「待たせて悪いな、郁ちゃん」
 丹羽が西園寺の隣にドカッと腰を下ろした。西園寺は東屋の柱にもたれて目を瞑っていたが、静かに瞼を開いた。
「忙しい様だな」
「まあな。だが、内は今に始まったことじゃねえだろう?」
 その声には全く危機感がなかった。西園寺がキッと丹羽を睨みつけた。
「仕事に支障が生じる前に早く新しい役員を補充しろ、丹羽」
「一人は入れたぜ」
「……」
 一瞬、二人の視線が絡み合った。
 そうだな……と珍しく西園寺が先に折れた。そんな話をするために態々丹羽を呼び出した訳ではなかった。丹羽のいつもの調子に巻き込まれる前に素早く気持ちを切り替える。
「いつわかった? お前は私より早く啓太の特異性に気づいていたはずだ」
「……まあな」
 丹羽はガシガシと頭を掻いた。
「俺達は啓太の警護を依頼されてたからな。郁ちゃんより接触する機会が多かった分、そういう印象が早く積もったんだろう。はっきり、いつとは言えねえが、MVP戦が終わる頃には確信してたな」
「そうか」
 西園寺は小さく呟いた。丹羽が少し身を前に乗り出した。
「郁ちゃんは啓太をどう見る?」
「諸刃の剣だな。己を律して努力を怠らない者には未来へ導く光であり、弱き者には泡沫の夢へ迷わす幻となる。無垢であるが故に質が悪い。啓太はあまりに危険過ぎる。特に、この学園の者にとってはな」
「ああ」
 丹羽は自分の掌に視線を落とした。それをグッと強く握り締める。
「郁ちゃん、俺はこの手で未来を切り開いてく自信がある。だから、正直……啓太が怖い。俺には啓太の見せる甘美な夢を叶える力があるとわかってる。だが、そうやって夢を追う内に自分の限界を見失い、いつか足を踏み外すこともわかってるんだ。俺は啓太を気に入ってる。一緒にいて気持ちが良いとも思う……が、俺は見てるだけで良い。中嶋の様に啓太を傍に置きたいとは思わねえ。俺は、地の底まで堕とされるのはご免だ」
 この学園の生徒達は、誰もがその才能と実力に裏打ちされた強い自信を内に抱いていた。それはときに傲慢にも似て……だから、惑わされる。丹羽が恐れているのは自分にもある、そんな弱さだった。
「情けない王様だな」
「分を弁(わきま)えてるんだよ」
「そうか」
 ふっ、と西園寺が苦笑した。丹羽と違って西園寺は啓太を傍に置きたいと思っていた。
 本来、世には光もなければ闇もない。ただそう考えるから、そうなるに過ぎなかった。しかし、人は他者との関係を構築する上において必ずそのどちらか一方に属することになる。丹羽や西園寺が光なら、中嶋や七条は闇という様に。だから、相手次第で形を変える属性のない希望は人には宿らなかった。もし、宿るとすれば……それは王の器のみ。
 西園寺の瞳に、啓太はまさに至高の宝玉に見えた。それを自分の手で美しく磨き上げてみたかった。結果、地の底まで堕とされたとしても……
 そこが丹羽と西園寺の大きな違いだった。ともすれば、美意識が優先してしまう自分では丹羽ほど巧くここの生徒達を纏めることは出来ないだろう。確かに丹羽はがさつで大雑把だが、肝心なところでは君子危うきに近寄らずを貫ける。だからこそ、西園寺は丹羽をこの学園で最も上に立つ者として認めていた。
「今の啓太は枷が外れて自分で自分を見失っている。そのため、接触する者を無意識に魅了し、尽く目を眩ませてしまう。幸い、まだ大事に至ってはいないが、これ以上、啓太に魅せられる者が増えれば、いずれ必ず大きな問題が起こる。啓太には早急に座が必要だ、丹羽」
「ああ、わかってる。もうそんなに時間は掛からねえはずだ。大分、きな臭くなってきたからな」
 ニヤッと丹羽が口の端を上げた。まるで今の状況を楽しんでいるかの様な言葉に西園寺が不快そうに眉をひそめた。
「私達は啓太ならいつでも歓迎する。だが、箱はいずれ必ず開くものだ。中嶋にそう伝えておけ」
 西園寺は苛々と立ち上がると、丹羽を残して東屋からさっさと出て行った。
「相変わらず、融通きかねえな……まっ、そこが郁ちゃんの良いとこだけどよ」
 丹羽は両腕を広げて背もたれに大きくもたれ掛かった。首を後ろに倒して、ぼんやり空を見上げる。
「……」
 確かに会計室は啓太をしまっておく箱だった。たとえとしては悪くない……が、西園寺は気づいているのだろうか。箱を開けるのは、いつでも人だということに……
「気をつけろよ、郁ちゃん……落とし穴ってのは、案外、近くにあるもんだぜ」
 しかし、その声が西園寺の耳に届くことはなかった。

 深夜、煌々と明かりの点いた部屋の中を啓太は落ち着かなげに歩き回っていた。時計の針は既に午前三時を過ぎているが、全く眠れない。昂った感情が眠気を遥かに凌駕していた。
 暗くて、暗くて我慢出来なかった。もっと、もっと光が欲しかった。影に怯える啓太のために和希が大きなフロアー・ランプを二つ持って来てくれたが、この程度では全く足りない。暗い……ここは暗くて息が詰まる。啓太は両手で目を覆うと、バタンとベッドの上に倒れた。ここには誰もいない……誰も……誰も……
「……っ……」
 啓太は小さく縮こまり、寒そうに身を震わせた。
 いつか、どこかで同じ目に遭った気がした。ポツンと一人打ち捨てられ、誰も自分を望んでくれない。胸が痛くて、苦しくて、張り裂けそうな……そんな苦痛と絶望をひしひしと味わった。もしかしたら、それは夢かもしれないが、今、感じているこれは間違いなく現実だった。
(もう俺を望んでくれる人はいない)
 啓太が拒絶して以来、中嶋は部屋に来なくなった。姿を見ることも殆どない。学年が違う中嶋との唯一の接点である生徒会室に近寄らないのだから、それは当然と言えばそうだった。やがて中嶋は自分に見切りをつけるだろう。あんなに素敵な人だから、きっと直ぐにまた新しい恋人が出来る。
(でも、何の取柄もない俺は……誰も望まない)
 そのとき、どこからか声が聞こえてきた。
『……そんなことはないですよ……君は……とても魅力的です……』
「……!」
 ハッと啓太は顔を上げた。
「七条、さん……?」
 啓太は会計室で見た七条の瞳を思い出した。いつもより少し熱の籠もった紫紺の眼差し。そっと伸ばされ、頬に触れた指先は中嶋の様に冷たく……優しかった。
「……っ……!」
 咄嗟に啓太は携帯電話を取ると、七条の番号を押した。何度か呼び出し音がした後、相手が出た。
『伊藤君、どうかしましたか?』
 こんな真夜中に叩き起こされたにもかかわらず、七条の声はいつもの様に穏やかだった。啓太は何と答えて良いかわからず、ただ押し黙っていた。
『眠れないんですか?』
「どうして……そう思うんですか?」
『ふふっ、内緒です』
 小さくウインクする七条の顔が見えた気がした。不意に啓太の口を言葉が突いて出る。
「七条さん、歌を歌ってくれませんか?」
『わかりました。では、伊藤君に心地良い眠りが訪れる様に心を籠めて歌いますね』
 そう言うと、七条は滑らかな低音で静かに歌い始めた……空に向かって愛しい人の名前を囁く様に。啓太はコロンと寝返りを打った。天井を眺めながら、その歌に耳を澄ます。ああ、闇の奥に新しい光が見える……
(貴方は俺を望み、愛してくれますか……七条さん)
 部屋が先刻より少しだけ明るくなった気がした。



2009.3.27
ああ、啓太が暴走しようとしているのに、
中嶋さんは名前しか出て来ない……
今の状況を最も良く把握しているのは王様だけかも。

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Café Grace
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