「……」
 描写を中断した西園寺は無言でノートPCのキーを叩いた。すると、各自の持つタブレット型PCに四十分のカウントダウンの表示が現れた。
「郁ちゃん、何だよ、これ?」
 すかさず丹羽が尋ねた。西園寺は小さく口の端を上げる。
「ここから先は時間制限を設ける。四十分でそこから脱出しなければ、全員ロストだ」
「厳し過ぎるだろう、それ」
 丹羽は不満そうに顔を顰めた。自分の予想通りなら、恐らくこの先で最悪の選択を迫られるだろう……PC(プレイヤー・キャラクター)的にも、PL(プレイヤー)的にも。その上、更に追い込もうというか。鬼だな、郁ちゃん……
 喉元まで出掛かった文句を、しかし、丹羽は無理やり呑み込んだ。これはクトゥルフ(CoC)……発狂やロストを楽しむTRPG、とすぐさま気持ちを切り替える。
「仕方ねえ。中嶋か啓太、まずは俺と七条の発狂を解除してくれ。遠藤は啓太が命じれば動くだろうが、俺達はそうはいかねえ。今のままじゃ身動き取れねえ」
 その言葉に中嶋は啓太を顎で指した。
「俺のPC(プレイヤー・キャラクター)は興味のないことに自ら進んでは動かない。啓太にやらせる」
「わかりました。なら、王様と七条さんに『信用』を振ります」
 啓太は小さく頷いてダイスを手に取った。それを見た西園寺が言った。
「啓太、今回はマイナス補正はなしで良い。悪臭で『信用』が落ちるのは不自然だ。だが、SAN値は回復しない。それと、ロールは一度に纏める」
「一度ですね。平気とは思うけど……いきます」

伊藤 :信用(80)→11 成功


伊藤 :良かった。成功した。
丹羽 :これで動けるぜ。サンキュー、啓太。
西園寺:では、後小路の話を聞いた啓太は静かに皆を振り返った。丹羽と臣は酷く蒼ざめた顔で
    まだ入口に立ち尽くしていた。その瞳は何も映さず、耳は何も聞いていない。素人目にも正
    気を失っているのは明らかだった。啓太は二人にそっと近づくと、恐怖に凍えた手をそれぞ
    れ優しく握り締めた。啓太の掌から伝わる仄かな温もり……それは徐々に心に浸透し、や
    がて丹羽と臣に理知の光を取り戻させた。これで二人の不定は一時的に解除するが、狂気
    中は外部からの情報を総て遮断していたので後小路の話は知らない。聞き出すにはRP(ロ
    ール・プレイ)だ。
丹羽 :了解。なら、正気に戻った俺は啓太の手を強く握り返して呟く。すまねえ、神父様……少し
    自分を見失ってた。
七条 :僕は涙を拭いながら、震える声で言います。有難う、ございます……
伊藤 :お気になさらず。こういう状況ですから。
丹羽 :あれが、母体なのか……?
伊藤 :いいえ、あれは事故死した元々の沙耶さんです。
七条 :どうして首だけ……身体は、どこに……
伊藤 :沼男(スワンプ・マン)を作るために使ってしまったそうです。
七条 :使ったって……と僕は蒼ざめて口元を押さえます。
丹羽 :正気じゃねえ……狂ってやがる。
伊藤 :母体はあの奥に見える階段の先にあるそうです。
七条 :でも、そこにいるのは後小路さんですよね。素直に通してくれるでしょうか?
伊藤 :邪魔はしないそうです。もう母体に興味はないと言っていました。
丹羽 :そうか……なら、行こうぜ。そのために、俺達は来たんだ。
七条 :そう、ですね……と少し震えながら、僕は頷きます。母体をどうするかは敢えて今は触れま
    せん。
伊藤 :わかりました……中嶋さん、遠藤さん、私達も行きましょう。
遠藤 :俺は笑いながら、足元の肉塊を執拗に踏み潰していましたが、その声にピタッと動きを止
    めて啓太に向かって頭を下げます。はい、神父様……薄汚い愚か者どもの処理は総て私
    にお任せ下さい。
伊藤 :期待しています、真に神の聖なる騎士よ。
中嶋 :時間はないが、俺は少し抵抗させて貰う。素直について行くのは性格的に不自然だ。俺は
    興味なさそうに呟く。俺が行く必要はもうないはずだ、神父。
伊藤 :……丹羽さん、先に行って下さい。直ぐに追いつきます。
丹羽 :わかった、と俺は階段へ向かう。正直、もう啓太達を気にしてる余裕はねえ。
七条 :僕も黙って丹羽会長の後に続きます。
中嶋 :丹羽達が充分に離れたら声を潜めて更にこう言う。母体を殺すなら遠藤だけで事足りる。
    なぜ、俺が行く必要がある?
伊藤 :貴方に見て貰いたいからです……人には存在する価値など欠片もないということを。他人
   のために自ら手を汚し、罪に塗れる者はどこにもいないということを。絶望は信仰の礎です。
   貴方には唯一、それが欠けています。
中嶋 :……
伊藤 :一緒に行きましょう、中嶋さん……あの先で、人の真の姿が見られます。
中嶋 :……わかった。
伊藤 :有難うございます。
西園寺:では、丹羽達に少し遅れて啓太達も奥の階段へと向かった。ところで、誰も触れなかった
    が、沙耶はどうする?
丹羽 :あ~、俺は母体をどうするかで頭が一杯だから沙耶のことは抜け落ちてるな。
七条 :僕もです。もし、母体を殺すことになったら、と怯えているので沙耶さんのことまで考えが及
    びません。
中嶋 :……俺は元々興味がない。
遠藤 :SAN値0の俺はただ啓太について行くだけです。
伊藤 :今、沙耶さんは何をしていますか?
西園寺:後小路の名前を呼びながら、泣いている。お前達の声は一切、耳に入ってない。一時的
    狂気の様な状態と思って良い。
伊藤 :なら、もう沙耶さんは必要ないので放っておきます。
西園寺:わかった。では、描写を続ける。母体の間へと続く階段は暗く、空気は生温かい湿り気を
    帯びていた。その壁や床を覆う肉塊は薄まることなく、寧ろ、下へ向かうほどその質量は更
    に増している様に感じられる。暫く無言でお前達は階段を下りていたが、やがて誰からとも
    なく足が止まった。濃厚な悪臭と醜悪な光景がお前達の擦り切れた精神を蝕み、身体を縛
    りつけたからだ。これを克服するにはPOW(精神力)×5で判定する。失敗した者は1D3の
    SAN(正気度)を消費して進むことが出来る。なお、この減少で発狂はしない。遠藤は判定
    しなくて良い。
遠藤 :わかりました。


丹羽 :POW(50)→73 失敗 1D3→3
    :SAN(35)→32
中嶋 :POW(50)→92 失敗 1D3→1
    :SAN(38)→37
七条 :POW(45)→52 失敗 1D3→3
    :SAN(25)→22
伊藤 :SAN(65)→10 成功


七条 :成功は伊藤君だけですか。空気を読む女神ですね。
西園寺:ならば、啓太以外の者は恐怖を訴える鼓動を気力で抑えつけた。今にも震え出しそうな
    足を無理やり前へと進める。すると、突然、お前達は軽い目眩に襲われた。次の瞬間、まる
    でミルクの海に叩き込まれたかの様な錯覚に陥る。
丹羽 :な、何だ!?
七条 :わっ……!
西園寺:そこは壁も床も天井も、何もかもが白くがらんとした部屋だった。今、通って来た階段とは
    何かの力で遮られているらしく、空気は冷たく清涼だ。ただ、あまりに白い空間にお前達は
    本能的に恐怖を覚えた。
中嶋 :『目星』を振る。
西園寺:必要ない。ここで出る情報は一つしかない。お前達が存在の確かな色彩(いろ)を求めて
    周囲を見回すと、部屋の中央にこちらに背を向けて真っ白な服を着た、少し襟足の長い男
    が立っていることに気がついた。
伊藤 :えっ!? ここにいるのは母体ですよね?
西園寺:ああ、私は母体が女性とは一度も言っていない。
遠藤 :……
    (新規キャラにした本当の理由はこれか)
丹羽 :白い服、ねえ。
    (これは予感的中だな)
中嶋 :……成程。
    (時間制限はこのためか)
七条 :……KP(キーパー)、その後ろ姿で僕達は直ぐに男とわかりますか?
西園寺:ああ、わかる。なぜならば、彼は全く知らない人間なのに、いつか、どこかで会ったことが
    あるとお前達は確信するからだ……まるで違う世界線では共に神話的恐怖に立ち向かっ
    た仲間だったかの様に。
伊藤 :それって、まさか……
西園寺:ああ……私だ、啓太。


「待って下さい!」
 突然、七条が描写を遮った。その顔は、いつになく色彩(いろ)を失っている。
「貴方は僕に貴方を殺す決断をしろと言うんですか、郁!?」
「母体は私と同じ姿をしているだけで、私ではない。お前達も一瞬、惑わされる程度で私と認識することは出来ない。だが、PL(プレイヤー)の心情は理解出来る。だから、制限を設けた。シナリオへの意見はその時間を無駄にしてロストの危険を高めるだけだぞ、臣」
「……っ……!」

西園寺:お前達は男に対して強い既視感と懐かしさを覚えた。すると、母体と思しき男が振り返っ
    て口を開いた。誰だ、お前達は……?
七条 :そ、その……姿、は……
西園寺:ここに何の用だ?
七条 :貴方、こそ……どうして……ここ、に……
丹羽 :あんた……どこかで……
中嶋 :何だ、この妙な既視感は……
伊藤 :貴方、は……
遠藤 :……
西園寺:用がないならば、帰れ。そう言って母体は再び背を向ける。
丹羽 :待った。俺は気を取り直して叫ぶ。よ、用ならある! 俺達は、沼男(スワンプ・マン)を止
    めに来たんだ!
西園寺:その言葉に母体はまたこちらを向いた。丹羽をじっと見つめる。
丹羽 :俺は一歩、前へ進み出て必死に訴える。このままでは人間は滅んでしまう。だから、人間
    を餌にするのはやめてくれ。頼む!
西園寺:……断る。
丹羽 :なっ……! 餌は人間以外でも問題ねえだろう!
七条 :遅れて僕も説得します。そ、そうです。個体を増やすためなら、人間より生息数の多いもの
    は沢山います。人間に拘りさえしなければ、僕達は共存――……
西園寺:ただ数が増えることに何の意味がある? この星を支配しているのは人間だ。お前は私
    に子供達が人間に駆逐されるのを黙って見ていろと言うのか。自分達さえ良ければ、私達
    は滅んでも構わないと。
丹羽 :そこまでは言ってねえ。だが、自分を滅ぼそうとするものを排除したいと思うのは当然だろ
    う。だから、こうして――……
西園寺:お前の思考に則れば、弱者は強者に駆逐されるのも当然ということになる。
丹羽 :人間は弱者じゃねえ! 沼男(スワンプ・マン)の存在が公になれば、駆逐されるのは間違
    いなくあんた達の方だ!
七条 :僕達は無益な争いを避けたいんです! 僕達は共存出来ます! なのに、どうして貴方は
    その方法を探ろうとしないんですか!?
西園寺:共存の路はない。私は星を喰うもの……総て滅びるが良い、人間ども。
丹羽 :(ここまで母体の意思が固いと、何かロールしても恐らく自動失敗だな)
    くそっ……やるしか、ねえのか……
七条 :丹羽さん、まさか……
丹羽 :仕方ねえだろう、七条先生……このまま、沼男(スワンプ・マン)が増え続けたら、人間は
    確実に滅んでしまう。もう母体を……殺すしかねえ。
七条 :ま、待って下さい! 諦めずに説得すれば、まだ可能性はあります!
丹羽 :そんな時間はねえんだ! こうしてる間も、人間はどんどん沼男(スワンプ・マン)に食われ
    てる。今、沼男(スワンプ・マン)を止められるのは、ここにいる俺達だけなんだ! 俺達に全
    人類の未来が懸ってる!
七条 :……っ……!
丹羽 :あんたの気持ちはわかる。俺だって同じだ。だが、もう覚悟を決めてくれ、七条先生!
七条 :ぼ、僕は……
西園寺:ほう? 私を殺すか。
丹羽 :ああ……殺す。あんたが死ねば、沼男(スワンプ・マン)はもう増えなくなるんだ。俺達はこ
    こで引く訳にはいかねえ。この人数を相手に抵抗するなら、すれば良い。
西園寺:……抵抗などしない。
丹羽 :えっ!?
西園寺:私には身を守る力がない。この腕も足も飾り同然で、出来るのは精々相手を惑わす姿に
    なる程度だ。私を殺すのは赤子の手を捻るより簡単だろう。
丹羽 :(妙だな。まだ何か裏があるのか……?)
    なら、なるべく楽に……殺してやる。そう言って俺は母体の首に緩く両手を掛ける。
七条 :丹羽さんっ……!
    (郁っ……!)
西園寺:母体は虚ろに丹羽を見上げた……一気に絞め殺すか?
丹羽 :……いや、少し様子を窺う。
西園寺:ならば、母体が静かに言葉を発した。最後に、親切心で一つだけ教えてやろう。
丹羽 :……
西園寺:私を殺せば、子供達は増殖をやめる……が、同時に人に擬態することもやめる。
丹羽 :……えっ!?
西園寺:私の声を失った子供達は徐々に元の肉塊へと還り、やがて総て死に絶えるだろう。子供
    達は本来の姿ではこの星の環境に適応出来ない。
丹羽 :何、だと……
西園寺:今、お前は四万五千六百五十一の生命を絶とうとしている。母体たる私には声を受け取
    る子供達の数がわかる。その中にはお前の家族がいるかもしれない。お前の友人がいる
    かもしれない。それでも、私を殺すのか? 彼らには沼男(スワンプ・マン)という自覚はない
    のに。
丹羽 :だっ、て……そう、しないと、人間が……
西園寺:ああ、そうだ。四万五千とその他六十億の生命……比べるべくもないだろう。天秤は重い
    方に傾く。お前がそれを正しいと思うのならば、私を殺せば良い。
丹羽 :……正しい、とか……わかる、訳……
西園寺:ならば、やめるのか? 偽物だらけのこの世界を許容するのか?
丹羽 :駄、目だ……
西園寺:ならば、四万五千の人格を犠牲に人類を救うのか?
丹羽 :あ……う……
西園寺:選ぶのはお前だ……さあ、どうする?



2017.5.19
究極の選択。
どちらを選んでも、
後に待つのは絶望……

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Café Grace
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