「失礼します」
 そう言って生徒会室のドアを開けた和希と啓太は室内のただならぬ雰囲気に、思わず、入ろうとした足を止めてしまった。会議でもしていたのか、ノートPCを一つだけ置いた机を挟んで生徒会と会計部の四人が険しい表情で睨み合っている。喧嘩ではない……が、どちらも明らかな苛立ちと不満を浮かべていた。和希は自分達――特に啓太――に火の粉が飛んで来ない内に立ち去るべく踵を返そうとした。しかし、実行するより先に丹羽が不穏なことを言った。
「啓太と遠藤か……丁度良い奴が来たぜ、郁ちゃん」
「ああ、この不毛な言い争いに終止符を打つには、まさに最適な人材だな」
 珍しく西園寺も同意すると、小さく口の端を上げた。えっ、と小首を傾げる啓太に七条が柔らかく微笑み掛けた。
「こんにちは、伊藤君、遠藤君」
「あっ、こんにちは」
 反射的に啓太が挨拶をすると、西園寺が二人を手招きした。瞬間、和希は危険な匂いを感じた。啓太はまだしも自分まで歓迎されるときは決まってろくなことがない。しかし、今は遠藤和希という身なので諦めて啓太と一緒に四人の傍へと寄った。
「これで漸くメンバーが揃ったぜ」
 丹羽がニカッと破顔した。啓太が不思議そうに尋ねた。
「えっと……何のメンバーですか?」
「これからクトゥルフ(CoC)をやるんだよ。最近、嵌ってるんだが、四人だと少し問題があってな。あ~、啓太達が来て本当に助かったぜ」
「……?」
「何だ、啓太はクトゥルフ(CoC)を知らねえのか?」
 はい、と啓太は素直に頷いた。
「お前は、遠藤?」
「知っていますよ、勿論。アメリカにいた頃、何度かやったこともあります」
「だと思ったぜ」
「……」
 和希は室内に漂っていた険悪な空気の意味を悟って僅かに眉をひそめた。やはり面倒なことに巻き込まれてしまった……
 中嶋が煙草に火を点けながら、生徒会と会計部の間にある誰もいない机の一辺を顎で指した。
「啓太、適当な椅子を持って来てそこに座れ」
「遠藤君はあちらにお願いします」
 七条が和希には机を取り囲む様に啓太の反対側を勧めた。そして、自分はそこに向かって左側……西園寺の隣にさっさと腰を下ろした。目の前には既に丹羽と中嶋が並んで座っている。
 未だに訳のわからない啓太は困惑して和希を見つめた。
「大丈夫だよ、啓太」
 和希は近くの椅子を動かして中嶋に言われた場所に啓太を座らせた。それから自分も啓太の対面に腰を下ろした。一応、確認する。
「俺がKP(キーパー)ですか?」
「ああ、適任だろう」
 西園寺が面白そうに答えた。和希は小さなため息をついた。
「そうですね。何で揉めていたかは凡そ察しがつきましたが、まずは啓太に説明をする時間を下さい。ルール・ブックはありますか?」
 すると、中嶋が背後にある机の引き出しから一冊の少し厚い本を取り出して啓太に渡した。その表紙には『Call of Cthulhu クトゥルフ神話TRPG』と書かれている。
「これを使え、啓太」
「あ……有難うございます、中嶋さん」
 受け取ったものの、まさかこれを今直ぐ覚えるのか、と啓太は蒼くなった。それに気づいた和希が優しく言った。
「見ながらやるから大丈夫だよ、啓太。TRPGは和製英語だけど、簡単に言うと、対話形式で進むRPGなんだ。KP(キーパー)の管理するシナリオに沿って、PL(プレイヤー)がPC(プレイヤー・キャラクター)を演じる。互いに生身の人間で自由度がとても高いから面白いけれど、共通するルールがないと困るだろう。それを纏めてあるのがその本だよ」
「う~ん、何かアドリブの多い演劇みたいな感じかな。でも、それできちんと話が進むのか?」
 元演劇部らしい啓太の素朴な指摘に和希は微笑んだ。
「それを管理するのがKP(キーパー)だよ。謂わばゲームの裏方だな」
 ふ~ん、と啓太は頷いた。
(ああ、それで先刻は誰がKP(キーパー)をやるかで揉めてたのか。そういうゲームならPL(プレイヤー)として参加した方が面白そうだし……あっ、なら、和希は無理やりKP(キーパー)を押しつけられたってことか!?)
 それに気づいた途端、啓太の眉間に皺が寄った。
 時折、丹羽達は腹いせとばかりに和希に無理難題を吹っ掛けるが、自分達が遊ぶためにKP(キーパー)を強制するのはあまりに我儘過ぎる気がした。確かに和希は大人だけど、ゲームは皆で楽しむものなのに……
「あの……王様」
「何だ、啓太?」
「KP(キーパー)は公平にくじ引きで決めませんか? 俺、誰かに無理やり押しつけるのはちょっと……」
 角が立たないよう啓太は言葉を濁した。しかし、丹羽はそれを軽く笑い飛ばした。
「いや、このメンバーならKP(キーパー)は遠藤しかいねえだろう。なあ、郁ちゃん」
「丹羽、省略し過ぎだ。それでは啓太の誤解が解けないだろう」
「えっ!? 誤解って?」
 驚く啓太に西園寺が先ほどの状況を説明した。
「啓太、お前は私達がKP(キーパー)が嫌で押しつけ合っていたと考えているのだろう。それは逆だ。寧ろ、私達の誰もがお前達が来るまでKP(キーパー)になりたがっていた」
 隣で七条が静かに頷いた。
「PL(プレイヤー)の方が面白そうに思うかもしれませんが、TRPGにおけるKP(キーパー)とはまさに全能の神です。遠藤君が言う様な裏方では決してありませんよ」
「ああ、PC(プレイヤー・キャラクター)を生かすも殺すも総てはKP(キーパー)次第だ」
 中嶋が横から口を挟んだ。七条が不快そうに顔を顰めた。
「伊藤君と遠藤君が来てくれて本当に助かりました。公平さの欠片もない人にKP(キーパー)は任せられませんから」
「全くだ。主人について行くしか能のない犬にKP(キーパー)は務まらないからな」
「過酷なSAN(正気度)チェックでPC(プレイヤー・キャラクター)を殺そうとするKP(キーパー)では恐ろしくてゲームも楽しめません」
「やたらPC(プレイヤー・キャラクター)を発狂させて自滅を促すKP(キーパー)より遥かにましだ」
「あ、あの……」
 啓太はおろおろと二人を交互に見やった。
 まだルールのわからない啓太でも今の会話から中嶋と七条のどちらがKP(キーパー)でも、ここぞとばかりに相手を集中的に狙うことは直ぐに察せられた。なら、公平なゲーム進行の出来る丹羽か西園寺がKP(キーパー)をやれば良いが、そうなると残った方が中嶋と七条に挟まれることになる。それは想像するだけで頭が痛くなりそうだった。ゲーム内でも、この二人が仲良く助け合うことは絶対にあり得ない……
(だから、王様と西園寺さんもKP(キーパー)になりたがったんだ。これは……俺はまだこのゲームを知らないけど……うん、KP(キーパー)は和希が適任かも)
 漸く事態が呑み込めた啓太は密かに苦笑した。丹羽と西園寺が呆れた顔で二人を窘めた。
「いい加減にしろよ、中嶋。これじゃあ、いつまで経っても始まらねえだろう」
「臣……」
「すみません、郁」
 七条は軽く頭を下げた。しかし、全く悪いと思っていない様子に西園寺はため息をついた。
 中嶋は無言で眼鏡を押し上げると、先ほどルール・ブックが入っていた引き出しからキャラクター・シートと幾つものダイスを取り出した。その中に見慣れない多面ダイスがあり、啓太は少し身を前に乗り出した。
「中嶋さん、それは何に使うんですか?」
「まずはダイスを振ってPC(プレイヤー・キャラクター)の能力値を決め、この紙に書き込む。お前と遠藤はダイスを持ってないから今日はこれを使え」
「ああ、啓太のは俺が手伝うよ」
 ノートPCで何かを見ていた和希がおもむろに椅子から立ち上がった。ダイスを振ろうとした丹羽が慌てて声を掛ける。
「遠藤、振り直しはどうするんだ?」
「そうですね……各項目、三回まで認めます。入れ替えはなしです。それから啓太が早く馴染めるようシナリオの舞台を日本に設定したのでキャラクター名は本名でお願いします」
「随分、甘いな。それだと、かなり高スペックになるぞ」
「でしょうね。でも、初回から全滅では啓太のTRPGの印象が悪くなりますから」
「お前……」
 一体、どんなシナリオを選んだんだ、と訝る丹羽を横目に和希は啓太の隣に立って楽しそうにPC(プレイヤー・キャラクター)を作り始めた。



2014.8.11
初のリプレイ風SSです。
まずは導入部ですが、
王様が西園寺さんをどうやって誘ったかは謎です。
シナリオは『ひきだしの中身』よりお借りしました。

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Café Grace
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