に口腔を愛撫され、肌が粟立った。口蓋を優しく撫でられると、背筋がざわめいて力が抜けてしまう。一人で立っていることさえ難しく、啓太の手が縋るものを求めて虚空を彷徨った。
「啓太……」
 和希がその指を取り、軽く口づけた。同時に片手で器用に啓太の服を脱がせてゆく。どうして二人を部屋に入れてしまったんだろう。漸く決心がついたのに……揺れる意識の片隅で、ぼんやりと啓太は思った。
 学園に転校してきたばかりの自分に、最初に優しく接してくれた和希が好きだった。MVP戦のパートナーにも、躊躇うことなく和希を選んだ。その想いが友情の域を越えていたかどうかは良くわからない。ただ、和希が理事長であり、幼い頃に一緒に遊んだかず兄だと知っても、啓太の気持ちは変わらなかった。あの別れの日から、ずっと密かに見守り続けてくれた一途な人。そんな和希が、とても愛しかった。
 しかし、他方で中嶋へも惹かれていた。転校早々にお仕置きと称されて陵辱されたとき、啓太はもう中嶋の顔を見るのも嫌だった。にもかかわらず、あの怜悧な瞳の奥に灯る蒼い炎に気づいてしまった。いつも冷静沈着な中嶋が自分にだけ向ける眩む様な激しい感情。そのあまりの不器用さが、とても愛しかった。
 同時に二人から想いを寄せられ、啓太は困惑した。
 和希と中嶋の想いを受けるには、自分では完全に分不相応だと思った。二人とも本当に素敵な人だから。どちらも傷つかず、幸せになって欲しかった。なら、どうしたら良いだろう。
 一週間、啓太は殆ど眠らずに考えた。考えて、考えて、考え続けて……漸く辿り着いた一つの結論。俺が他の誰かのものになってしまえば良い。そうすれば、今は辛くとも、やがて二人ともこの夢から醒めるだろう。俺は、どちらも選ばない……
「はあ、ん……っ……」
 いつの間にか、ベッドに横たえられ、啓太の口唇から甘い吐息が零れた。和希と中嶋によって暴かれた白い肌を蒼ざめた月が照らしている。未だ幼さの残る身体から仄かに立ち上る色香に、二人は密かに感嘆した。
「綺麗だ、啓太……」
「相変わらず、淫乱だな、お前は。キスだけで感じたのか?」
「あ……嫌……」
 情欲で蕩け掛けた蒼穹に、さっと理性が戻った。
 中嶋にされたことを和希には知られたくなかった。たとえ、心で拒絶していたとしても、身体は決してそうではなかったから。あのとき、啓太は確かに感じていた。それに関しては、どんな言い訳も全く出来ない。
 今にも泣き出しそうな啓太の頬に和希が優しく触れた。大丈夫だよ、と瞳で囁く。それから、中嶋を鋭く睨みつけた。
「中嶋さん、俺は貴方のしたことを許した訳ではありません。何も知らない啓太を穢した罪は、いつか必ず贖って貰います」
「こいつを穢す? ふっ……そんなことが出来るなら、とうの昔にお前の手が届かない地の底まで堕としている」
 中嶋が小さく口の端を上げた。啓太が和希の腕をキュッと掴んだ。もう和希に総て知られていると悟ってポロポロと涙が零れる。
「違う、和希……違うんだ。中嶋さんのせいじゃない。全部、俺が悪いんだ……!」
「啓太、わかっているから。啓太に責任はないよ。ただ、あのときは気づいてなかっただけだろう、中嶋さんへの気持ちに。だから、中嶋さんの手に感じた自分に戸惑ってしまった。でも、好きな人に触れられたら、誰でもそうなる。それはとても自然なことなんだよ」
「でも、俺は――……」
 なおも言葉を募る啓太の口唇を今度は和希が塞いだ。舌を絡めて強く弱く吸われると、頭の芯が痺れて何も考えられなくなってゆく。ただ、和希への想いで一杯になってしまう。すると、それを妨げるかの様に誰かが啓太の胸に咲く未熟な実を柔らかく食んだ。
「ん、ああっ……!」
 反射的に背がしなり、和希との口づけが解けた。胸元から中嶋がゆっくりと視線を上げた。
「お前は自覚がないだけで、ずっと遠藤が好きだった。だから、俺に何をされたか知られるのが怖かったのだろう。そして、混乱した。同時に二人の男に惹かれた自分を認めることが出来ず……逃げようとした」
「そんなこと……俺は和希と中嶋さんに幸せになって欲しいから……本当に、ただそれだけで……」
 啓太は弱々しく首を振った……が、中嶋の瞳に強く見つめられ、次第に言葉が霧散してしまう。和希が仄暗い気を纏わせながら、静かに啓太の髪を撫でた。
「ねえ、啓太……啓太がいないのに、どうして俺が幸せになれると思う? 俺は啓太が他の誰かのものになるのを見るために呼んだ訳ではない。啓太とずっと一緒にいたいから、この瞳に啓太の成長を映して、この手で啓太を護るために呼んだんだ。それを邪魔する者は、誰であろうと許さない。たとえ、啓太自身でも……許さないよ、啓太」
「和、希……」
 底の見えない和希の想いに幼い心が竦んだ。しかし、和希の言葉が沁み入るにつれて啓太の中に震えるほどの歓喜が込み上げてきた。続いて中嶋の声が聞こえる。
「啓太、俺はお前の後ろに理事長がついているとわかっていながら、遊びで手を出すほど酔狂ではない。たとえ、理事長を敵に回そうとも、お前を奪う覚悟があったからこそ、この肌に触れた。お前は俺のものだ、永遠に」
「中嶋さん……」
 啓太は恍惚と中嶋を見つめた。いつもあまり多くを語らない中嶋が初めて明かした胸の内……それは啓太への激しい想いに満ちていた。
 二人から、こんなに深く激しく愛されていたとは知らなかった。なら、俺のしようとしたことは最も酷いことだったかもしれない。相手と真剣に向き合うこともせず、ただ楽な方へ逃げようとした……自分が傷ついたという自己満足のみを抱えて。
「和希、中嶋さん……ごめんなさい」
 啓太は許しを請う様に両手を差し出した。その左手を和希が取った。中嶋は右手……二人が同時にそれぞれの掌に口づける。
「啓太が俺達のどちらも選べなくて、二人とも啓太を諦めるつもりがないなら、残る路は一つしかない。啓太にあげるよ、俺達を」
「そして、俺達でお前を奪う」
 啓太は嬉しそうに頷いて漸く自分の素直な心を口にした。
「好き……和希、中嶋さん……二人とも、大好き」



2009.9.25
初の和啓中です。
啓太の悩みなど総てお見通しだった二人ですが、
内心はかなり焦っていたと思います。
ああ、啓太は幸せ者です。

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Café Grace
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