リクエストして書いて頂きました。
幻想的な風鈴に暑さを忘れ、
ひとときの清涼に浸れる印象的な作品です。


夏の終わりに

 空は青に染まっていた。絵具でも、色鉛筆でも表すことのできない色でどこまでも続いている。だけど、そこに浮かぶ雲はどこか寂しげで、力強く浮かぶ入道雲が少しだけ恋しい。
 つい最近まで続いていた、うだるような暑さが少し和らいでいる気がした。夏が終わろうとしているのだ。
「あー、明日から学校か……」
 そんな空を見上げながら明日叶は憂鬱そうな声を漏らし、手にしたアイスキャンディを一口かじった。
 甘い。ラムネ味が口いっぱいに広がって、口元が緩んだ。
「明日叶、転ぶぞ」
 ひょいっと腰を抱え込まれるように掴まれて、立ち止まった。
「うわっ?! 慧、いきなりなんだよ??」
「だから、転ぶ」
 呆れたように笑いながら、慧は足元を指さした。それにつられるように目線を下に向けると、店先に並んだプランターがちょうど目の前にあった。おそらくあと二歩前に進んだら、思い切り蹴り飛ばしてしまっていただろう。
「ごめん……ありがとう」
「明日叶が怪我しなければそれでいい」
 至って真面目に答えると、慧も手にしていたアイスキャンディを一口頬張った。
 今日は夏休み最後の日。せっかくだからと二人で日帰りではあるが遠出をすることにした。新幹線に乗ってやってきたそこは、昔ながらの町並みが残る小さな観光地だった。小高い丘を登ったり、美味しいと有名な蕎麦屋に入ったり、足湯に浸かってみたりと、今日と言う日を満喫した。
 今日だけじゃなく、今年の夏休みは人生で一番遊んだと思っている。ほとんどが慧と一緒で、明日叶の実家にも二人で帰った。両親は成長した慧を見て懐かしみ、喜んで迎え入れてくれた。思い出すだけで心が温かくなる気がして、再びアイスを頬張った。
「今年の夏は、何だか今までで一番楽しかった気がする」
 思わず、呟いていた。
「慧といた……からかな」
 自分で言っておいて、照れくさくなってしまった。しかし、慧はそれを茶化すことなく目を細めて笑うと、そっと明日叶の空いている手を繋いだ。
「……! 慧、誰かに見られる」
「大丈夫、少しだけ」
 ぎゅっとさらに力を込められて、心臓がバクバクと音を立てて跳ね上がった。
 そんな二人の間を、風が通り過ぎる。
 木々を揺らす音の狭間で、優しい音色が微かに聞こえた。
「…………あれ?」
「どうした? 明日叶」
「今、何か聞こえた」
 耳を澄ませるが、風が止んでしまった今は何も聞こえない。
「何が聞こえたんだ?」
「わからない……聞いたことあるような、懐かしい感じだった」
 ――チリン。
 再び、それが耳に飛び込んで来て、明日叶は顔を上げた。
 道の向こう側から、手を繋いだ親子がやってきた。その子供の手には、風鈴が一つ。嬉しそうにそれを眺めながら、自分で揺らして音を鳴らしていた。
「そっか、風鈴だ」
 先ほどの風にまぎれてやってきたのは、風鈴の音だったのだ。しかしこんな道端で風鈴を手にしているのは、少し珍しいような気がした。親子が通り過ぎた後、その後ろ姿を見送りながら明日叶は首を傾げた。
「何で風鈴持ってるんだろうな」
「気になるのか?」
「少し。でもそろそろ帰らないといけないよな」
 時計を見ると、新幹線の時間まであと二時間ちょっとだった。ここから最寄りの新幹線発着駅まで三十分以上はかかるから、あまり遅くまでいることはできない。
 でも、あの風鈴の音色が耳に焼き付いて離れなかった。
 ぼんやりと親子がやって来た道を眺めていると、慧が手を引いた。てっきり「帰ろう」と言う合図かと思ったら、駅とは逆方向の道、つまり今親子がやってきた方角へと歩き出したのだ。
「慧、駅はあっちだ」
「わかってる」
「? じゃぁなんで」
「明日叶が行きたいところに、行く」
 慧のごつごつとした大きな掌が、自分の手を包み込む。持っていたアイスが溶けてしまいそうなほど、慧の言葉は真っ直ぐで温かい。
「でもっ新幹線の時間が」
「そんなのまた取り直せばいい。明日叶が見たいものを、俺も見たくなった」
 まるで慧自身が見たいからと言いたげな物言いだったが、自分のために慧が手を引いてくれていることは明日叶にも十分伝わっていた。これを否定する権利など、意思などどこにもない。
「ありがと、慧」
 その言葉を聞いて微笑む慧の顔は、自分だけが知っている優しい笑顔だった。

「ここかな……?」
 二人はとある寺の前までやってきていた。一見普通の寺のようだが、厳かな門の向こう側から、時折思い出したように風鈴の音が聞こえた。
 門をくぐり、中に入った途端、明日叶は目を丸くした。
「わぁ……! 凄い……」
 境内には、季節折々の花が咲いていると同時に、頭上にいくつもの風鈴が吊り下げられていた。その数はざっと見ても何百とあり、まさに圧巻だった。
 これには慧も驚いたのか、呆気に取られたようにその光景を見つめていた。何だか慧のそんな顔を見るのは珍しいので、思わず明日叶はそちらに気を取られてしまう。
「明日叶?」
 視線に気づいた慧が首を傾げると、慌てて明日叶は視線を風鈴の群れに向けた。
「こんなにたくさん風鈴見たの、初めてだ」
「あぁ、俺もだ」
 ただ、こんなに風鈴があるのに、境内は静かだった。だんだんと空が青から透明感のある紫に変わりつつある今は、風鈴の音色よりもヒグラシがせわしなく鳴く声の方が良く響き渡っているくらいだ。
「今日はあんまり風が吹いてないからかな。ちょっとだけ寂しいな」
「そうだな」
 同じように残念そうに頷く慧を見て、明日叶の脳裏には今年の夏の思い出が走馬灯のように流れていった。一気に名残惜しさが押し寄せてきて、無意識に慧に寄り添うように近寄った。
「明日叶?」
「俺、慧と再会できて本当に良かった。こうやって楽しい夏休みを過ごせたし、慧と同じ気持ちを共有できて嬉しい。なんか、夏休みがまだまだ続いてればいいのにとか思った」
 夏だけじゃなくて、これからずっと一緒にいるのに、何故か寂しさを感じてしまうのはどうしてなのだろう。
 明日叶自身もわからないこの感情を、慧は一つも取りこぼさずに聞いてくれた。
 そして、ぼんやりと風鈴の群れを眺める明日叶のこめかみに、軽くキスを落とす。
 慌てて明日叶はするりと慧の横から逃げ出した。
「け、慧! だからこういうとこでは……!」
「わかってる。もっとキスして抱きしめたいけど、今はこれだけだ。だから、帰ったらもっとたくさんする」
「もう……」
 冗談なのか本気なのか、と言ったらきっと本気であろうこそばゆい慧の真っ直ぐな言葉。明日叶は顔を赤らめて慧の前を歩き出した。
「俺だって……」
 そう言って振り返った、その時だった。
 明日叶の背後から、風が、強く吹いた。
 何百もの風鈴が、一斉に鳴り響く。色とりどりの色に染められた短冊がせわしなく揺れて、まるで二人を包み込んでしまいそうなほどの音色を奏でた。風がやんだ後も、余韻に浸るように涼しげな音を立てて揺れていた。
「びっくりした……凄い風だったな」
 まだ気だるい暑さが残る夕暮れ時が、少しだけ涼しくなったような気がするのは気のせいだろうか。そう言えば元々風鈴はそんな効果があるんじゃなかったっけ。そんなことをぼんやりと思っていると、不意に慧が再び手を繋いだ。
「? どうした、慧」
「なんでもない」
 風鈴を背に立ちつくす明日叶の姿は、幻想的だった。そのまま風に攫われてしまうのではないかと錯覚してしまいそうなほど、儚くも感じた。
 だから、しっかり手を握りたくなった。もう絶対に離さないと、心に誓ったのだから。
「また、来年の夏もこうやって二人でどこかに行けるといいな」
 慧は無意識にそんなことを呟いていた。それを聞いた明日叶が表情をパッと明るくさせて大きく頷く。
「そうだな! 来年は海外とかも行こう。慧と一緒に知らない土地に行くの、俺すっごく楽しい!」
 無邪気に笑うその瞳が愛しくて、慧は繋いだ手にさらに力を込めた。
 背後で風鈴の涼しい音色が、チリンと響いた気がした。


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Café Grace
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