その日は今までと同じで、どこか違っていた。
  中嶋は誕生日にことさら感慨を覚えたことはなかった。ましてや、子供の様に祝って欲しくなど。だから、特別な何かを期待している訳ではない。にもかかわらず、今年はなぜか胸の奥が落ち着かなかった。それは……啓太がいるから。そして、この学園で啓太と迎える最初で最後の機会だから。啓太はその限定要件をとても気にしていた。まあ、それに乗ってやるのも悪くない……と中嶋は思った。
  啓太が今回を特別視しているのは中嶋にとって大きな意味があった。それは啓太の中で自分が既に非常に大きな存在になっている証であり、その事実は中嶋を満足させた……が、啓太はそうではなかった。誕生日と言えば、プレゼント……ということでずっと考えあぐねていた。
  しかし、中嶋は金銭で買えるものに興味はなかった。そんなものは高が知れている。だから、先週、啓太からプレゼントのリクエストを訊かれたとき、中嶋はこの世で最も価値あるものを希望した。お前で良い……
  啓太はそれがわかっているのか、いないのか。恥ずかしそうに頬を染めたが、内心では喜んでいるのは明らかだった。その感情を素直に表せないのは、プレゼントという形に拘っているから。
(全く……お前はまだ子供だな)
  そう思って、中嶋は小さく苦笑した。そんな子供を欲しがる俺もまた子供なのかもしれない、と。
  事実、今日この日のために中嶋はプレゼントを最高の状態に仕上げていた。ここ数日は敢えて啓太の部屋を訪れず、必要以上に触れることもしなかった。昨日、一瞬だけ我を忘れて口づけてしまったが、結果的には啓太を煽るに充分な効果があった。しかも、今夜は抱くと宣言してある。ただでさえ敏感な啓太の身体は焦れて、渇いて、そろそろ内なる熱を持て余している頃だった。ベッドの中でいつになく乱れる啓太。その嬌態を想像すると、今から本当に楽しみだった。
「そろそろ丹羽を探しに行くか」
  中嶋は静かに立ち上がり、生徒会室を後にした。早く帰寮するためにも、丹羽にさっさと仕事を片づけさせなければならなかった。廊下を歩きながら、中嶋は丹羽の潜伏先を考えた。さすがに三年もこんなことを繰り返していると、相手の行動は手に取る様にわかる。今日は秋晴れの良い天気なので、空を眺めながらの昼寝と読んだ。すると、ある程度、場所は限られてくる。中嶋はそこを見て回る最短経路を頭の中で組み上げた。しかし、外へ出たら潮の香りがした。どうやら沖合いから南風が吹いているらしい。
(海岸だな)
  すぐさま中嶋は目的地を変更した。海辺を渡る風を受けながら、赤く沈む夕陽を眺める。丹羽の好みそうな情景だった。中嶋は丹羽の退路を断つべく、野球部のグラウンド横のわき道から接近することにした。
  グラウンドの近くまで来ると、部員達の元気な声が聞こえてきた。
  野球部は最近の対外試合で連続して好成績を収め、波に乗っていた。自然と練習にも熱が入るのだろう。確か来週も試合が控えていたな。そんなことを頭の片隅で思ったとき、空高く打ち上げたボールが防護ネットを越え、大きな弧を描いて飛んでいった。
  何となく中嶋はその軌道を目で追い……息を呑んだ。
  隣接する林から出て来た啓太が真下にいた。遠目だが、頭を押さえて崩れるのがはっきりと見える。瞬間、中嶋の周囲から音が消えた……

「……っ……」
  啓太は恐る恐る瞼を開けた。
  突然、ボールが勢い良く耳を掠めたのに驚き、危うく腰を抜かしそうになった。辛うじてそれは免れたものの、まだ動揺で足が震えていた。グラウンドの方から、大丈夫か~、と誰かの声が聞こえる。啓太は軽く左手を振った。そう……ボールは当たらなかった。しかし……
  啓太は握り締めた右の掌を見つめた。はあ、とため息が零れた。
「啓太」
「……!」
  ある意味、いつまで経っても聞き慣れないその低音に啓太の心臓が飛び跳ねた。態々姿を確認するまでもないが、顔を上げる。
「中嶋さん……」
  逆光で中嶋の表情は良く見えなかったが、視線は全身に痛いほど感じた。もしかして、今の見てた?
  居た堪れなくなった啓太は、取り敢えず、立つことにした。足に力を入れ、腰を浮かせて――……
「わっ……!」
  不意に膝が抜けた。倒れる! そう思った啓太は咄嗟に目を瞑って痛みに備えた……が、その身体を中嶋が受け止めた。キュッと強く腕を掴まれ、胸元へ引き込まれる。全身を包む中嶋の温もりに、頭で状況を理解するより先にポンッと啓太は沸騰した。
  実は、朝から啓太は身の内に妙な疼きを覚えていた。
  今まで性に淡白だったとはいえ、さすがにその理由は直ぐ察しがついた。ここ数日、中嶋と肌を合わせていないせいだろう。昨日、中嶋のジャケットを頭から羽織ったときは、まるでベッドの中で恋人の胸に抱かれている気がして恍惚としてしまった。あの後、部屋に来てくれるものとばかり思っていたが、中嶋は廊下で別れたきり……姿を表さなかった。お陰で、啓太は期待した分だけ更に煽られてしまった。そんな状態だったので、中嶋に触れただけで一気に身体が熱くなった。
「……っ……!」
  啓太はひび割れた理性を必死にかき集めた。こんな場所で欲情する訳にはいかないと中嶋から離れようとする。
「あ、あの、中嶋さ――……」
「怪我はない様だな」
「あっ、はい」
  内心、啓太は驚いた。
  中嶋が啓太の言葉を遮ることは滅多になかった。どんなに怒っているときも啓太が何か言おうとしたら、考えを纏めてきちんと表現出来る様になるまで待ってくれる。啓太は密かに首を捻った。どうしたんだろう。何か……中嶋さんらしくない。
  訝しそうな顔の啓太に、中嶋は自分がいつもの冷静さを少し失っていたことに気がついた。
  中嶋自身は運に頼ったり、信じることはないが、啓太は不思議なまでに幸運に恵まれていた。それは啓太の最も傍にいる中嶋自身が実際に目で見て、知っていた。その経験に照らし合わせて考えれば、既に上がったボールの軌跡は変わらなくとも、絶対に啓太には当たらない。万が一、そうなったとしても決して只では起きない。必ず自分の利になることを見つける。偶然という言葉で片づけるには、あまりに過ぎた偶然。中嶋も密かに認めざるを得なかった啓太の幸運とは、そのくらい強いものだった。
(幸運は天からの贈り物と言うが、お前はそれを大量に貰っている様だな。天をも魅せられたのか、お前に……)
  赤みを帯びた啓太の頬をそっと撫で、中嶋は小さく口の端を上げた。どうやら俺が望んだものは思った以上に価値のあるものらしい。
「中嶋さん……」
  肌を伝う冷たい指の感触に、無意識に啓太が恋人を求めた。中嶋は微笑を噛み殺しながら、低い声で囁いた。
「良いのか、こんなに人気のある場所で?」
「あっ……!」
  慌てて啓太は後ずさった。素早く周囲を見回す。
  幸い、辺りに人影はなかった。グラウンドで野球部が練習をしているが、皆、それに集中しているので啓太達には見向きもしない。今、二人が図らずも抱き合っていたのを目撃した者は誰もいなかった。
  ほっと啓太は胸に手を当て……あっ、と小さな声を発した。握り締めた右の掌をそっと開く。そこには、よれよれに折れ曲がった四葉のクローバーがあった。
「……」
  啓太は中嶋への誕生日プレゼントをずっと悩んでいた。買えるものに興味はないと言われたので、一体、何を贈れば良いのか全く見当もつかなかった。すると、昨日の別れ際に中嶋が呟いた。
『……四葉のクローバーだ……』
『……えっ!? そんなもので良いんですか……』
『……ああ……』
  中嶋が本気でそれを欲しがっているとは思えないが、漸く貰ったリクエストなので啓太は最高に綺麗なものを渡すことにした。この林の奥に少し広まった場所があり、そこは人があまり足を踏み入れないため綺麗なクローバーがいつも咲いていた。授業が終わると、啓太は急いでここにやって来た。
  四葉を見つけること自体は簡単だった。しかし、啓太が納得のいく様な色彩(いろ)や形の綺麗なものはなかなかなかった。一時間以上も掛かって漸く見つけたその四葉のクローバーを、ボールに驚いて頭を抱えてうずくまったときに啓太は握り潰してしまった。
(これじゃあ、渡せない……)
  啓太の顔が暗く沈んだ。
「すいません、中嶋さん……俺、もう一度、探して来ます」
  今来た方向へ戻ろうとする啓太の背後で中嶋が言った。
「それで良い」
「えっ!? でも……」
  当惑した瞳で啓太は中嶋を振り返った。やっぱり、と思う。四葉のクローバーなんて、本当はどうでも良いんだ……
  小さく項垂れる啓太に中嶋は静かに尋ねた。
「啓太、あと半歩でも前に進んでいたら、お前は間違いなくボールに当たっていた。あのとき、なぜ、ここで立ち止まった?」
「えっ!? 俺、そんなこと……」
  啓太は先ほどの状況を良く思い返してみた。綺麗な四葉のクローバーを見つけたので、萎れない内に中嶋に渡そうと啓太は急いでいた。しかし、林を出て来たら――……
「あっ、風です。風が少し強かったので痛まない様に、俺、クローバーをポケットにしまおうとしたんです」
「なら、お前を危険から護ったその四葉の幸運は既に証明されている。だから……それが良い」
「中嶋さん」
  嬉しそうに啓太は恋人を見つめた。
  微妙に言い直した言葉の中に、中嶋が敢えて口にしなかったもう一つの本当の理由が隠れていた。啓太はそれを正確に読み取った。
  中嶋は啓太がこれを探すのにどれだけ苦労したかを察していた。渡せなければ、その時間も、そこに籠めた想いも総て無駄になってしまう。この四葉を受け取るのは、中嶋がそれを認めたという証だった。どうでも良いものだからでも、同情にも似た優しさからでも決してない。中嶋は真に価値あるものを知っていた。プレゼントを悩んでいたとき、お前は形に拘り過ぎだ、と中嶋が言った意味が漸く啓太にもわかった。
(なら、俺は堂々とこれを渡せば良いんだ。見た目は悪くなったけど、中嶋さんへの気持ちに恥じるところは少しもないから)
  そっと重ねた両手を啓太は中嶋に向けて差し出した。
「誕生日おめでとうございます、中嶋さん」
「ああ」
  中嶋は穏やかに微笑むと、折れ曲がった四葉のクローバーを慎重に掴んで自分の左の掌に乗せた。すると、啓太が言った。
「中嶋さん、それ、暫く俺に貸して貰えませんか? 押し葉にしますから。以前、母が押し花教室に通っていて、自分の復習を兼ねて俺にやり方を散々仕込んだんです。だから、俺、綺麗な押し葉を作るのは自信があるんです」
「そうか。なら、頼む」
「はい」
  啓太は大切そうに四葉のクローバーを受け取った。そして、風に飛ばされないよう両手で軽く優しく包み込んだ。
  中嶋はそんな啓太を静かに見つめていた……が、心の中は決してそうではなかった。一瞬とはいえ、かなり肝を冷やされた。全く……昨日といい、今日といい、お前は俺を振り回してばかりいる。今夜は覚悟しろ、啓太……プレゼントとお仕置きを兼ねて、嫌と言うほど啼かせてやる!
「あっ、中嶋さん、王様を探してるんですよね? 俺、先刻、向こうへ歩いて行くのを見ました」
  中嶋のそんな物騒な心など知らず、啓太は元気良く海岸の方へ歩き始めた。早く丹羽を連れ帰り、仕事を終えて恋人の誕生日を二人静かに祝うために。それが俺にとって何よりも幸運なことだから。
  しかし、果たして本当にそうだったのか。その夜、中嶋の腕の中で散々悩むことになるとは、そのときの啓太はまだ知る由もなかった……


2008.11.7
’08 中嶋さんBD記念作品です。
時間軸的に『ときめき』の続編になっています。
無意識に中嶋さんを翻弄する啓太。
啓太の幸運も中嶋さんには効かないかも。

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Café Grace
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