花曇りの空の下を眞鳥と啓太は互いに少し距離を取りながら、ゆっくりと歩いていた。桜はまだ咲いていたが、もう終わりが近いのだろう。時折、枝から淡い花びらがはらはらと降ってくる。眞鳥が話し掛けるとはなしに言った。
「やっぱり桜はこの国が一番綺麗ですねえ。同じ苗木から育てても、向こうではこんなふうに儚げな色彩(いろ)にはならないんですよ。多分、気候が違うからでしょうねえ」
  眞鳥は宙を舞う花びらに手を差し出した。啓太は無言で眞鳥を見つめている。
「俺は今を艶(あで)やかに咲き誇る花より、散り際の美に惹かれる性分なんです。だって、どんなに俺が足掻いてみても、こうして指の隙間から零れてくのを止められないじゃないですか。時間も、人も。だから、その瞬間くらいはつい信じたくなるんですよ。永遠っていうものを」
「……」
「まあ、それに近いものなら幾つかありますがねえ。たとえば、人が存在する限り、必ずそこにあり続けるもの……欲望とか。あんたはどう思います?」
「……」
  啓太は何も答えず、ただ静かに花へ視線を移した。眞鳥も尋ねはしたものの、返事は特に期待していなかった。また一つ、花びらが掌を掠めてゆく……
  永遠など存在しないと初めからわかっていた。
  遥か昔に国と民を失っても王の矜持(プライド)は捨てられなかった眞鳥の一族は、同じ記憶を教え繋いでゆくことで自らの中に永遠を創り上げた。物心ついたとき、眞鳥は既にその永遠に織り込まれていた。鮮明で膨大な過去と曖昧で虚ろな現在。自身は空の器も同然で、生命はただ次の者に永遠を継がせるためだけにあった。
  何の価値も見出せないまま、凍れる時間の重さに耐え続ける。
  それが、人が無理やり創造した永遠に与えられた代償だと気づいたときはもう手遅れだった。逃れる術はどこにもなかった。失えば、二度と戻らない記憶だから。代々の一族の営み総てを無意味にする勇気は誰にもなかった……眞鳥自身をも含めて。
  一族が滅びる日まで、これが延々と続くかに思われた……が、突然、刻(とき)が動いた。
  長き記憶の連鎖より一族を解放する棺を開く鍵――真実の瞳(トゥルー・アイズ)――を持つ明日叶が眞鳥の前に現れた。いつか真実の瞳(トゥルー・アイズ)を見つけ出し、この幻の王国を終わらせるためだけに生きていた眞鳥は明日叶に総てを懸けることにした。
  まず最初に、明日叶の過去を完全に調べ上げた。すると、アメリカで幾度か誘拐未遂に遭っていることがわかった。嫌な予感がした。もしかすると、誰かが明日叶を狙っているのかもしれない。それを裏付ける様に、数日後、学園内で明日叶が何者かに襲われた。すぐさま眞鳥は監視カメラが捉えた犯人達の画像を入手した。
  そこには、元マニュスピカのグレゴリー・ホークに忠誠を誓う鷹の印が映っていた。
  一族が古に失った国――フィトナ――の遺跡の宝物庫には、偶然、それを発見したマニュスピカの創始者・アイビスによって特殊な鍵がつけられていた。それは、真実の瞳(トゥルー・アイズ)を持つ者にしか開けることが出来なかった。フィトナの遺跡をホークが探索していることは既に調査済みだったので、そこに眠る莫大な財宝目当てに明日叶を攫おうとしているのは直ぐに読めた。
  フィトナの遺物は一族の矜持(プライド)であり、結束の象徴でもあった……が、眞鳥はそれを手放すよう父親に進言した。一度、公になってしまった以上、もう隠し通すことは出来ない。一族にフィトナの末裔として表舞台に立つ気がないなら、他に選択の余地はなかった。
  更には真実の瞳(トゥルー・アイズ)のことがある。
  眞鳥は魁堂学園で真実の瞳(トゥルー・アイズ)に関する情報収集も行っていた。そうして初めてわかったのは真実の瞳(トゥルー・アイズ)は元々稀有な上に、きちんと能力を開花させられる者は殆どいないということだった。しかも、精神的な衝撃(ショック)で容易く消失してしまう繊細で不安定なものでもあった。マニュスピカとホークの争いに巻き込まれて、漸く見つけた真実の瞳(トゥルー・アイズ)を壊されては堪らなかった。真実の瞳(トゥルー・アイズ)は一族の――眞鳥の――唯一の希望だから。
  フィトナの復興を望んでないなら、マニュスピカを通して総ての遺物を現在の国と民に引き渡せば良い。そうすれば、散逸する恐れもない。一族には遺跡内の財宝を失っても、安寧な生活を営める充分な蓄財があった。何より真実の瞳(トゥルー・アイズ)が見つかった。一族の解放は今や目前にまで迫っている。この機を絶対に逃してはならない!
  こうした説得や情報が功を奏し、暫くして一族はフィトナの遺跡から手を引くという結論に達した。
  マニュスピカがホークを捕らえた二日後、眞鳥は明日叶を深夜の遺跡へと連れ出した。一人で見物していたら石の棺を見つけたものの、どうしても開け方がわからない。錠前破りが特技の自分としては気になって仕方ないので、真実の瞳(トゥルー・アイズ)で見て欲しい。そんな尤もらしい話で巧く誤魔化したつもりだった……が、遺跡に着くと、明日叶は眞鳥を真っ直ぐ見つめてこう言った。
『……Tiamatre En Fitna(ティアマトリ・エン・フィトナ)……』
  それは、一族の者以外は誰も知らない眞鳥の本当の名前だった。
  以前の明日叶なら、それを視ることは出来なかっただろう。しかし、二日前、明日叶は愛する人と身も心も結ばれて強くなった。その想いが能力の揺らぎを抑え、明日叶の瞳により深い真実が映し出せる様になっていた。
  常に明日叶を注意深く見つめていた眞鳥にはその変化が直ぐにわかった。もう真実の瞳(トゥルー・アイズ)を欺くことは誰にも出来ない。そう悟った眞鳥は自分の秘密を総て明かした。そして、改めて明日叶に頼んだ。
『……真実の瞳(トゥルー・アイズ)、どうか我が一族をこの記憶の呪縛から解放して下さい……』
  棺は真実の瞳(トゥルー・アイズ)を持つ者と、正統な王の血を引く者が揃ったとき初めて開くと語り継がれてきた。遥かなときを経て、今、ここにその二人がいた。真実の瞳(トゥルー・アイズ)の明日叶とフィトナ王位の第一継承者たる自分が。これで漸く総てを終わらせることが出来る。そう思った。
(明日叶……)
  花を見つめて、眞鳥は胸の奥でそっと呟いた。
  明日叶に惹かれてなかったと言えば嘘になるかもしれない。幼い頃から真実の瞳(トゥルー・アイズ)を求め続けていた自分は、名前さえ知らないその人に恋をしていた様なものだった。しかし、一族の永遠の中でいつも気持ちを押し殺して生きていた。己が在り方を簡単に変えることは出来ない。そうして多くのものが眞鳥の掌から零れていった。明日叶もまた……
「……」
  ああ、これからも俺はこの季節になると明日叶を思い出すだろう。明日叶は桜が好きだから。もしかしたら、明日叶もどこか違う場所で同じ花を眺めてるかもしれない。この先、二人の人生が交わることが決してなくても、花を見上げる度に俺は想う。貴方を、愛してました……
「……中川さん」
  その声に、ハッと眞鳥は我に返った。目的を忘れ、つい物思いに耽ってしまった。胸の痛みを隠して優雅に微笑む。
「眞鳥と呼んで欲しかったんですが、まあ良いでしょう。何ですか、啓太?」
「先刻の質問の答えなんですけど、俺はこの一瞬は永遠だと思います」
「う~ん、意味が良くわからないんですけど」
  眞鳥は小さく首を傾げた。啓太は傍にある桜の枝に手を伸ばした。
「俺は今、この花を見て綺麗だなって思いました。たとえ明日、この木が枯れても、今日の俺の気持ちは変わらない。永遠って、そういうものだと思います」
「でも、あんたはいつかそれを忘れてしまうかもしれない。そうしたら、永遠も一緒に消えてしまいますよ」
「……」
(そうやって結果の中に原因を持ち込むから瑕疵(かし)が生じる。永遠とは意識に与えられた質であり、形ある量とは全く異なるもの。貴方達はまだそんなことを言ってるのか……)
  啓太は無言で通りの向こうへ瞳を流した。
  人通りもまばらな平日の午後は、付近に住む野良猫にとって縄張りの巡回をする絶好の時間になっていた。大きな茶虎の猫が緩慢な動作で、のっそりのっそり反対側の歩道の端を歩いている。
  BL学園(ベル・リバティ・スクール)にいた頃、生物教師の海野がトノサマという名前の三毛猫を飼っていた。一日に二度、トノサマも学園内を欠かさず見回っていた。ふさふさとした長い尻尾をピンと立て、堂々と風を切って歩く姿は妙な風格さえ感じられたものだった。その猫も細い尻尾を、まるで自分の旗印の様に高く真っ直ぐ伸ばしていた。しかし、何を思ったのか。突然、猫は方向を変えると、啓太のいる側へ向かって道路を横断しようとした!
「あっ……!」
  一台のバイクが左から猛スピードで接近して来る……が、それに気づかない猫は全く足を速めようとしなかった。危ないっ……!
  そう思った瞬間、啓太は夢中で車道へ飛び出していた……


2010.8.27
片想い眞鳥さんです。
想う時間の長さは、ある意味、慧より上の眞鳥さん。
ああ、明日叶は愛されています。

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