いつも静かな図書館が今日は文豪達のざわめきに満ちていた。ネコ、曰く『重要な話』があるらしい。皆の潜書の予定を調整してまで集めるのだから相当なことなのだろう。態々書架を移動させて空けた一角には大きな教卓が置かれ、それを中心に扇形に椅子が幾つも置かれていた。しかし、図書館には全員が座れるほどないので、足りない分は各自で持ち込む許可が出ていた。
「……ったく、ここは寒いな」
 教卓から少し離れた左側の先頭……豪奢な赤いベルベットの寝椅子に半身を横たわらせていた志賀はおもむろに右腕を伸ばした。志賀に少し寄り掛かって行儀良く座っている武者小路を強引に抱き寄せる。
「もっとこっちに来いよ、武者」
「もう……志賀は寒がりなんだから。一応、暖房は入っているのに」
 半ば呆れながらも武者小路は素直に身を任せた。志賀の腕の中に納まって嬉しそうに笑う。その赤みを帯びた癖のある髪に志賀は優しく口づけた。照度を落とした柔らかな光が照らす気高い白服の二人は、まるで一枚の美しい絵画の様だった。
 完全に世界を作っている白樺派を殆ど誰も気にしていなかったが、真向いの右側の先頭に三つ並んで椅子を陣取っていた坂口、太宰、織田は苦虫を噛み潰した顔をしていた。
「あ~、嫌だ。嫌だ。見てる俺達まで寒くなる」
 太宰が大げさに身を震わせた。それに坂口が同意する。
「見たくもねえもん見せられて、こっちはいい迷惑だぜ」
 織田も小さく頷いた。
「あの人達には奥ゆかしさってものがありまへんな」
 露骨な嫌悪を隠そうともしない三人の後ろでは中原と若山が一緒に酒を飲んでいた。どちらも無類の酒好きで、既に出来上がりつつある。中央部分の椅子には芥川と菊池、少し離れた処に高村と宮沢、新美がいた。三田派や北原一門、尾崎一門、余裕派はその後ろに適当に纏まっている。プロレタリア派は最奥の柱の陰に気配を消して立っていた。現在、いるのはそれだけだったが、時間が迫って来ると、遅れて駆け込む文豪達のガタガタと椅子を運び込む音や挨拶の声で館内は更に騒がしくなった。
 やがて廊下のドアが開き、ネコが現れた。長い尻尾を振りながら、ゆっくりこちらに向かって歩いて来る。トンッと軽い音を立てて教卓の上に飛び乗ると、文豪達は話をやめた。ネコは重々しく全員を見回した。
「皆、揃っている様だな」
「態々俺達を招集して一体、何の用だ?」
 全員を代表して志賀が声高に尋ねた……腕の中にしっかり武者小路を抱えながら。それを認めたネコは短くため息をついた。
「……泉、説明を頼む」
 すると、後ろの席にいた泉がすっと立ち上がった。隣の尾崎に小さく一礼する。
「失礼します、紅葉先生」
「おお、此度の招集は鏡花の発案だったのか。ならば、見事、務めを果たして来るが良い。我はここで見ていよう」
 尾崎は大仰に頷いた。はい、と泉は身を引き締めた。真っ直ぐ教卓へ向かい、袖から何かを取り出して振り返る。白い手袋を嵌めたその手には銀色の長い指示棒が握られていた。先端に可愛い兎がついているから泉のコレクションの一つなのだろう。それを一度、ビシッと振って泉は凛とした声で話し始めた。
「本日より館内生活風紀取り締まり委員に着任した尾崎門下生の泉 鏡花です。最近、館内における生活風紀の乱れが著しく目に余るので、今日は清く正しい館内生活を送るためにこの場を設けさせて頂きました」
「お~、確かに乱れてるよな、風紀」
 坂口が口を挟んだ。じと~っと志賀を睨む。武者小路の首筋に深く顔を埋めていた志賀は不快そうに柳眉を吊り上げた。
「何だ? 俺に文句があるのか?」
「風紀を乱してる元凶って自覚がねえから言ってやる。そういうことは部屋でしろ。態々そんな椅子まで持ち込むな」
「寒いんだから仕方ねえだろう。それに、椅子の持ち込みは許可されてる」
「これだから世間知らずは……世の中にはな、限度ってものがあるんだよ」
「はっ、それはお前の勝手な言い分だろう。俺は間違ったことはしてない。なあ、武者」
 志賀は腕の中の武者小路に同意を求めた。うん、と武者小路は頷いた。
「坂口君、昔から志賀は寒がりでこんな処に長く座っているのはとても辛いんだ。今も身体が冷えているのが僕には良くわかる。こうして暖を取ってないと、多分、志賀は話が終わるまでここにはいられないと思う。だから、これくらいは大目に見て貰えないかな」
 ふふん、と志賀は勝ち誇った微笑を浮かべた。さすが白樺派。自己の正当性を曲げない。その会話を聞いていた殆どの文豪は密かにそう思ったが、誰かがそれを口にする前に泉が鋭く指示棒で二人を指差した。
「館内規則、第一条! 館内での不純同姓交遊は禁止です!」
「不純とは聞き捨てならねえ! 訂正しろ、泉!」
 途端に激昂した志賀は射殺す様な目で泉を睨みつけた。武者小路も憤慨して立ち上がる。
「僕達は不純ではありません! 真剣に付き合っています!」
 しかし、泉は蔑む様に冷たく二人を睥睨した。
「男子たる者が人前で破廉恥に睦(むつ)み合う姿のどこが不純ではないと?」
「そうだ。そうだ」
 太宰がすかさずヤジを飛ばした。すると、何を思ったのか、左隣の坂口が太宰の向こうにいる織田を小さく手招きした。何や、と太宰の前に身を乗り出した織田の顎を素早く捉えて口唇を奪う。
「ふ、んっ……っ……」
 織田から甘い吐息が零れた。それを見た志賀が二人を指差して叫んだ。
「ああゆうのを破廉恥って言うんだろう!」
「……?」
 くるっと泉は振り返った。しかし、そのときには坂口と織田は既に離れてきちんと椅子に座っていた。泉は改めて白樺派の二人へと向き直った。
「話を逸らして誤魔化すつもりですか?」
「お前の見るのが遅いんだ!」
 悔しそうな志賀を見て坂口は勝ち誇った様に口の端を上げた。太宰が小さく囁いた。
「ずるいぞ、安吾、俺だってオダサクとキスしたい」
「すれば良いだろう、太宰、一緒に楽しもうぜ」
「おう」
 早速、太宰は右隣にいる織田の後頭部に手を回して引き寄せると、坂口よりも深く口づけた。口唇の隙間から舌をくちゅりと滑り込ませる。あっ、と志賀が大きな声を上げた。
「ほら、また!」
「もう……一体、何ですか?」
 泉は再び後ろを見た。やはり無頼派の三人は行儀良く座っている。織田の頬が少し赤いのが気になったが、目の前で白樺派の醜態を見ているのだから仕方ないかもしれない。泉は生ゴミでも見る様な瞳を志賀へと流した。
「自らの非を認めず、他者に責任を転嫁するとは随分と見苦しい真似をしますね、志賀先生」
「くっ……!」
 志賀はきつく口唇を噛み締めた。泉の背後で三羽烏が声を潜めて面白そうに笑った。織田が笑顔のままで呟く。
「ワシで遊ぶと後が怖いで、二人とも……一滴残らず搾り取ってやる。覚悟しいや」
「おう、受けて立ってやる。ベッドは空いてるぜ」
 坂口が不敵に返した。太宰も小さく頷いた。
「今夜は安吾の部屋で朝までコースだ。途中でへばるなよ、オダサク」
 そんな無頼派を後方から眺めていた尾崎が感慨深げに言った。
「うむ……実に美しいことよ」
「えっ!? あれのどこが美しいんですか?」
 傍にいた徳田がすかさず尋ねた。白樺派より淫らな気がするんですけど……
「小童が三人、無邪気に戯れておるではないか」
「無邪気ですか、あれが?」
「ちゃんと服を着ておるだろう。我が幼き頃は裸の男女がそこら中におったわ」
「えっ!?」
 徳田は大きく目を瞠った。他の文豪達も自然と耳を傾ける……いや、寧ろ、積極的に。国木田と島崎はメモ帳を片手に一言も聞き漏らすまいとペンを構えた。
「我が初めて生を受けたのは江戸末期……毎日、入浴する習慣は既にあったが、当時は余程の金持ちでなければ、皆、公衆浴場を使っていた。その銭湯が混浴だったから誰も裸に抵抗などなかった。往来では銭湯帰りの男が腰に手拭いを巻いただけで闊歩しておるわ、女は人前で乳房を曝して赤子に授乳しておるわ、まさに裸の楽園よ」
「凄っ……!」
「だが、西欧化を目指す明治新政府が裸禁止令を出して肌の露出を厳しく取り締まり、その光景はいつしか時間の彼方へ消えてしまった……」
 僅かばかりの哀愁を漂わせ、尾崎は遠く宙を見つめた。これは良い話……と言うのだろうか。徳田が反応に困っていると、コホンとネコが空咳を一つした。
「現在でも人前で裸になることは厳しく取り締まられている。また、その様な画像などを所持・閲覧することも制限されている」
「えっ!?」
 宮沢が驚きの声を発した。尾崎の話に聞き入っていた泉がハッと気を取り直した。
「館内規則、第二条! 十八歳未満の文豪は成人向け書籍等の購入・閲覧は禁止です! 補足一項! ここで言う年齢とは転生後の外見年齢とします!」
「横暴だ!」
 ガタッと椅子を蹴って宮沢が勢い良く立ち上がった。幼い身体を怒りにわなわな震えさせている。春画集めが趣味の宮沢にとって、それは絶対に受け入れられないものだった。泉は小さく頭を下げた。
「申し訳ありません、宮沢先生。ですが、これは現在の法律でもあるのです。僕達は国の機関の下に転生した以上、法律は順守しなければなりません」
「そんな……絵本集めは、僕の趣味なのに……」
 宮沢は大きな瞳に涙を浮かべて項垂れた。隣の新美が涙声で呼ぶ。
「賢ちゃん……」
「南吉……っ……!」
 二人はきつく抱き合ってわんわんと泣き始めた。幼い子供を泣かせてしまった泉は動揺を隠せず、おろおろするばかり……館内に居た堪れない空気が流れた。すると、それまで黙って話を聞いていた高村がポツリと言った。
「知ってる、賢治さん? 最近、春画は芸術としても人気が高いんだよ」
「……!」
「芸術を鑑賞するのに年齢は関係ないんじゃないかな」
 ピタッと二人の泣き声が止まった。お~、と静かな歓声が上がる。宮沢が涙を拭いて高村を見上げた。
「そう……そうだよね! 芸術に年齢は関係ないよね! 有難う、光さん!」
 まるで雨上がりの空の様に晴れやかな宮沢に高村は綺麗に微笑んだ。後ろの席で北原が小さく呟いた。
「相変わらず、抜け目がないね、光太郎君は」
「それで良いの!? だって、子供だよ!?」
 徳田のツッコミに返す者は誰もいなかった。
 子供が泣き止んだので、泉は再び説明を始めた。指示棒をピシリと左の掌に打ちつける。
「館内規則、第三条。二十歳未満の飲酒・喫煙を禁じます。補足一項、ここで言う年齢は第二条補足一項に準じます」
 それを聞いた中原は大きな声で笑い出した。
「ははっ、モモノハナ野郎辺りは微妙なんじゃねえの」
「俺だって安吾やオダサクと一緒に飲み行けたから問題ないに決まってるだろう!」
 すぐさま太宰が反論した。そういう中也はどうなんだ、と逆に詰め寄る。
「あ~ん、俺がどこでこれを買ってると思うんだ?」
 中原は酒瓶をふらふらと振って見せた。菊池がぐるっと周囲を見回した。
「これは問題ないだろう。飲む奴は大体、二十歳は超えていそうな外見だしな」
「そうだね。酒と煙草は大丈夫なんじゃないかな」
 芥川は袂から煙草を取り出そうとして掌を握り締めた。それに気づいた泉が言った。
「芥川先生、禁煙です」
「わかっているよ。本は火気厳禁だからね」
「いえ、そうではなく……現在の法律では公共の場所においては室内外を問わず、総て禁煙となっています」
「なっ……!」
 さっと芥川の顔色が変わった。今生もヘビー・スモーカーの芥川にとって、それは大きな死活問題だった。
「なら、僕はどこで吸えば良いんだい!?」
「談話室に喫煙所を設置してありますので、そこでお願いします」
「喫煙所って……まさか、あの硝子の小箱みたいな処かい!? 吸いたくなる度にあそこへ行けと!?」
 はい、と泉は大きく頷いた。芥川はガンッと頭を思い切り殴られた様に隣の菊池に倒れ掛かった。菊池が芥川を受け止めて叫ぶ。
「龍! おい、しっかりしろ! 龍!」
「……寛」
 その腕の中で蒼ざめた芥川は力なく囁いた。
「僕が眠っている内に、そっと絞め殺してくれないか……」
「馬鹿なことを言うな!」
「僕は……煙草なしでは、生きていけない……」
 芥川は昏い瞳で菊池を見上げた。菊池は小さく口唇を噛み締めた。そして、前々から密かに考えていたことを意を決して口にしてみた。
「……禁煙しよう、龍」
「無理だ、寛」
 儚い笑みを浮かべて芥川は即座に首を振った。一日に百八十本も吸っていたことのある芥川にとって、煙草は骨の髄どころか魂にまで深く刻み込まれていた。今更、出来る訳がない……
 絶望的な雰囲気の二人に背後から森が静かに声を掛けた。
「煙草をやめられないのはニコチンが主な原因だ。ニコチン依存症から抜け出すのは麻薬をやめるのと同じくらい難しいと言われている。だが、現在は禁煙補助薬でその離脱症状を和らげ、緩やかに禁煙を進めることが出来る」
 菊池が振り返って尋ねた。
「龍の禁煙を手伝ってくれるのか?」
「俺は医者だ。患者を見捨てることはせん」
「……感謝する」
 小さく頭を下げ、菊池は嬉しそうに芥川に言った。
「聞いたか、龍、これで禁煙出来るぞ」
 しかし、芥川はまた首を横に振った。自虐的な微笑が浮かぶ。
「駄目だよ、寛……僕にとって、煙草は精神安定剤でもあるんだ。どうしようもなく心が沈んだとき、口寂しくなったとき、煙草の一服にどれほど救われたことか……それは薬ではどうにもならない」
「大丈夫だ、龍……俺がいる。俺が、あんたの傍についてる」
「寛……」
「今度こそ絶対に離れない。心が沈んだら、いつでも俺が抱き締めてやる。口寂しくなったら……」
「なったら……?」
 その言葉に誘われる様に菊池が動いた。芥川の頬にそっと手を添え、静かに口唇を重ねる。やがて舌の絡まる水音と甘い吐息が静かな空間に響き始めた。泉が顔を真っ赤にして指示棒を振り上げた……が、二人の後ろにいる尾崎が濡れた目元を拭っていることに気づき、さっと顔色を変えた。
「紅葉先生、どうされたのですか!?」
 泉は尾崎の下へ駆け寄った。徳田が呆れた様に肩を竦めた。
「感動してるみたいだよ、色々と」
「紅葉先生、何とお心の広い……秋声、貴方も少しは見習いなさい」
「この感性を? 僕には無理だね。理解出来る気がしない」
「それでも尾崎門下の一員ですか!」
 泉のいつもの小言が始まり、徳田は思い切り顔を顰めた。
 主催の泉が脱線したので、館内は再びざわつき出した。宮沢は購入を検討中の春画について高村と新美に熱く語り、中原と若山は余裕派と北原一門を巻き込んで宴会。その余興に江戸川はテーブル・マジックを披露していた。志賀は武者小路の耳元で何かを囁いては互いに微笑み合い、国木田と島崎は田山まで駆り出してそここに散らばるネタ集めに励んでいる。
 それをぼんやり眺めていた太宰が大きなため息をついた。
「なあ……俺達、もうここにいる意味なくない?」
「せやな。これ以上、あれを見てるのも胸焼けしそうやしな」
 織田がうんざりした瞳で白樺派を見やった。坂口がおもむろに立ち上がった。
「昼にはまだ早いし、部屋で読書でもするか」
 坂口に引率される様に太宰と織田はそっと図書館を抜け出した。しかし、少し進んだ処で背後から声が掛けられた。
「待て、お前達」
 それはネコだった。冷たい廊下に腰を下ろしたネコは三人を見上げて静かに言った。
「今日、吾輩が文豪達を集めたのは何も泉の提案があったからだけではニャイ。吾輩からも話があったのだ……特にお前達に」
「ほう?」
 坂口がゆっくりと振り返った。両脇にいた太宰と織田もネコに視線をやる。太宰がぶっきら棒に尋ねた。
「何だよ、話って」
「……」
 織田は俯いて無言で髪を結い直し始めた。坂口が不敵に口の端を上げる。
「まあ、大体の予想はつくが、一応、話だけは聞いてやるぜ」
 その言葉にネコは小さく鼻を鳴らした。
「お前達が生きていた時代とは異なり、現在は様々な規制のあることは泉の説明でわかったはずだ。だが、まだ一つだけ言ってニャイことがある」
「……薬か」
「そうだ。麻薬は使用は勿論、所持するだけで重大な刑事罰が課される。ここにいる文豪達の中でも特にお前達には縁が深いものだろう。だから、一度、しっかり釘を刺しておきたかった。どんな理由があろうとも、再び麻薬に手を出すことは絶対に許さニャイ……絶対に、だ」
 そう言ってネコは織田をじっと凝視した。少し間を置いて、織田が喉の奥で昏く笑った。
「前世は前世やろ。ワシらは前世とは似て非なる存在やで」
「だが、根本的なところは同じだ……相変わらず、お前が生き急いでいる様にな。これが吾輩の単なる杞憂に過ぎニャイのならば、素直に謝ろう」
「……」
 織田とネコの視線が空中でカチリとぶつかった。織田が何か言おうと口を開いた……が、その瞬間、坂口が間に割って入った。廊下にしゃがみ込み、右手でネコの頭をわしわしと撫でる。
「あんた、意外と可愛いとこがあるんだな」
「や、やめろ」
 ネコは坂口の手を避けようと首を振った。しかし、坂口はそれを全く意に介さず、ネコの頭を捏ね回した。
「俺達を心配してるんだろう。だが、それは野暮ってもんだぜ」
「……!?」
 見ると、坂口の後ろで太宰が自分より少し背の高い織田を強引に引き寄せ、深く口唇を重ねていた。瞼を伏せて仄かに色づいた織田を太宰は半眼でじっくりと堪能している……
「何なら、もっと詳しく確認するか?」
 坂口が面白そうに誘った……勿論、断られるとわかっていながら。ネコは不愉快そうに尻尾を振った。
「人間の生態に興味はニャイ。お前達が織田を繋ぎ止められるのならば、吾輩はそれで良い」
 そして、ネコはどこかへ行ってしまった。
「……」
 すっと坂口から表情が消えた。侮れない奴だ、と密かに思う。
(まだオダサクが薬を使ってると見抜いてやがる……だが、あいつは何もわかってない)
 三羽烏が揃って織田の麻薬の使用はかなり減った。しかし、完全に断ち切れた訳ではなかった。織田にとって麻薬は無理のきかない身体を強制的に動かすための燃料……そこが変わらない以上、永遠にやめることは出来なかった。たとえ、そのために今生の生命が燃え尽きようとも、構わない。それが織田という魂だった。
 坂口は無言で立ち上がると、背後から織田をきつく抱き締めた。太宰が名残惜しそうに織田の口唇を軽く食んで離れてゆく。二人の間を繋ぐ銀の糸が音もなく切れ、織田は唐紅の瞳をそっと後ろへ流した。
「はあ……っ……安吾……?」
「いつまでも見せつけやがって……俺を孤独にするんじゃねえ」
 そう言うと、坂口は織田の顎を捉えて荒々しく口づけた。半身を捻った苦しい態勢に織田が抗議する様に坂口の腕を叩いた。
「待っ、て……んっ……っ……」
 織田の身体が小刻みに震えた。快感より酸欠で意識が霞む。反応の鈍い織田に坂口は胸の奥で小さく舌打ちした。仕方なく口唇を離し、肩で大きく息をする織田のうなじをきつく吸い上げる。
「読書はやめだ……今から抱いてやるぜ、オダサク」
「ちょっ……ワシを殺す気かいな」
 その言葉に織田は慌てて逃げ出そうとした。太陽はまだ天頂にも届いてない。今からなんて冗談ではない。しかし、織田は坂口の腕にしっかり捕らえられ、身じろぐことすら出来なかった。
 諦め切れずにもがく織田に太宰は両手を伸ばして綺麗に微笑んだ。
「大丈夫だ、オダサク。死ぬときは俺達三人、道連れだ……ぼっちは寂しいからな」
 ああ、と坂口も低く囁く。
「一緒に堕ちてやる、どこまでも」
「……!」
 咄嗟に織田は瞼を閉じた。
 今、自分の瞳に浮かぶ色彩(いろ)を誰にも見られたくなかった。生命が惜しいと思ったことはない。甘い言葉に舞い上がるほど初心でもない。なのに、息苦しいくらい二人に溺れそうになる……
 ぞくりと肌が粟立った。
「……あんたら、薬より質が悪いわ」
「今更、それ言う?」
 太宰が織田の鎖骨にねっとりと舌を這わせた。全くだ、と坂口は首筋に緩く牙を立てた。薄い肌を通して声が伝わってくる。
 ――俺達は、こんな愛し方しか出来ない。

 翌日、抱き潰された織田が部屋で寝込んでいると知った泉が指示棒を片手に二羽の烏を追い掛け回していた。



初出 2018.1.1
『Annexe Café』より転載。

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Café Grace
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