「……っ……!」
 背中を強く打ちつけて日本は小さく呻いた。
 正座という不利な体勢だったために抵抗する間もなくロシアに組み敷かれた。両手首を頭上で一つに纏められると、万力の様な力でギリギリと締めつけられる。その痛みに日本は僅かに顔を顰めた……が、それより先に腹が立った。いつまでも現実を直視出来なかった自分の愚かさが、この事態を招いたに他ならなかった。幾ら刀を置いて久くとも、この私が敵の侵入に気づかぬほど呆けていたとは……!
 それを黒曜の瞳に籠めて気丈に睨みつけると、ロシアは嘲笑うかの様に空いている手を着物の合わせ目から胸元へと滑らせた。生温い掌でじっくりと肌を舐め上げる。
「くっ……!」
 声を噛み殺して日本は大きく顔を背けた。ロシアが楽しそうに目を細めた。
「ふ~ん、結構、感度は良いんだね。なら、声は遠慮なく上げて良いよ。僕、そういう方が好きだから」
 そして、白い首筋にねっとり舌を這わせた。同時に少しはだけた裾を膝で割って無理やり脚を開かせる。その間に頑丈な身体を素早く横たえると、思わせ振りに腰をぐいっと突き上げた。
「……っ……」
 日本の口唇が小さく戦慄(わなな)いた。一切の抵抗を封じられた恐怖よりも、恋人以外の男にこうも簡単に下肢を押さえられた恥辱に身体が震えた。
  頭の奥で何かがざわりと蠢いた。
「良いね、その顔……凄くぞくぞくするよ」
 ロシアが吐息で囁いた。顎の線を舌先で緩く辿って、褒美とばかりに耳を甘く舐(ねぶ)る。
「ふふっ、こんな状況でも君は泣いたり、喚いたりしないんだね。その忍耐は見上げたものだけど、僕はそれを引き剥がす方法を知ってるよ」
「……私を犯しても無駄ですよ」
「そうだね。君は苦痛には凄く耐性があるみたいだ。でも……快感はどうかな」
「……!」
 その瞬間、僅かに動揺した黒い瞳にロシアは微笑を深めた。
「この身体はアメリカ君に嫌と言うほど男を教え込まれてるから、快感を与えてやれば、君の意思なんてきっと直ぐ裏切ると思うんだ。アメリカ君以外の男に抱かれて感じる自分に君がいつまで堪えられるか見物だよね」
「卑怯、者っ……」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ。あっ、先に言っておくけど、薬とかは使わないから安心して。そんな逃げ道を与えたら意味がないからさ。これは、君が自分で感じることが重要なんだ。だから、時間を掛けて、ゆっくりと可愛がってあげる。そうすれば、君は僕の下で淫らによがり狂いながら、自分で自分の心を切り刻むんだ」
「……っ……!」
 優しい声と表情で冷酷に退路を断つロシアに日本は嫌悪を通り越して吐き気がした。話しながらも思い出した様に肌を這うぬめった舌の感触も気持ち悪い。にもかかわらず、ロシアの粗野な指が胸に咲く実に絡みつく度に肌がざわりと粟立った。
「はっ……」
 乱れそうになる息を日本は必死に喉の奥へと押し込めた。ロシアの言う通り……身体が熱を帯び始めていた。

 外を渡る清涼な風を締め出した室内は淫靡な空気に包まれていた。時折、衣擦れの音に混じってくぐもった低い声が聞こえる。
「う、んっ……ああっ……くっ……!」
 我を忘れて喘ぎそうになった日本はまた口唇を噛み締めた。剥き出しにされた下肢の中心を緩々と手で嬲っていたロシアが小さく口の端を上げた。
  どれくらいこうして弄ばれているのだろう。日本には、もう時間の感覚がなかった。
 ロシアは性急に事を推し進める気は本当にないらしく、コートとマフラーを脱ぎ捨てただけで服のボタン一つまだ外していなかった。しかし、日本は普段の中性的な姿からは想像もつかない色香に溢れた身体を帯を解かれて花びらの様に広がる着物の上に曝していた。首筋にはロシアの付けた花を幾つも散らせ、二つの胸の飾りは散々弄られたせいでぷっくりと赤く熟れている。燻る熱に煽られて艶めかしく上気した白磁の肌は軽く擦れるだけで朱に染まり、やがてそれは男を誘う様に周囲へと散っていった。ただ、未だ頭上で押さえつけられている両手は痛々しいほどに血の気を失っていた。
「ふふっ……随分、頑張るね。なら、これはどうかな」
  ロシアは日本を握る手に少し力を籠めて全体の輪郭をなぞる様に上下にくちゅくちゅと扱き始めた。
「ん、ああっ……っ……やめっ、アルフレッ――……」
 堪らず助けを求めそうになって呑み込んだ声をロシアはしっかり聞き取った。へえ~、と目を瞠る。
「君達、ベッドの中では名前で呼び合ってたんだ。なら、僕もそうしようかな……ねえ、菊君」
「……っ……!」
 その言葉に、日本はカッと頭に血が上った。自分のことは自業自得だから、どうでも良かった。たとえ、どんなに傷つけられたとしても、堪えられる……が、二人の約束まで穢されるのは許せなかった。
「貴、方っ……あ、ああっ……!」
 反論しようとした途端、まるでそれを見計らった様にロシアが先端の淵を指で強く擦った。開いた口から、あられもない嬌声が溢れ出る。
「ああっ……ふ、あっ……ああっ……!」
 抑えようにも、散々焦らされた身体が刺激を求めて言うことを聞かなかった。絶頂を促す淫らな動きにガクガクと勝手に腰が揺れ、悪寒にも似た何かが一気に背筋を駆け上がった。そして――……
「はあ、ああっ……!」
 ビクンと大きく跳ねて終にロシアの手の中で達してしまった。ロシアは残滓まできっちり搾り取ると、無邪気に感想を尋ねた。
「どう? 気持ち良かった?」
「……」
 しかし、日本から返事はなかった。荒い呼吸音は聞こえるものの、未だ快感と屈辱に震えている日本は少し意識を飛ばしているらしい。そのことに気づいたロシアは腹部についた欲望の証を二本の指で掬い取ると、乱暴にそれを日本の口に押し込んだ。
「う、ぐっ……!」
「駄目だよ、菊君、まだまだ先は長いんだから。ねっ」
 そう言いながら、ロシアは指を舌に強く擦りつけた。時折、口中を大きくかき回して喉奥まで強引に突き入れる。無骨な指を何度も根元まで深く銜えさせられ、息苦しさのあまり日本は視界が歪んだ。
「……っ……うっ……」
 キュッと瞑った目から涙が溢れて頬を伝った。すると、ロシアが急に指を引き抜いた。流れた雫を慰める様にそっと舌で舐め取る。
「ごめんね、菊君、手荒なことして。でも、君が無視するから悪いんだよ。僕、そういうの嫌いなんだ。だから、あまり僕を怒らせないでね」
「……名前……呼ば、な――……」
  しかし、言葉の途中で口唇を奪われた。まだ呼吸が乱れていた日本は空気を求めて自然と口を開いてしまい、そこにロシアが深く入り込んでくる。
「は、んっ……っ……ふっ……」
 優しく舌を絡めて蕩ける様に愛撫するロシアに頭の芯が痺れた。恥辱と怒りに既に矜持(プライド)は粉々に砕けて悲鳴を上げているのに、無意識に鼻から抜けてしまう甘い声がおぞましい。身体がもっと深い快感を欲しがっているのがわかった。今、目の前にいるこの男に……抱かれたがっている。
(違うっ!!)
 心の中でそう叫んだ瞬間、日本の意識が赤く染まった。

『ここ、は……?』
 気がつくと、日本は闇の中に一人佇んでいた。温もりさえ感じる暗さにどこか安らぎと懐かしさを覚えるのは、そこが外界から心を閉ざしていた頃に似ているせいだろうか。いや、今までのことは総て夢だったのかもしれない。そう、私はまだ開国などしていない……
(ああ、良かった)
 日本は、ほっと胸を撫で下ろした。すると、目の前に白い夜着を纏ったもう一人の自分が現れた。情事の余韻を色濃く残した眼差しでこちらをじっと見つめている。そして……微かに口唇を開いた。
『……っ……!』
 その瞬間、日本はもう一人の自分を一刀のもとに切り捨てていた。そんな男を誘う様な顔は見たくなかった。吐き気がする。しかし、全く手応えがなかった。ただ、辺りに無数の花びらが舞い散るばかり。
『……!』
 背後に気配を感じて今度は振り向きざまに薙ぎ払った……が、彼はまた花びらとなり、別の場所から現れた。それをすぐさま叩き切る。日本は淫らな自分が完全に消え去るまで切って、切って……切りまくった。
『はあ……はあ……っ……』
  いつしか足元は淡い花びらで埋め尽くされ、白刃は血に塗れていた。疲労で柄を持つ手も覚束ない。しかし、日本はなおも緩やかに刀を振るい続けていた。そうしていると、長く失われていた感覚が徐々に蘇ってくるのを感じた。それは何者をも退ける力。どの国にもあり、かつては自分も持っていたのにアメリカによって取り上げられてしまった、あの揺るぎない力……
『……クスッ』
 日本の口唇が奇妙に歪んだ。
 そのとき、闇の中にスパンッと障子の開く大きな音が響き渡った。鋭い殺気に満ちたアメリカの声が聞こえてくる。
「日本から離れて貰おうか、ロシア」



初出 2013.7.11
『Annexe Café』より転載。

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