「仕方ないだろう、慧、総理事長からの依頼なんだから」
  硝子張りのホテルのエレベーターから真昼の景色を眺めながら、明日叶は自分を背中から抱き締める慧に向かって言った。
「それに、一応、お祖父さんだろう?」
「……それも気に入らない」
  慧は明日叶の白い首筋に顔を埋めて不満そうに呟いた。
  実は、慧は未だに魁堂静一郎の養子になっていた。ホークの一件の後、養子縁組を解消するつもりだったが、マニュスピカ総理事長であり、義理の祖父に当たる魁堂氏に引き止められてしまった。
『……未成年者を一人には出来ないよ、慧……』
  魁堂氏を嫌ってはいないが、静一郎が明日叶にしたことは許せなかった。不機嫌に口を噤む慧に明日叶は小さく苦笑した。
(俺より慧の方が酷い目にあったのに……慧は俺に甘過ぎるよ)
「それにしても、変な話だよな」
  思い出した様に明日叶が呟いた。
  マニュスピカはその独自の美学に基づいて美術品の保護や奪還などの依頼を請け負っているが、今回はそれとは全く異なっていた。
「俺に視て欲しいものって何だろう?」
「わからない。だが、明日叶が真実の瞳(トゥルー・アイズ)を持つと外部に知られる様な依頼は受けるべきではない。危険過ぎる」
「大丈夫だよ。俺だって少しは経験を積んだし、いざとなったら慧が護ってくれるだろう?」
「当たり前だ」
  素っ気無い口調に強い決意を漲らせ、慧は明日叶の唐茶色の髪に口づけた。明日叶は嬉しそうに微笑んだ。やがて柔らかい音と共にエレベーターが十三階で止まった。そこで降りて廊下を右に少し進むと、依頼者と待ち合わせをしている部屋番号のプレートがついたドアがあった。軽くノックする。
  ……コン、コン、コン、コン。
  直ぐにドアが開いて中から丁寧な物腰の秘書ふうの男が現れた。彼は二人の全体像を一瞬で捉えると、小さく頷いた。
「お待ちしていました。どうぞ中へ」
「あ……はい」
  明日叶は軽く頭を下げて室内に入った。
「……」
  そこは居間になっていた。左にある机にはパソコンと新聞が何紙か置いてあるが、手に取った形跡はない。右にはミニ・バーが設置されて高級酒がずらりと並んでいた。正面に作りつけの大きな暖炉があり、その上に綺麗な風景画が掛かっている。どこの景色だろう、と明日叶は何となく思った。それから、部屋の中央……栗色の肘掛け椅子へ視線を移す。そこには明灰色のダブル・ブレストの背広に身を包んだ鳶色の髪の男が一人、ゆったりと足を組んで座っていた。肘掛に軽くもたれ、携帯電話で誰かと楽しそうに話をしている。彼は明日叶達を認めると、ふわりと微笑を浮かべた。
「……ごめん、啓太、来客だ。また後で電話するよ……ああ……」
  男が携帯電話を閉じた。人の声が消え、急に辺りが静かになる。
「……」
  明日叶はキュッと掌を握り締めた。電話中の彼は柔らかい表情をしていたのでわからなかったが、今は魁堂氏の様な深い存在感――上に立つ者の風格――を身に纏っていた。油断すると、その気に呑み込まれそうになる。
「……そんなに緊張しなくて良いよ」
  男が口を開いた。
「見たところ啓太と同じ年頃の様だし、もっと楽にして良いから。俺は鈴菱和希。彼は秘書の石塚」
「宜しくお願いします」
  石塚が小さく頭を下げた。明日叶は慌てて自己紹介した。
「あ……はじめまして。小林明日叶です」
  しかし、慧は口を開こうとしなかった。仕方ないな、と明日叶が代わりに名前を告げた。
「彼は藤ヶ谷慧です」
「慧……なら、君が魁堂氏の孫だね。今回、魁堂氏には無理を言ってしまって申し訳なかった。後日、改めて――……」
「そんなことはどうでも良い。なぜ、真実の瞳(トゥルー・アイズ)を持つ者を呼んだ?」
  慧が無作法にも話の腰を折った。明日叶が直ぐに謝る。
「すいません、鈴菱さん、どうか気を悪くしないで下さい。ただ、慧は俺の身を心配してるだけなんです」
「わかっているよ。真実の瞳(トゥルー・アイズ)は特殊な能力らしいから用心するのは当然だよ。俺も、まだ半信半疑だからね」
「……っ……」
  慧の瞳が僅かに鋭くなった。和希が真っ直ぐ慧を見つめた。
「こちらがリスクを背負う以上、そちらにも相応の対応を求めた。これで答えになるかな」
「リスク?」
「そうだ」
  和希の声音の微妙な変化を聞き取った石塚が音もなくすっと動いた。壁に設置してあるコントロール・パネルで部屋中のカーテンを閉めてゆく。外光が徐々に遮断され、夜でもないのに天井の明かりが点いた。どうやら本題に入るつもりらしい。無意識に明日叶は慧の服を掴んだ。
  それに気づいた和希が、怖がらなくて良いよ、と直ぐに訳を説明した。
「これは念のための処置だから」
「盗撮か?」
  すかさず慧が尋ねた。そんなところかな、と和希は呟いた。そして、ポケットから大切そうに黒皮のケースを取り出した。ゆっくりと蓋を開く。
「これを……真実の瞳(トゥルー・アイズ)で視て欲しい」
「それは……」
  明日叶が言葉を濁した。
  そこに納まっていたのは美術品などの類では全くなかった。見たことないとは言わないが、日常生活においては、あまり目にしないもの……採血管だった。中に少量の血液が入っている。
「血を視るんですか?」
「ああ、これがどう視えるか知りたい」
「そんなものが真実の瞳(トゥルー・アイズ)と同等の価値があると言うのか!?」
  慧の声には明らかな不満が滲み出ていた。もし、犯罪捜査程度で呼ばれたのなら、今直ぐ明日叶を連れて帰るつもりだった。すると、それまで温和な態度を保っていた和希が急に厳しく慧を見据えた。
「それ以上だ。真実の瞳(トゥルー・アイズ)は真実を視るらしいが、これは真理そのものだ。比較すること自体、おこがましい」
「何だと……!」
  真実の瞳(トゥルー・アイズ)を、延いては、明日叶をも侮辱する様に聞こえる和希の言葉に慧が拳を握り締めた。慌てて明日叶が二人の間に割って入った。
「慧、俺は気にしてないから!」
「だが、明日叶……!」
「大切なものを軽く扱われたら誰でも怒る。今のは慧が悪い」
「……っ……」
「それに、俺達は依頼を受けてここに来たんだ。これは任務だ、慧」
「明日叶……」
  わかった、と慧が身体の力を抜いた。明日叶が慧の胸をコツンと拳で叩いた。和希が優しい声で礼を言った。
「有難う」
「いえ……じゃあ、これから視ます」
「ああ」
  そう答えたものの、和希は黒皮のケースを明日叶に渡そうとしなかった。別に手に取る必要はないが、何だか信用されてない気がする。どうやら慧も同じことを感じているらしかった。憤懣やるかたないといった様子で和希を睨んでいる。
(……早く視て帰ろう)
  明日叶は考えるのをやめた。誰にでも踏み込んで欲しくない部分がある。それを詮索する様な真似はしたくなかった。
「……」
  静かに……明日叶は採血管に意識を集中させた。瞳の奥にあるもう一つの瞼を開き、視界と繋げて視る……が、その瞬間、網膜を焼かれる様な衝撃(ショック)が走った。
「……っ!!」
  両目を押さえて膝から崩れる明日叶を咄嗟に慧が抱き留める。
「明日叶! どうした、明日叶っ!!」
「くっ……っ……」
「明日叶っ!!!」
「……っ……慧……」
  痛みに震えながら、明日叶は何とか恋人の名前を呼んだ。一先ずここに座った方が良い、と言う誰かの声が遥か遠くで聞こえた……


2010.1.15
いつか、どこかで見た様な展開ですが、
勿論、最後はハッピー・エンドです。
マニュスピカの任務は危険と隣り合わせなので、
慧に明日叶をしっかり護って貰いたいです。
それにしても……一体、和希は何歳になったのかな。

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Café Grace
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