「わっ、冷たっ……!」
「気をつけろよ、啓太」
 寄せては返す波と楽しそうに遊ぶ啓太に和希は優しく声を掛けた。うん、と啓太は頷いて再び波に向かってゆく。その無邪気な様子に和希は微笑を浮かべ、中嶋は退屈そうに煙草を吸い込んだ。
「もう少し楽しそうな顔をして下さい。啓太が喜んでいるんですから」
 和希が笑顔は微塵も崩さずに、やんわりと注意した。
「ここで俺にどう楽しめと? ろくな思い出しかない場所だ」
 中嶋は細く煙を吐き出した。和希が軽く頬を掻いた。
「まあ、それはそうかもしれませんが……」
「だから、俺が連れて行くと言っただろう」
「貴方と啓太を二人きりにするなど論外です。そのくらいなら、ここの方が遥かにましです」
 和希が、きっぱりと言った。
 そこは、丹羽がよく昼寝をしている海岸の近くにある砂浜だった。夏季休暇に入って殆どの生徒が帰省や合宿でいなくなってしまったのを良いことに、こっそり海水浴をしに来た……とは言ったものの、三人とも私服のまま。学園島の周囲は遊泳禁止なので、実際は海を眺めるくらいしか出来なかった。それでも啓太は、プライベート・ビーチみたいだ、と嬉しそうに波と戯れていた。
 仕方なかったんですよ、と和希が自分を少し弁護する。
「俺はまだ学園島から離れられないし、来月には何日か休暇が取れますが、その頃は今より海が荒れているはずです。もし、啓太が高波に攫われたら、どうするんですか。ここなら潮の流れは穏やかで、雰囲気も充分に味わえます。何よりこうして目の届くのが良い」
「過保護も大概にしろ、遠藤」
「……何とでも。啓太の安全には代えられ――……」
「わっ!!」
 波打ち際で啓太が足を滑らせ、豪快な水飛沫が上がった。啓太っ、と和希が叫んだ。途端に色を失う和希に中嶋は短く嘆息すると、無言で煙草を携帯用の灰皿に押し込んだ……

「……っ……痛った~」
 尻餅をついた啓太は小さく呟きながら、腰の辺りを洗う波に顔を顰めた。怪我はしていないが、上から下までずぶ濡れになってしまった。薄いシャツが肌に張り付いて少々気持ち悪い。傍に駆けつけた和希が、大丈夫か、と心配そうに顔を覗き込んだ。
「うん……でも、びしょ濡れになった」
「ははっ、夏で良かったな」
 和希が優しく右手を差し出した。それを掴んで立ち上がろうとして啓太はまた砂に足を取られた。
「うわっ……!」
「啓、太っ……!」
 反射的に和希は脇を締めた……が、倒れる啓太を支えるには足場が悪過ぎた。大きな水音と共に、二人は縺れる様に砂浜に倒れてしまった。
「……っ……ご、ごめん、和希」
 啓太は濡れた手で和希の髪の雫を払った。俺を庇ったから和希まで……本当に、ごめん……
「気にしなくて良いよ、啓太、涼しくなって丁度良いから。それより、足は大丈夫か? 捻ってないか?」
「……うん、どこも痛くない」
 少し遅れて来た中嶋が軽く眼鏡を押し上げて言った。
「全く……お前達は何をしている。そんなに濡れたかったのか?」
「結構、気持ち良いですよ。ねっ、啓太?」
 和希がキュッと啓太を抱き締めた。
「か、和希……!」
 ポンッと啓太が沸騰した。
 濡れているせいか、肌に伝わる感触が妙に生々しかった。慌てて胸を押し返すと、中嶋が小さく口の端を上げた。
「そうらしいな。なら、俺がこいつをもっと濡らしてやろう」
「……!」
 その言葉に和希が反応するよりも早く、中嶋は啓太の顎を捉えた。深く重なる口唇。快感を引きずり出す様に強く舌を吸われ、ピクンと啓太の身体が跳ねた。
「あっ……っ……ふっ……」
(中嶋、さん……)
 艶めかしい吐息を零す啓太の白い首筋に和希が熱く口づけた。
「俺のことも忘れないで、啓太……」
「んっ……」
(……和希……)
 返事をする代わりに啓太は和希の胸元をキュッと掴んだ。二人の愛撫に啓太の意識が霞んでゆく。
(和希……中嶋さん……好き……大好き……)
 啓太は更に快楽を強請る様に中嶋の服へ手を伸ばした。すると、すっと中嶋の口唇が離れた。
「あっ、嫌……もっと……」
 朧な眼差しで中嶋を追う啓太を和希がそっと振り向かせた。
「啓太、これ以上は帰寮してから……ベッドの中で」
「……うん……」
 素直に啓太は頷いた。そのとき、毛先から滴った雫が啓太の腕に当たった。
「……」
 啓太は和希を見て、それから……中嶋を振り返った。
(……中嶋さんだけ濡れてない。三人で一緒に来たのに……)
 何かずるい、と啓太は思った。ふと瞳に悪戯な色彩(いろ)が浮かぶ。
「中嶋さん、立つので手を貸して下さい」
 にっこりと啓太は言った。中嶋が黙って腕を出すと、啓太は嬉しそうに両手を伸ばし……それを思い切り自分の方へ引っ張った!
 ……パシャ。
 再び水飛沫が上がって、中嶋が和希と啓太の隣に片膝をついた。そこをすかさず波が襲う。しかし、上半身は殆ど濡れないのに気づいた啓太は、中嶋に抱きついて砂浜へ強引に押し倒してしまった。
「ふふっ、これで中嶋さんもお揃いです」
 啓太は中嶋の胸に乗り上げて嬉しそうに微笑んだ。
「満足したか、啓太?」
「はい」
 すると、中嶋が小さく口唇を歪めた。
「そうか……なら、今度は俺の番だな。悪い子には、当然……お仕置きだ」
「……っ……!」
 身の危険を感じ、すぐさま啓太は離れようとした……が、中嶋が腰をしっかり捉えている。
「中嶋さん……!」
 暴れる啓太を物ともせず、中嶋は和希へ瞳を流した。
「お前はどうする、遠藤?」
「付き合いますよ、勿論」
「か、和希!?」
 驚いて啓太は和希を見つめた。まさか和希が同意するとは思いもしなかった。本気で、こんな処で……
「あ、んっ……!」
 濡れた肌を伝う和希の手に背筋が甘く痺れた。耳元で和希が低く囁く。
「啓太が無闇に中嶋さんを煽るからだろう」
「お、俺は煽ってなっ……あ、ああっ……!」
 胸の飾りを中嶋の指に強く捏ねられ、啓太の背が大きくしなった。和希が頬に掌を添え、そっと口唇を寄せた。
「可愛いよ、啓太……っ……」
「んっ……あ、あっ……ふっ……」
 いつしか啓太の反論は海の向こうに消えていた。そうして和希と中嶋は静かな浜辺に響く甘やかな声を心ゆくまで堪能することにした。



2010.9.17
Beyond the sea.
海の向こうに。
ずぶ濡れの三人は
帰寮したら篠宮さんに怒られそうです。

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Café Grace
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