適度に喉を湿らせた西園寺は再開する前にダイスを振ろうと手に取った。

丹羽 :また秘匿ロールか、郁ちゃん。
西園寺:そう警戒するな……今は何も起こらない。では、着替えた沙耶が戻り、昼食を終えた場面
    から再開する。空腹を満たしたので丹羽のマイナス補正は解消されたが、臣は20%減だ。
    全員、まだテーブルについている。ここで情報交換をするか?
丹羽 :(今は、か……大方、猟犬の出現判定ってところだな)
    ああ、RP(ロール・プレイ)をするぜ。俺は皆を見回してテーブルの中央に沙耶の写真を置
    く。後小路さんのはなかったが、代わりに寝椅子でこれを見つけた。まあ、手掛かりになる
    かはわからねえけどな。
遠藤 :三年前の写真ですね。
七条 :はい、どうやら後小路さんは何度もこれを手に取って眺めていたらしいです……まるで亡く
    なった方を思う様に。
伊藤 :それは……と俺は言葉を濁して沙耶さんを窺います。
西園寺:沙耶は全く興味がないのか、黙ってテレビのニュースを見ていた。アナウンサーが冒頭で
    伝えた金曜血の池事件のことをまた繰り返している。
中嶋 :(自ら沙耶の死を話すつもりはない様だな)
    なら、俺は沙耶を見て言う。成程……本物は既に死んでいたのか。
伊藤 :中嶋さん、それはまだ憶測に過ぎません。
中嶋 :憶測ではない。こいつが人間ではないことはここにいる全員が知っている。それに、お前
    の話では後小路は死を超える方法を探していた。最初は死を恐れて沙耶を作り始めたと
    思ったが、本物が死んだからとすればより辻褄が合う。
丹羽 :後小路さんはそんなことをしてたのか。道理で……
伊藤 :何か他に心当たりがあるのですか?
七条 :神父様、僕達はあの屋敷で肉塊だらけの地下室を見つけました。人の形になれなかった
    ものを後小路さんが放り込んでいた様です。多分、後小路さんは三年前に沙耶さんを亡く
    し、その悲しみから立ち直れなかったんでしょう。それで、あんな恐ろしい研究を……
遠藤 :なら、ここにいる彼女は……
西園寺:遠藤の言葉に全員の視線が沙耶に集まった。すると、少し間を置いてから沙耶は静かな
    声音で呟いた。
後小路:ねえ、沼男(スワンプ・マン)って知ってる?
丹羽 :何だ、それ?
    (思考実験のことか? だが、俺のEDU(教育)ではな)
中嶋 :知らん。
    (沼男(スワンプ・マン)か……少し話が見えてきたな)
遠藤 :いえ、聞いたことがありません。
    (王様達なら沼男(スワンプ・マン)を知っているだろうが、予備知識のない啓太には不利だ
    な)
伊藤 :(あっ、やっと出て来た。しっかり調べてきたからRP(ロール・プレイ)は大丈夫なはず……
    多分)
    私も知りません。
七条 :人格の同一性を考えるための思考実験ですね。
    (これはオリジナルと沼男(スワンプ・マン)の対立になりそうですね)
丹羽 :う~ん、もうちょっと詳しく頼む。
後小路:なら、丹羽さん……ある日、貴方は沼にハイキングに出掛けたの。でも、不運にも貴方は
    沼の傍で雷に打たれて死んでしまった。そのとき、また別の雷が直ぐ傍に落ちたの。それは
    帯電した沼の汚泥に不思議な化学反応を引き起こし、死んだ貴方と全く同一形状の個体を
    生み出した。
丹羽 :おいおい、そんなこと起こる訳ねえだろう。
七条 :だから、思考実験なんですよ。
丹羽 :ああ、架空の設定ってことか。話の腰を折って悪かった。続けてくれ。
後小路:この落雷によって生まれた新しい存在を沼男(スワンプ・マン)と呼ぶの。沼男(スワンプ・
    マン)は死んだ貴方と姿形が瓜二つで、衣服も一緒。脳の状態も全く同じだから、記憶も知
    識も経験も生前の貴方そのもの。つまり、原子レベルに至るまで死んだ瞬間の貴方の完璧
    なコピーなの。
中嶋 :本人に自覚はないのか?
後小路:ええ、沼男(スワンプ・マン)は自分が丹羽さんのコピーなんて全然、気づいてない。やが
    て何もなかったかの様に沼を後にした沼男(スワンプ・マン)は死んだ貴方の家へ普通に帰
    り、死んだ貴方の家族と普通に会話をし、死んだ貴方が楽しみにしてたテレビを普通に見
    て、死んだ貴方のベッドで普通に眠るの。そして、翌朝、死んだ貴方が通ってた会社へ普通
    に出勤して同僚にいつもの挨拶をするわ。
丹羽 :酷い話だな。それじゃあ俺が全然、報われねえじゃねえか。どっかの沼で俺は人知れず死
    んで、それまで築いてきた人生はコピーが乗っ取るなんてよ。
後小路:乗っ取ってなんかないわ。だって、貴方はもう死んでるのよ。雷に打たれてね。でも、丹羽
    さんは生きてる。沼男(スワンプ・マン)は記憶も外見も何もかも一緒だから、ちゃんと貴方の
    人生の続きを始められる。それはどこからどう見ても丹羽さんで、沼男(スワンプ・マン)自身
    や周囲の人だってそう信じて疑わないはずよ。なら、もうその沼男(スワンプ・マン)は丹羽さ
    んという人に違いないのよ。
丹羽 :……いや、やっぱり沼男(スワンプ・マン)は俺じゃねえ。雷に打たれて死ぬのはほんの一
    瞬かもしれねえが、そのときに感じた痛みや感情まで沼男(スワンプ・マン)は共有してるの
    か? してねえよな。してたら、自分がコピーとわかるはずだ。死んだ記憶がない以上、沼
    男(スワンプ・マン)と俺は時間軸の異なる全く別の存在――つまり、偽物だ。だから、俺は
    沼男(スワンプ・マン)を俺とは認めねえ。
後小路:でも、他人はそれを確かめようがないわ。貴方が望む望まないにかかわらず、周囲の人
    達は沼男(スワンプ・マン)を丹羽さんとして受け入れる。だって、同じなんだから。沼男(ス
    ワンプ・マン)がそこにいて嫌なのは死んだ貴方だけよ。死んだ貴方がどうやってそれを皆
    に知らせるの? 幽霊にでもなって化けて出るつもり?
丹羽 :そ、それは……でも、やっぱり俺は沼男(スワンプ・マン)を認めねえ。認められるか、そん
    なもの。だろう、七条先生?
七条 :難しい問題ですね。ですが、今の話で一つわかったことがあります。このたとえを借りるな
    ら……沙耶さん、貴方は沼男(スワンプ・マン)ですね?
西園寺:一瞬、テレビの音が遠くに消え去った気がした。沙耶は静かに臣を見つめた。
後小路:……そうよ。私は幸哉が作り出した沙耶の沼男(スワンプ・マン)よ。
七条 :やはりそうでしたか。
後小路:一体、それの何が問題なの? 本物の沙耶は三年前に車に轢かれて死んでるのよ。な
    ら、私が沙耶で何の問題もないはず。私は、偽物なんかじゃない!
西園寺:ドンッと沙耶は拳でテーブルを叩いた。今回は壊れるほど強い力ではなかったが、更に興
    奮させたらどうなるかわからない。
七条 :今はこれ以上、この話題には触れない方が良いですね。僕は宥める様に言います。大丈
    夫です。僕は貴方を否定しません。だから、落ち着いて下さい。
丹羽 :俺は少し混乱してるぜ。架空の設定だった沼男(スワンプ・マン)が目の前にいるんだから
    な。
遠藤 :俺は肯定も否定もせず、黙って沙耶を見つめます。
中嶋 :俺はこう言う。だが、後小路はお前を沙耶とは認めなかった。それが答えではないのか。
後小路:……っ……!
西園寺:沙耶の瞳に酷く傷ついた色彩(いろ)が浮かんだ。テーブルの上で握り締めた拳が小刻み
    に震える。
伊藤 :言葉が過ぎますよ、中嶋さん。沙耶さん、申し訳ありません。でも、貴方は一つ思い違いを
    しています。本物か偽物かが問題ではありません。大切なのは心です。貴方の中に誰かを
    愛する気持ちはありますか?
後小路:あるわ。私は幸哉を愛してる。
伊藤 :なら、自分に誇りを持ちなさい。貴方は既に大切なものを持っている。たとえ、その身は人
    によって作られても、後小路氏を愛していると思う心は間違いなく貴方のものですから。
後小路:私のもの……私の……
西園寺:沙耶は噛み締める様にそう呟き、やがて嬉しそうに微笑んだ。
後小路:有難う、神父様。


「啓太の教会は信者が多そうだな」
 丹羽の言葉に、ふふっ、と七条は笑った。
「この神父が世界を滅ぼそうとしているとは誰も信じないでしょうね」
「演技と割り切ると、啓太は意外と嘘が巧いんだな。少し驚いたよ」
 複雑な表情を浮かべながら、和希は啓太を見やった。すると、啓太は不思議そうに首を傾げた。
「俺、嘘は言ってないよ、和希」
「でも、啓太はこの沙耶が本物とは思っていないだろう? 後小路が作った沙耶はオリジナルを完璧にコピー出来ていない。二人の沙耶は口調や性格が違うからな。恐らく他にも差異があるだろう。だから、存在の意味から心の問題にすり替えたんだろう?」
「そんな難しいこと俺は考えてないよ。ただ、沙耶さんが本物か偽物かに拘ってるから神父らしいRP(ロール・プレイ)をしてみただけ。でも、多分、俺はその心すら本物とは思ってないんじゃないかな」
 どういう意味ですか、と七条が尋ねた。啓太は考えを纏めるために少し間を置いた。
「えっと……沼男(スワンプ・マン)は記憶も知識も経験も何もかも一緒って沙耶さんは言ったけど、経験は違いますよね。その瞬間まで存在すらしてなかった沼男(スワンプ・マン)は経験を記憶や知識という形で持ってるだけです。性格や心ってそうしたものが合わさって作られるから、その根本を構成する要素が欠けてる沼男(スワンプ・マン)はそもそも本物と同じにはなれない。でも、それを言ったら怒った沙耶さんに殺されるかもしれないから、俺はそこには触れずに耳障り良く聞こえる様にしたんです」
 それを聞いた中嶋が喉の奥で低く笑った。
「ふっ、誤解するのは相手の勝手だからな」
「はい……沙耶さんには悪いけど、今回の俺はそういう人だから」
「それを即興で演じるとは、さすが元演劇部ですね」
 七条が感心した様に言った。和希の視線がチラッと西園寺の方へ動いた。
 幾ら啓太がアドリブに慣れているとはいえ、沼男(スワンプ・マン)の予備知識なしにそこまで出来るとは思えなかった。予め誰かが情報を流していたのかもしれない。この場にいる者でそれが出来るのは……

西園寺:情報交換が終わったのならば、場面を先に進めるぞ。
伊藤 :あっ、待って下さい。まだ言ってないことがあるので、RP(ロール・プレイ)します。そういえ
    ば、二階で十歳くらいの子供の足跡を見つけました。
丹羽 :親戚の子でも預かってたんじゃねえか。あの屋敷に子供のいた形跡なんてなかったしな。
伊藤 :そうかもしれません。後小路氏のお子様とは思えませんので。
七条 :えっ!? 後小路さんは結婚していたんですか?
伊藤 :はい。
丹羽 :なら、奥さんはどこへ……あっ、まさか……
伊藤 :そうです。沙耶さんは後小路氏の奥様です。
丹羽 :お嬢さん、何でそれを最初に言わなかったんだ? いや、お嬢さんは失礼か。すまねえ。
    俺はてっきり恋人か何かだと思ってたぜ。
西園寺:その言葉に沙耶は小さく俯いた。
七条 :KP(キーパー)、『心理学』を振ります。
伊藤 :俺もお願いします。


七条 :心理学(70-20)→??
伊藤 :心理学(75)→??


西園寺 :(またファンブルか……HP(耐久力)を減らすばかりでは芸がないな)
    臣は沙耶の様子を窺おうとしたが、屋敷で目にした様々な出来事を思い出して恐怖で思考
    が停止してしまった。これ以降、臣は沙耶に対して技能を使う場合は総て半減する。啓太は
    沙耶には後小路の妻という記憶がないのかもしれないのと思った。
七条 :僕はファンブルらしいですね。二度もあんな光景を見てしまってはPOW(精神力)9ではも
    う限界といったところでしょうか。
伊藤 :俺は成功かな。なら、こう尋ねます。もしかして、沙耶さん、貴方は記憶が……
西園寺:啓太が曖昧にぼかした問い掛けに沙耶は辛そうに頷いた。
後小路:そうよ。私の記憶は……完全じゃない。
丹羽 :だから、後小路さんは沙耶さんを沙耶さんとは認めなかったのか……あ~、何かややこし
    いな。そう言って俺は頭を掻くぜ。
後小路:でも、でも、幸哉を思う気持ちは本物なの。私は幸哉を愛するために生まれたんだから。
    妻の記憶はなくても、幸哉の好きな料理なら全部、知ってるわ。サラダより温野菜をアンチョ
    ビで和えた方が好きで、カレーのジャガイモはあまり食べないのに肉じゃがは大好物なの。
    それから……
西園寺:沙耶はお前達に訴え掛ける様に後小路の好きな料理を次々と挙げた。その姿は屋敷で
    もう一人の沙耶を無残に叩き潰したとは思えないほど健気で必死だった。
伊藤 :俺は沙耶さんを落ち着かせるために静かな声で言います。貴方が後小路氏を深く思って
    いることは良くわかりました。氏を見つけられるかはわかりませんが、もしかしたら、私の知
    人が行方を知っているかもしれません。
後小路:本当!? 直ぐ訊いてみて。
伊藤 :はい、これから連絡を取ってみようと思います。お願いします、遠藤さん。
遠藤 :お任せ下さい、神父様。
中嶋 :今後の方針はその結果次第か。なら、俺は暫く自宅へ帰らせて貰う。
後小路:駄目よ。幸哉を見つけるまで、どこへも行かせないわ。
西園寺:沙耶の右腕が中嶋を脅迫する様に肉塊へと変化した。
丹羽 :……だとよ。ここは素直に言うことをきこうぜ、中嶋さん。
中嶋 :……わかった。
七条 :あの……それなら、僕は暫くどこかの部屋で休ませて貰えませんか? 夜勤明けで、そろ
    そろ眠気が限界で……
伊藤 :ああ、それはお疲れでしょう。客間へ案内します。部屋数ならあるので、どうぞ遠慮なく。他
    の皆さんも一旦、部屋で休みますか?
丹羽 :いや、俺は先に会社に連絡しねえとな。どうすっかな……貸し切りの客でも捕まえたことに
    するか。
中嶋 :料金はどうするつもりだ?
丹羽 :まあ、自腹しかねえだろうな。
伊藤 :なら、それは私が払いましょう。足があった方が便利ですから。
丹羽 :助かるぜ、神父様。
伊藤 :こちらこそ。では、七条先生、客間へ案内します。そう言って俺は立ち上がります。


「KP(キーパー)、俺の携帯電話は教会の啓太の執務室ですか?」
 突然、和希が西園寺に尋ねた。ああ、と西園寺は答えた。
「特に描写はしなかったが、あの流れではそこに置いて来たのが自然だろう」
「なら、啓太と一緒に七条さんを客間へ送ってから二人で執務室へ向かいます」
「えっ!? 俺も行くのか?」
 啓太は驚いて和希を見やった。紅茶を飲もうとした西園寺の動きが僅かに止まった。
(何か感づいたのか? まだそこまでの情報は出していないが……)
 それを視界の隅で捉えながら、和希はふわりと微笑んだ。
「啓太は犯罪者組のリーダーだからな。ブローカーが情報を流すことを渋った場合、傍にいた方が直ぐ相談出来るだろう」
「そっか……うん、わかった」
 啓太は素直に頷いた。
 西園寺は手元を隠してまたダイスを振った。はあ……と密かにため息をつく。また成功か。やはり啓太は運が良い……
「では、臣を客間へ送った啓太と遠藤が教会の執務室に来た場面を始める」



2016.4.1
啓太の運の良さに脱帽です。
一度は失敗すると思ったのに……
西園寺さんも皆のSAN値を削れなくて残念そうです。

r  n

Café Grace
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