「変わったことって……」
  亮一の言葉に明日叶は驚きを隠せなかった。
  あの店に入ったのは全くの偶然だった。雰囲気が良かったので、休憩がてら何か飲みたかっただけ。他に理由はなかった。テラス席に座ったのは従業員の案内に従ったに過ぎず、自分から選んだ訳ではない。注文したのはカフェ・オ・レを二つ。どこからどう見ても普通の客だったはず……
(まあ、慧は少し目立つと思うけど……)
  チラッと明日叶は恋人へ目を走らせた。
  静一郎は慧を精神的に追い詰めて苦しめたが、教育は勉強から礼儀作法に至るまで一流のものを施していた。たとえ、それが単に自分の周囲を美しく飾ろうとする静一郎のエゴだったとしても、慧は復讐のためならどんな努力も惜しまなかった。だから、慧の所作はしなやかで無駄がなく……綺麗だった。
(見た目が禁欲的(ストイック)なだけに動作の一つ一つが凄く様になってて、全体的に大人の雰囲気が漂ってる。本当に格好良くて……そんな慧が俺の恋人なのは嬉しいけど、同い年だって思うと……少し複雑だよな)
  惚気の様な不満を胸の奥で呟いていると、不意に慧が明日叶の方を向いた。
「あの男だ、明日叶」
「えっ!?」
  鋭い真紅の眼差しに、一瞬、明日叶はドキッとした。しかし、直ぐに慧の言葉を理解した。
「あっ、そうか。あの人……!」
『何か思い当たることがあるのかい?』
  通話口の向こうから亮一が尋ねた。
「亮一さん、俺達、あの店で監視されてる人を見たんです。俺より少し年下の男性で、一人で苺のケーキを食べてました」
『監視とは穏やかでないね。もしかして、彼と話をしたのかい?』
「いえ、そんなにテーブルは離れてませんでしたが、特に何も……」
  明日叶は語尾を濁した。小さく俯く。あのことを話した方が良いんだろうか……
「どうした、明日叶?」
  慧が明日叶の頬にふわりと手を添えた。
「……うん」
  その温もりに励まされ、明日叶は躊躇いがちに口を開いた。
「あの人、俺を見て言ったんだ……『True eyes』って」
「何!?」
『それは本当かい、明日叶?』
  ほぼ同時に慧と亮一が色めき立った。慌てて明日叶は説明を補足した。
「でも、俺の勘違いかもしれない。実際に声を聞いた訳ではなく、ただ口唇の動きを読んだだけなんだ。だから、本当にあの人がそう言ったのかどうかは……良くわからない」
  不安そうに視線を逸らす明日叶の耳に慧の声が聞こえた。
「だが、明日叶はそう思った。俺にはそれで充分だ」
「……!」
  明日叶が目を上げると、自分を見つめる強く真っ直ぐな瞳がそこにあった。二人が漸く結ばれた翌日、フィトナの遺跡で慧が言った言葉が蘇る。
『……俺は、お前の心に従う……』
  それを慧は決して違えなかった……今でも。うん、と明日叶は嬉しそうに頷くと、口唇を強請る様にゆっくり目を閉じた。そのとき――……
『俺も信じるよ、明日叶』
「えっ!? あっ、有難うございます」
  ハッと亮一の存在を思い出した。そうだ。まだ電話中だったんだ……!
  真っ赤になって、明日叶は慧から顔を逸らした。肌を合わせた記憶がまだ鮮明に残っているせいか、直ぐに心が慧へと向かってしまう。少し高まった胸を落ち着かせようと、明日叶は大きく深呼吸した。それを見た慧が微かに笑った。
「……っ……」
  明日叶はそれを視界の隅で黙殺した……慧を意識したら、また変なことをしてしまいそうだから。意地になって無視する明日叶を宥めようと慧が優しく髪を撫でた。
(あ……)
  ただそれだけで明日叶の心が軽く温かくなった。無意識に微笑が浮かんでしまう。しかし、その様子を見れない亮一が知らずに二人の雰囲気に水を差した。
『確かにその人物は今回の件と関わりがありそうだ。でも、なぜ、彼には明日叶が真実の瞳(トゥルー・アイズ)だとわかったんだろう。明日叶と同じ紫の瞳の人は他にもいるけど、それと能力は全く関係ない。外見で見分けるのは不可能だよ。なのに、なぜ、彼にはわかったんだろう? まさか彼も真実の瞳(トゥルー・アイズ)とか……もし、そうだとしたら、これは凄いことだよ。是非、彼と話をしてみたいな。明日叶は対象物のプロフィール的なものが視えると言ってたけど、やっぱり彼もそうなんだろうか。制御はどうしてるんだろう。明日叶も興味があるだろう? 彼の話は、きっと良い参考になるよ』
「あ……はい」
  問われた訳ではないが、明日叶は小さく頷いた。どうしよう。亮一さんの話が傾いてきた……
  亮一は本格的に脱線すると止まらない癖があった。徹底的に思考を極めないと気が済まないらしい。そのために寝食を忘れて何かに没頭することも珍しくなかった。明日叶が困惑していると、慧が言った。
「そんなことはあの男に訊けばわかる。監視カメラのオリジナル映像を入手出来るか、二階堂亮一?」
  えっ、と亮一が呆けた音を発した。しかし、直ぐに慧の意図に気づいたのか、素直に話を元に戻す。
『ごめん。それは無理だ。警察には明日叶の照会履歴どころか、画像のオリジナル・データさえ残ってない。恐らく公安関係者を通したんだと思う。あそこは、謂わば警察内の警察だから、そうした痕跡を消すくらい簡単だろう。俺が手に入れられたのは外部協力者のお陰だよ。彼は二週間ほど前にこの情報を入手したけど、他に動きはなかったから本部には伝えなかったそうだ。はあ……こういうとき、桐生がいたらと思うよ。そうしたら、直ぐ俺に連絡してきたはずだから』
  亮一は残念そうに少し口を噤んだ。
  警察が魁堂学園に内偵者を送ることはマニュスピカとの間で暗黙の了解になっていた。マニュスピカは秘密主義が原則だが、違法行為を行っている以上、警察に対してある程度の情報開示は必要だった。しかも、未熟な候補生の中には学んだ技術で美学のない犯罪に手を染める者もいる。それを取り締まるためにも、本部直属のマニュスピカ養成機関である魁堂学園美学行動科に警察の人間を在籍させていた……亮一の同級生・桐生崇征の様に。彼らは卒業すると再び警察へ戻り、以後はマニュスピカとの橋渡しを行う外部協力者となる。桐生は三年間の潜入任務を終えた後、本人の希望により国際刑事警察機構(ICPO)へと派遣され、今はフランスのリヨンにいた。
『まあ、こればかりは零しても仕方がない。大事なのは今後の行動だ。取り敢えず、あの店に行った日付と時間、それから彼の人相や特長を教えてくれるかい? 付近に設置されてる監視カメラの映像を急いで当たってみるよ。ただ、殆ど防犯用だから二週間前だとあまり期待は出来ないと思う。明日叶と藤ヶ谷はどうする?』
「俺達はもう一度、鈴菱さんの周辺を調べてみるつもりです」
『成程……それは良い考えだね。苺の彼が『鈴菱』と繋がりがあるなら、鈴菱氏と何か関係があるかもしれない。そっちは任せるよ』
「はい」
『なら、まずは日付から頼むよ。二週間前と言うと……』
  そして、慧と明日叶はその人物に関して記憶にある総てのことを亮一に話した。

「……」
  啓太はベッドに横たわって、ぼんやり天井を眺めていた。
  部屋に閉じ籠って四日。落ち込むだけ落ち込んだら、少し気持ちがすっきりした。真実の瞳(トゥルー・アイズ)を諦めることはまだ出来ないが、焦らなくても良いと思えるほどには。
(それに、これ以上、和希を心配させたくない……)
  ゆっくりと啓太は起き上がって着替え始めた。
  BL学園(ベル・リバティ・スクール)を卒業後、和希と啓太は一緒に暮らし始めた。セキュリティは強固だが、こぢんまりとしたマンションの最上階に啓太が部屋を買った。ウィルス漏洩事故の法的賠償責任の一環と称して、二十歳の誕生日に贈与される『鈴菱グループ』創始者の遺産を少しだけ先に貰って。最初、その話を聞いたとき、啓太は哀しそうに顔を曇らせた。
『……そんなのいらない。俺にとって、あれは一番の幸運だったんだ。そのお陰で、また和希と逢えたんだから……』
『……啓太、俺達は必ず再会したよ。あんな事故がなくとも……』
『……だったら、余計いらない……』
『……啓太なら、そう言うと思った。でも、貰ってくれないか……祖父のために。父がそれで啓太を『鈴菱』に縛りつけようとしているのはわかっている。でも、祖父は最後まであの日の過ちを忘れられなかったから。償わせてあげて欲しい……』
  そう言われて、漸く啓太は遺産を受け取ることにした。但し、今後も和希がそれを管理するという条件をつけて。
  しかし、マンションだけは啓太が買うことにした。和希が選ぶものはどれも豪華なものばかりだった。しかも、その名義人を啓太にすると言う。遺産ばかりかマンションまで貰うのは、かなり気が引けた。そのくらいなら良心に少しだけ蓋をする方が良い。
「……っ……」
  部屋から出た啓太は予想外に居間が明るいので眩しそうに目を細めた。振り返ると、自室はカーテンを閉め切って光も殆ど射してない。そんな場所に今日までずっと閉じ籠もり、食事も殆ど取ろうとしなかった。心配性な和希は相当、胸を痛めたに違いない。
(ごめん、和希……)
  キュッと啓太は口唇を噛み締めた。そして、テーブルにあるノート・パソコンから和希の携帯電話にメールを送った。

       もう元気になったから。少し気分転換に行ってくる。

  少し肌寒い気がしたので、啓太は鍵と財布をダッフル・コートのポケットに入れて玄関を出た。エレベーターで一階まで降りると、案の定、外は冷たい風が吹いていた。もう春なのに、まるで冬に逆戻りしたみたいだな……と啓太は思った。桜……まだ咲いてるかな……
  啓太が近所にある桜並木へと足を向けたとき、不意に横から声を掛けられた。
「こんにちは~」
「……?」
  見ると、浅葱色の瞳をした髪の長い男が一人……マンションの傍に植えられている花水木の下に立っていた。
「漸く出て来てくれましたねえ。あんたがあんまり閉じ籠ってるから、そろそろ俺も痺れを切らしてたんですよ」
  ふわふわと語尾が抜けた奇妙な話し方をするが、彼の仕草はどこか優雅で隙がなかった。啓太は素早く周囲に視線を走らせた。すると、クスッと彼が笑った。
「駄目ですよ、啓太……啓太って呼んでも良いですよねえ。あんたが部屋を出ると同時に、部外者には退場して貰いました。少し俺と話をしませんか? ああ、自己紹介がまだでしたねえ。俺は中川眞鳥……どうか眞鳥と呼んで下さい」
  そう言うと、眞鳥は胸に手を当てて小さく頭を下げた。


2010.4.9
静一郎さん……名前しか出て来ないものの、
さり気なく慧に大きな影響を与えています。
あの腹黒さが好きです。
そして、もう一人……忘れてはいけない眞鳥さん。
知恵の輪は持っているのかな。

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Café Grace
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