……十分後。人気のない公園の噴水の傍に啓太を下ろすと、眞鳥は少し間合いを取って呟いた。
「やっぱり……あんたも真実の瞳(トゥルー・アイズ)でしたか」
  そうでなければ説明がつかなかった。
『鈴菱』なら一族が幾重にも張り巡らせた罠をかい潜り、フィトナの存在にまで辿り着くのは不可能ではないだろう……が、それは時間があればの話だった。啓太が出て来るのを待っている間、眞鳥は『鈴菱』の監視者に悟られないよう行動には常に細心の注意を払っていた。今日、初めて人目につく場所に現れた自分の素性を予め調べて啓太に教えられるはずがない。それを知るには真実の瞳(トゥルー・アイズ)で視る以外、他に方法がなかった。
「どうしてそう思うんですか?」
  啓太が静かに尋ねた。その口調は、まるで不思議なことを言う子供に対峙した大人の様だった。ほんの少しの疑問と好奇心が声に滲んでいる。眞鳥の柳眉が微かに吊り上がった。
「まあ、隠すほどのことじゃないんで良いですよ。教えてあげます。あんたは知らないかもしれませんが、『鈴菱』には前から一つの噂があるんですよ。経済界でも裏事情に精通してないと聞こえない小さな声なんですが。先月、それが俺達の耳にも入りましてねえ。少し興味が湧いたんです」
「……噂……」
「そう……『鈴菱』は真理を持ってる」
「……」
「それを聞いたとき、真理が人……即ち、真実の瞳(トゥルー・アイズ)だと直ぐにわかりました。少し前まで、俺達も同じものを探してましたからねえ」
  眞鳥は無意識に右手の指輪へ視線を落とした。
  あの日、漸く見つけた真実の瞳(トゥルー・アイズ)と共に開いた棺には何も入ってなかった。ただ、短い一文が刻まれていただけ。古の魂を感じた明日叶によると、彼らに悪意はなかったらしい……が、それなら総て許されるのだろうか。許すべきなのだろうか。どんな理由があったにしろ、彼らが幾世代に渡る一族の思い総てを裏切ったことに違いはないのに。
『……彼らを許せと言うなら、明日叶、これまで積み上げてきた俺達の祈りは、信仰は……一体、どうしたら良いんですか……』
  凍れる時間の重さを知らない明日叶の言葉は、眞鳥の耳に虚しく響くだけだった。
  あのとき、本当はこの生命を終わらせてしまいたかった。果てしなく流され続ける日々を生きるのはもう疲れた。遺跡を爆破すれば簡単に望みは叶い、一族も解放されて自由になるだろう。しかし、そのためには明日叶を犠牲にしなければならかった。一人で逃げる様な性格でない明日叶は必ず自分も残ると言うはずから。
  それは眞鳥にとって少し嬉しくて、切なくて……苦しかった。
  明日叶から欲しいのはそんな優しさや同情ではなかった。なら、中川眞鳥という存在をこの世から消してしまおうと思った。最初から架空の人物である中川眞鳥がどうなろうと自分は痛くも痒くもない。ただ、総てを知る明日叶は眞鳥を救えなかったことを永遠に悔やみ続けるだろう。これから先ずっと生温い眼差しを向けられるくらいなら、いっそ痛みとなって明日叶の心にある方が遥かにましだった。
  しかし、チーム・グリフに配属された意味を考えると、それはあまりに危険過ぎた。
  総理事長の息の掛かった亮一やその息子・静一郎の養子の慧、警察の内偵者である桐生が同じチームにいるのは偶然とは考えられなかった。立場こそ違え、彼らはマニュスピカと深く関わっている。そこに目立った問題を起こしてない自分を入れた理由はただ一つ……警戒しているから。恐らく入学前に身元を徹底的に調査して中川眞鳥は実在しないと知っているのだろう。マニュスピカには記憶を自在に消去するという薬がある。もし、それを使われたら――……
  フィトナの遺物と希望が失われた今、そんな危険を冒すことは決して許されなかった。だから、眞鳥は当初の予定通りマニュスピカとなり、明日叶から逃げる様にフランスへ拠点を移した。幸せそうな明日叶を見ていると、いつか何かを後悔してしまいそうだった。
  この国を離れるとき、これは罰なのだろうと思った。フィトナは真実の瞳(トゥルー・アイズ)を散々踏みつけて栄えたが、最後はそれを綺麗に忘却の彼方へ葬り去ってしまった。何かの怒りを買って当然かもしれない、と。だが、それでも、俺はあの中に救いがあると信じてた……
「……っ……」
  眞鳥は感情を封じ込める様にキュッと掌を握り締めた。再び啓太へ目を向ける。
  別に啓太に危害を加えるつもりはなかった。ただ、もう一人の真実の瞳(トゥルー・アイズ)が自分に何を視るのか知りたかった。総てを諦めたと言いつつ、心のどこかでまだ希望を捨て切れずにいる滑稽な自分に最後の引導を渡して欲しかった。
(俺はヨカナーンほど出来た男じゃないですが、啓太、あんたにはサロメになって貰います)
  短く息を吐くと、眞鳥はまた穏やかに話し始めた。
「あんたに辿り着くのは簡単でしたよ。『鈴菱』が隠してる者を探せば良いんですからねえ。ただ、あまりに呆気なかったんで俺は少し不安だったんです。でも、先刻のあんたの言葉で漸く確信が持てました」
「俺が和希の恋人だから隠してるとは思わなかったんですか?」
  言外で自らそれを否定する啓太に、眞鳥の口から低い笑いが零れた。
「啓太、あんたの存在は色々不自然なんですよ。あんた、鈴菱の前当主から結構な額の遺産を貰ってますよねえ。今でこそあんたは次期当主の恋人ですが、遺言書が作成された当時はそうじゃない。なのに、赤の他人のあんたを相続人にするとは先代はよっぽど奇特な人なのか、未来がわかるのか……それとも、他に下心があったのか。善人なんてそうはいませんから、あんたに大枚をはたく価値があると考えるのは当然でしょう?」
「……」
  啓太は小さく瞳を伏せた。
  鈴吉の意思がどこにあったのかはもう誰にもわからなかった。過去の過ちを悔いて償いをしたかったのか、貴重なウィルスを『鈴菱』に縛りつけたかったのか。しかし、和希は償わせてあげて欲しいと言った。それを啓太は信じていた。
  しかも、眞鳥は真理の意味を取り違えていた。
  和希はKillerの頭文字とも取れるKという呼称を酷く嫌っていた。だから、ウィルスに啓太と同じ意思があるとわかったとき、宿主の有無に左右されない普遍的な名前を付けることにした。研究に大きく貢献している啓太から着想を得て……
『……えっ!? 真理って……』
『……ああ、これからはそう呼ぶことにした……』
『……何か名前負けしてる気がする……』
『……そんなことはないよ。だって、啓太は……』
  啓太は眞鳥を刺激しないよう慎重に言葉を選んで言った。
「これから、俺をどうするつもりですか? 攫って、どこかに連れてくんですか?」
「それを今、考えてるんですよ。俺としては恋人同士を無理やり引き離すのは趣味じゃないんですが、折角、見つけた真実の瞳(トゥルー・アイズ)をみすみす手放すのもどうかと思いましてねえ。ああ、逃げようなんて考えないで下さいよ。内の連中、腕は確かですから」
「俺は真実の瞳(トゥルー・アイズ)じゃありません」
「なら、どうして俺の素性がわかったんです?」
  すうっと眞鳥から表情が消えた。相変わらず、落ち着き払った啓太の態度に益々苛立ちが募ってゆく。
「あんた、下手な嘘をついて俺を怒らせない方が良いですよ」
「嘘はついてません。ただ、俺は見たことがあるんです。そのピアスと指輪を」
  啓太は眞鳥の右手を指差した。眞鳥は物憂げに髪をかき上げた。
「見間違いでしょう。これはどこにでもあるただの骨董品(アンティーク)です。それに、俺はあんたに会った覚えはない」
「そう……それが人の創る永遠の限界。どんなに過去を教え繋いだところで、日々の記憶や感情まで完全に共有することは出来ない。貴方達はもっと早くに気づくべきだった。貴方達が蔑(ないがし)ろにしてきたものこそ、まさに最も価値あるものだったのに。俺はそのことを良く知ってる……ずっと見てきたから」
「……あんた」
  眞鳥が驚いて目を瞠った。
「まさか前世の記憶でもあるって言うんですか!?」
  未来と同じ様に過去を視る力があっても不思議ではないが、それは時間を断片的に切り取ったものだろうと思っていた。もし、前世の記憶を継承出来る能力が本当にあるなら、今日まで一族がしてきたことは何だったと言うのか。フィトナの永遠の中で自分の意思など皆無に等しかった。だからこそ、今、ここにいることに持てる矜持(プライド)の総てを掛けていた。
  眞鳥の胸に沸々と怒りが込み上げてきた。
「……これが無意味なのは誰よりも俺が一番良くわかってます。だが、それをあんたが否定するのは許さない」
「なら、また同じ過ちを繰り返すんですか?」
「黙りなさい。あんたに、俺達の苦しみは絶対にわからない……!」
  衝動的に眞鳥は内ポケットから拳銃を取り出した。鈍色の銃口を真っ直ぐ啓太へと向ける。
「残念ですよ。あんたのこと、少しは気に入ってたんですけどねえ……そんな力さえなかったら」
「貴方に俺は殺せない」
  啓太は微かに首を横に振った。眞鳥の口唇が自嘲に歪んだ。
「白昼だからですか? それくらい一族の力を以ってすれば簡単に揉み消せます。俺達はそうやって、今までこの永遠を護り抜いてきたんです」
  撃鉄を起こす音が聞こえた。啓太は噴水の縁に静かに腰を下ろした。
「中川さん、どうして和希が俺を真理と呼ぶかわかりますか?」
  啓太は指先を水に浸し、ゆっくり水面をかき混ぜた。
「時間稼ぎのつもりですか?」
  眞鳥が冷たく啓太を見据えた。いいえ、と啓太は呟いた。
「俺、交渉は苦手なんです。ただ、気にならないのかなと思って。だって、貴方はまだ何も知らないから。和希が俺にSPを付けない訳も、俺に真理と名付けた意味も……何も知らない」
「……」
「俺は力もそんなに強くないし、身を護る術も持ってません。でも、その銃で俺を殺すことは絶対に出来ない」
「……なぜ、そう断言出来るんです?」
  用心深く眞鳥が尋ねた。すると、啓太は自信に満ちた声でこう言った。
「俺、運が良いんです」


2011.2.25
殆ど眞鳥さんの背景説明です。
でも、これで漸くすっきりしました。
後は慧と明日叶の到着を待つばかり。
直ぐ来るはずです……多分。

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Café Grace
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