ソファに座ると、明日叶は苦しそうに小さく呻いた。慧が床に片膝をついて心配そうに顔を覗き込む。
「明日叶……大丈夫か、明日叶?」
「……う、ん……」
  明日叶は右手で目を覆いながら、弱々しく呟いた。慧が真紅の瞳で鋭く和希を睨みつけた。
「一体、明日叶に何を視せた!」
「それは彼しか知らない。だが、この状況から凡そ察しはつく。彼には……何も視えなかった」
「ふざけるな! 真実の瞳(トゥルー・アイズ)に視えないものが――……」
  声を荒げた慧を明日叶の手が静かに制した。
「慧……鈴菱、さんの……言う通りだ……」
「明日叶!?」
「俺には……何も……視え、なかった……輝く闇、以外は……何も……」
  明日叶は口唇を噛み締めた。自分の中で何かが音を立てて崩れてゆく……
  幼い頃から不思議な力を持つが故に苦しみ、アメリカでは何者かにずっと狙われてきた。魁堂学園へ転校してマニュスピカを目指すことにしたのは、何より身を護る力が欲しかったからだった。そこで、心の奥に封印していた力に初めて輪郭――名前――が与えられ、それを認めてくれる人達に会った。嬉しかった。明日叶にとって視えるのは特別ではない……普通のこと。そのことを隠さなくても良い場所に漸く辿り着いたから。
  本来の自分を取り戻した明日叶の成長は目覚ましかった。
  元々真面目な努力家だったので、遅れていた体術などの実戦面も卒業までにマニュスピカとして要求されるレベルへ到達出来た。何より明日叶には真実の瞳(トゥルー・アイズ)がある。それは、とても大きな強みだった。しかし、あの血を視た瞬間……その総ての根底にあるものが崩壊した。ホークの言葉が蘇る。
『……マニュスピカが崇める真実の瞳(トゥルー・アイズ)がいかに儚い力か……』
「……っ……!」
  まだ目の奥に残る疼痛が不安をかき立てる。もし、真実の瞳(トゥルー・アイズ)を失ってしまったら、視えなくなってしまったら……一体、俺に何が残るだろう。いつも慧に護られてばかりの俺に……
「明日叶……」
  慧が明日叶の左手をギュッと握り締めた。その温もりと強さに縋りつきそうになって、思わず、明日叶は自嘲した。
(何度も捨てたいと思った力なのに、いつの間にか、俺はこんなにも真実の瞳(トゥルー・アイズ)に依存してた……滑稽だな……)
「慧、俺は無力だ……」
  すると、和希が冷ややかに尋ねた。
「小林君、君が持っている力とは何だ?」
「……! それ、は……」
「そんなことは今はどうでも良い」
  言い淀む明日叶の言葉を奪う様に慧が言い放った。しかし、和希はそれを無視した。
「答えられない、か。それは君がまだ真実の瞳(トゥルー・アイズ)の本質を掴んでないからだ。だから、偉大(おおい)なる真理を前にして目が眩んでしまった。まるで太陽を直視した人の様に。単に美術品の真贋を見極めるだけなら、真実の瞳(トゥルー・アイズ)は必要ない。今の君に、真実を視る資格はない」
「……っ……」
  明日叶の身体が微かに震えた。踵を返して遠のいてゆく靴音が聞こえる。石塚が柔らかく言った。
「隣に寝室があります。暫く休めば目は大丈夫ですので、今日はここへ泊まれるよう手配しておきます。どうかゆっくりしていって下さい」
  そうして軽く頭を下げると、石塚も和希に続いて部屋から出て行った。慧が明日叶の隣に腰を下ろし、そっと肩を抱き寄せた。
「明日叶、部外者の言うことなど気にするな」
「……」
「明日叶は一生懸命やってる。言いたい奴には、勝手に言わせておけば良い」
「……慧……俺、前にも同じことを訊かれた。でも、答えられなかった……あのときも、今も……」
「いつの話だ、それは?」
「魁堂学園に転校してきたばかりの頃……桐生さんから。俺はもっと良く考えるべきだったんだ、真実の瞳(トゥルー・アイズ)の意味を。今まで時間はたっぷりあったんだから。鈴菱さんの言う通りだよ、慧……単に美術品の真贋を見極めるだけなら、真実の瞳(トゥルー・アイズ)なんて必要ない。俺は何もわかってなかった。何も変わってなかったんだ。身を護る力が欲しくて帰って来たのに……アメリカで襲われたあの日から、何も変わってなかった。ずっと無力なままだったんだ……」
  蒼ざめた頬を涙が伝っていった。慧の指が優しくそれを拭った。
「明日叶は無力ではない。俺はお前が真実の瞳(トゥルー・アイズ)でどれだけ苦しんできたか良く知ってる。魁堂学園にいた頃も、マニュスピカになった今も、その力を妬んで辛く当たられることがあるのも知ってる。だが、お前は決して挫けない。自分を貫き通す勇気がある。それは立派な力だ。今の明日叶なら、身を護る力とは肉体的なものだけではないとわかるはずだ。明日叶は強くなった。俺達が初めて逢った頃よりも、学園で再会したときよりも、遥かにずっと強くなった。そうしたことを何も知らず、ただ正論だけを振りかざす男の言葉など気にするな。明日叶は明日叶のペースで真実の瞳(トゥルー・アイズ)とは何かを掴んでいけば良い。どんなときも、お前には俺がついてる。お前は必ず俺が護る」
「慧……」
「だから、今は何も考えずに休め。総理事長へは俺から連絡しておく」
「うん……有難う、慧……」
  小さく微笑んだ明日叶に慧の口唇がゆっくりと降ってきた……

  ベル製薬研究所へ向かう車の中で、和希は無意識にため息をついた。隣に座っている石塚がクスッと笑った。
「それほど気になさるなら、何もあそこまで言わなくとも良かったのではありませんか?」
「……わかっている。あれは完全に俺の八つ当たりだ。最初、俺は彼の雰囲気や性格が啓太に似ていると思った。だが、彼は己が無力さにもがいていた……まるで俺の様に。それを知ったとき、どうしても怒りを抑えられなかった。俺にはない真実の瞳(トゥルー・アイズ)を、啓太が求める答えを視る瞳を持ちながら、それを全く生かしてない彼が許せなかった。啓太を支える力が未だ足りないのは俺個人の問題で、真実の瞳(トゥルー・アイズ)をどう使うかは彼の自由なのに、勝手な不満をぶつけてしまった。反省している」
「大人気ないですね、和希様」
「今はその言葉を甘んじて受ける。俺もまだ未熟だな」
「はい」
「……石塚」
  何もそこまで同意しなくとも、と和希が不満そうに秘書を見やった。
「何でしょうか、和希様?」
「いや……良い。いつも啓太に言われているからな。お前を見習え、と。お前は誰よりも優しくて、頼りがいがあって、有能で、その上、人格者だそうだ」
  その声には明らかに皮肉が籠もっていたが、石塚は嬉しそうに小さく頭を下げた。
「伊藤君にそう言って頂けて光栄です」
「はあ……この点だけは啓太も見る目がないな。これはもう完全に刷り込み(インプリンティング)だな」
  呆れた様に肩を竦める和希の横で石塚は柔らかく微笑んだ。そして、今後の予定を静かに話し始めた。


2010.1.29
相変わらず、和希は啓太が絡むと大人気ないです。
でも、気落ちした明日叶は慧が優しく慰めてくれるでしょう。
そして、さり気なく石塚さん目立たせています。
だって、好きだから。

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Café Grace
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