「中嶋っ!!」
 生徒会室に飛び込むなり、丹羽は叫んだ。そこには既に先客がいた。西園寺と七条。二人とも険しい表情で振り向いた。漸く帰って来たか、と西園寺が呟いた。
「郁ちゃん! 一体、何があったんだ!」
「これを見て下さい」
 七条がノートPCの画面を示した。そこにはデータが侵蝕されてゆく見慣れた画像が表示されていた。
「どこのデータだ、それは? まさか……!」
「ええ、これは学園のメイン・サーバー内のシステム・データです。この人は一時的に弱体化したセキュリティ・プログラムが復活する直前、その中枢にウィルスを打ち込んだんです。それは瞬時に内部に取り込まれて増殖。最早、手がつけられません」
「今や、ここのセキュリティ・システムそのものが一つのコンピューター・ウィルスとなり、学園島の総てのデータを流出させようとしている。幸い、古いセキュリティがまだ残っていたので何とか進行を食い止めてはいるが、破られるのは時間の問題だ」
 西園寺が厳しい顔で中嶋を睨んだ。すると、それまで椅子に座って無言で煙草を燻らせていた中嶋が低く呟いた。
「まさにミイラ取りがミイラだな」
「……中嶋、お前、自分が何をやったかわかってるよな?」
 丹羽の硬い声が響いた。
「ああ、俺はお前達の望みを叶えてやっただけだ。最初に俺は言ったはずだ、丹羽……気が乗らない、と。甘いやり方は性に合わない。やるからには徹底的にやらないと面白くないだろう?」
「中嶋っ!!」
 ガシッと丹羽が中嶋の襟元を掴んで引っ張り上げた。暗く沈んだ中嶋の瞳を覗き込む。それは、どこか二人の入学当初を彷彿させた。しかし、まだそりが合わなかったあの頃でさえ、ここまで酷くはなかった。
「お前らしくねえな……一体、何があった?」
 静かに丹羽が尋ねた。中嶋は淡々と答えた。
「別に何もない。退屈だっただけだ」
「退屈?」
「ああ」
「……ふざけるなよ。たったそれだけの理由で、お前はこんなことをしたって言うのか?」
「ああ……いい加減、お前のお守りも厭きた。今後は俺の好きにさせて貰う」
「……っ!!」
 丹羽の腕が中嶋を引く様に動いた。しかし、それより一瞬、中嶋の方が早かった。寸止めの当て身で丹羽が僅かに怯んだ隙に、胸元を掴む腕に手刀を滑らせ、肘裏に打撃を与えて指先を切る。それと同時に身体を小さく捻ると、利き足で懐に鋭く蹴りを放った。丹羽は咄嗟に両腕を構えて防御しつつ、中嶋の間合いの外まで大きく後ずさった。
 中嶋が口唇を歪めた。
「俺に同じ手が通用すると思うな、丹羽」
「中嶋……!」
 すると、西園寺が二人の間に割って入り、声を荒げた。
「丹羽、今は争っている場合ではない! 中嶋、早く解除コードを言え!」
「何だ、それは?」
「ここのセキュリティ・システムは鉄壁ですが、万が一、乗っ取られた場合に備えて全システムを緊急停止させる解除コードが組み込まれています」
 七条の説明に丹羽は、ちっ、と短く舌打ちした。
「そういう根回しは得意だな、あのくそ理事長」
「ですが、それが書き換えられています」
「覗き見とは躾の悪い犬だ」
「破滅思考の貴方ほどではありません」
「やめろ、臣! それより、解除コードを言え、中嶋!」
「断る」
 そう言うと、中嶋は吸い掛けの煙草を再び口に運んだ。怜悧な顔には嘲笑さえない。自分が作り出したこの状況を一片も楽しむことなく、中嶋はただ冷たく眺めていた。そのあまりの静けさに三人は声を失った。
「……中嶋」
 豪胆な丹羽でさえ、その一言を搾り出すのが精一杯だった。

「くっ……!」
 和希はギリッと奥歯を噛み締めた。
 丹羽と西園寺に通達を出した時点で何らかの反撃があるとは予想していたが、まさか自分が一から構築したシステムの最高レベルを破られるとは思ってもいなかった。しかも、サーバー棟に侵入した証拠として啓太の見舞いと称し、これ見よがしにクマのぬいぐるみまで届けてきた。それはまさに二重の屈辱だった。七条君のハッキングの腕を甘く見ていた……と思って、ふと和希は腕を組んだ。いかに優れた技術があろうとも、あれを一人で打ち破るのは和希でもそう簡単には出来なかった。だが、二人なら……
「あの男か……」
 暗い声で和希は呟いた。
(純粋な啓太の身も心も傷つけた男……中嶋英明。あの男と手を組めば……不可能ではない)
 居間のテーブルに和希はクマのぬいぐるみをそっと置いた。今、啓太は隣の寝室で眠っていた。啓太が目を痛めて約一週間。本来なら、もう治っても良い頃だった……が、相変わらず、啓太の瞼は大きく腫れたまま。自力で開けることさえ出来なかった。
(夢の中でも泣いていれば無理もないか)
 和希は小さく瞳を伏せた。
 どんなに和希が言葉で慰めても啓太には届かなかった。俺が何も出来ないから。そう言って自分を責めて泣く啓太を和希では救えない。そんなことは最初からわかっていた。啓太が選んだのは中嶋だから。しかし、その事実を和希は未だに認めることが出来なかった。優しくクマの頭を撫でる。
「あんな男より、啓太にはもっと相応しい人がいるよな? 王様や篠宮さんならしっかりと啓太を護ってくれるし、西園寺さんや七条さん、成瀬さんなら啓太を泣かす様なことは絶対にしない。それなのに……なぜ、あの男なんだ? なぜ、啓太はあの男を選んだんだ?」
 はあ、とため息が零れた。
 そのとき、ポケットの中で携帯電話が震えた。石塚の名前に和希は僅かに眉を上げた。セキュリティに侵入された程度で石塚は連絡してこないだろう。嫌な胸騒ぎを覚えながら、和希はピッとボタンを押した。
「どうした、石塚?」
『和希様、申し訳ありません! 実は――……』
 石塚の話を聞いて和希は驚愕した。システムが暴走!? 馬鹿な……!
「解除コードを入力して止められないのか?」
『駄目です。既に別コードに書き換えられています。現在はまだ旧システムが抑えていますが、このままでは破られるのは時間の問題です!』
「……っ!!」
 ダンッと拳をテーブルに叩きつけた。中嶋だ、と和希は直感した。
(恐らく何らかのウィルスを使ったのだろう。狂ったとはいえ、俺自らが組み上げたプログラムだ。生半可な方法で止められないことは俺が最も良くわかっている。自らは最小、敵の力は最大限に利用して叩き潰す。こんな、人の神経を逆撫でする様な真似はあの男以外に考えられない!)
「……初期化(フォーマット)だ」
 独り言の様に和希は呟いた。それを聞いた石塚が通話口の向こうで絶句した。
「ぎりぎりまで粘って駄目なら、全システムを初期化(フォーマット)する。それ以外に手はない」
『しかし、それでは今日の分のデータまでも――……』
「それはもう諦めるしかない。セキュリティが破られれば、学園島の全データが流出する。生徒達の個人情報は元より『鈴菱』の機密資料に至るまで総てだ! それだけは、絶対に阻止しなければならない! 昨日までのバックアップは取ってあるな、石塚!」
『はい!』
「なら、問題――……」
「和希」
「……!」
 その声に和希はさっと振り返った。暗い寝室の奥から啓太の声がした。
「何かあったの、和希?」
「……後で連絡する」
 短くそう言うと、和希は素早く電話を切った。
「啓太が心配するほどではないよ」
「でも、和希……怒ってる」
「そんなことないよ」
「ううん、怒ってる。和希がそんなに怒るって……まさか中嶋さんがまた何かしたのか!?」
 目が見えないせいか、啓太の勘は鋭かった。夢中でベッドから立ち上がると、和希の処へ行こうとしてペシャッと倒れた。
「啓太!」
 慌てて和希は傍に駆け寄り、啓太をベッドに座らせた。自分もその隣に腰を下ろす。蒼ざめた啓太の頬を優しく撫でた。
「駄目だろう、啓太、無理をしたら。今は余計なことは考えず、目を治すことだけに専念しないと。確かに少し仕事上のトラブルがあったけれど、今、石塚に解決策を伝えたからもう問題はない。石塚が有能なのは啓太も知っているだろう?」
 うん……でも、と啓太は俯いた。
「もし、それが中嶋さんのしたことなら、俺にも責任あるから……」
「どうして啓太に責任があるんだ?」
「だって、俺は中嶋さんのものだから」
「……っ!!」
 突然、和希がグッと啓太の腕を掴んだ。怒りに我を忘れ、声を荒げる。
「あの男はそんなことを言ったのか!? まるで啓太を物の様に……何て奴だ! そんな言葉で啓太を縛っていたのか!」
「か、和希……!」
「くっ……!」
 和希には啓太以上に大切なものは存在しなかった。啓太を護ると誓った、あの遠い夏の日だけを心の支えに生きてきた。その想いは今も微塵も変わらない。
(良くわかった! 啓太を護るのは俺だ! 俺だけが啓太を護れる! 啓太は……)
「啓太は誰にも渡さないっ!!」
 ギュッと和希は啓太を抱き締めた。そろそろと啓太の手が和希の背に回った。優しく宥める様にポンポンと叩く。
「大好きだよ、かず兄……」



2008.6.13
手は使わない中嶋さんですが、
王様相手に蹴りだけでは不利なので。
ただ、出来ることなら肩取り四方投げを掛けたかった
……空手の技ではないけれど。

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Café Grace
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