「……」
 丹羽は無言で腕を組んだ。
 正直、この展開は予想していなかった。後小路の手帳を読んだ後、密かに母体を殺す覚悟はしていた。PC(プレイヤー・キャラクター)的にはそれで沼男(スワンプ・マン)になった者達は人に戻ると思っているから。彼の持つ正義感と常識に照らして考えれば、それが最も自然な行動に思えた。
(だが、このPC(プレイヤー・キャラクター)に母体とそこに連なる四万五千の人格を切り捨てられるのか? 最初、沙耶がもう一人の沙耶を殺したのを見て逃げようとした奴だ。そこまで正義感が強い訳じゃねえ。そうすべきなのはわかってても、それを知ったら自分の手で殺したくはねえはずだ)
 なら、その役を誰かに押しつけるしかなかった。一般人の七条も恐らく躊躇するので、出来れば傍観している犯罪者組にやらせたい……が、丹羽は『言いくるめ』も『説得』も取っていなかった。
(せめて遠藤にSAN値が残ってたら、RP(ロール・プレイ)で丸め込めたかもしれねえのにな)
 無意識に丹羽は唸った。方針の決まらない様子に中嶋が声を掛ける。
「お前にしては悩んでいるな、丹羽」
「最後の暴露がな……あれはPC(プレイヤー・キャラクター)的には完全に尻込みする展開だろう。どうRP(ロール・プレイ)したものかと、ちょっとな」
「お前はどんな展開でも楽しめるはずだ。今更、恥も何もないだろう。あまり長考すると、他の者の興がそがれる」
「わかった……仕方ねえ。もうなる様になれ、だ」
 丹羽は小さく息を吐くと、RP(ロール・プレイ)を再開した。

丹羽 :俺は母体から手を離し、よろよろと後退る。そんな、の……俺に、選べる訳ねえだろう……
    どっちかなんて……
西園寺:ならば、早くここから立ち去り、私達のことは総て忘れろ。そうすれば、元の平穏な日常に
    戻れる。
丹羽 :どこが平穏なんだ。くそっ、一体、どうすれば……と言って俺は縋る様に七条を見る。
西園寺:その視線を追って母体も臣へと目を向けた。
七条 :(そうきますか)
    僕はビクッと震えて大きく首を横に振ります。ど、どうして僕を見るんですか? 僕も、そんな
    選択は出来ません。
丹羽 :あんたは医者だろう、七条先生。
七条 :だから、僕に四万五千の人を殺せと言うんですか!?
丹羽 :このまま、沼男(スワンプ・マン)を見過ごす訳にはいかねえ。それはあんたも同意してた
    はずだ。
七条 :それとこれでは話が違います! 僕は母体と話し合うために来たんです!
丹羽 :そんなの俺だって同じだ!
七条 :なら、別に僕でなくても――……
丹羽 :人を救うのは医者の義務だろう! これは、ただのタクシー・ドライバーより医者がやるべ
    きことだ!
七条 :人を救うなら誰がやっても同じです! そもそも、丹羽さんはどんな犠牲を払ってでも沼男
    (スワンプ・マン)を止める覚悟を持ってここへ来たはずです。なのに、どうして途中でやめた
    んですか!? あの言葉は嘘だったんですか!?
丹羽 :そ、それは……こんなことになるとは思ってなかったんだ! いきなり四万五千を道連れに
    して殺せって言われて簡単に出来るもんじゃねえだろう! 躊躇うのは人として当然だ!
七条 :僕だってそうです! たとえ、相手が沼男(スワンプ・マン)でも、生命あるものを殺すなん
    て僕には出来ません!
丹羽 :なら、あんたはこの状況をどうする気なんだ!? 何も知らなかった振りをして大人しく食
    われるのを待てって言うか!? そんなの、冗談じゃねえ! そのくらいなら、俺は死んだ方
    がましだ!
七条 :丹羽さん、落ち着いて下さい! やけになってはいけません! 少し冷静になりましょう!
丹羽 :俺は至って冷静だ! ただ――……
七条 :この問題を僕達だけで解決しようとしたのが間違いだったんです!
丹羽 :……!
七条 :今更ですが、丹羽さん、これは高度に倫理的で深刻な問題です。まずは然るべき機関に
    連絡して僕達の知っていることを総て話しましょう。ここには証拠が一杯ある上に、一部は
    金曜血の池事件として公になっていますから必ず信じて貰えます。そして、対応を委ねるの
    です。僕達は出来る限りのことをしました。これ以上の責任を負う必要はありません!
丹羽 :ああ、そうだ……その通りだ、七条先生! これは、俺達だけで勝手に対処して良い問題
    じゃなかった! どうして直ぐ気づかなかったんだ! 冷静になって考えたら直ぐわかること
    だよな!
七条 :はい、今直ぐ警察に連絡しましょう!
丹羽 :あっ、それなら直接、出向いた方が早いんじゃねえか?
七条 :ですね。なら――……
伊藤 :ふっ、ふふっ……
丹羽 :……何がおかしいんだ、神父様?
伊藤 :急に発言が真逆になったので。ここへ来るまでは世間に公表しても誰も信じてくれないと
    言っていましたよね。
七条 :それは総てを知らなかったからです。あのときとは状況が全く違います。
伊藤 :成程……では、警察が話を信じるまでどれほど時間がかかると思っていますか? 一ヶ月
    ですか? 二ヶ月ですか? あと一年もしたら人間は総て沼男(スワンプ・マン)に取って代
    わられるというのに随分と悠長なことですね。
丹羽 :……っ……し、仕方ねえだろう! なら、神父様達には他に何か良い方法があるって言う
    のか!? 先刻からずっと傍観してるだけじゃねえか!
中嶋 :沼男(スワンプ・マン)をどうにかしたいのはお前達だろう。
伊藤 :私は傍観しているつもりはないのですが……ねえ、丹羽さん、七条さん、貴方達は人類の
    ために沼男(スワンプ・マン)を排除したいのではないでしょう? たとえ、その意思と心は沼
    男(スワンプ・マン)の中に受け継がれても、今、ここにいる自分は間違いなく死ぬ。それが
    嫌だから……死にたくないから、貴方達は沼男(スワンプ・マン)を認められないなのです。
    なのに、どうして母体を殺すのをそんなにも躊躇うのですか? 母体に付随する四万五千
    の生命が怖いですか? そんなもの自分とは比べるべくもないでしょう。死にたくないなら、
    もっと醜く足掻いて自らの手を汚しなさい。己が未来は血濡れの手で掴み取るのです。
丹羽 :あ、あんた、何を言って……
七条 :あの優しかった神父様の言葉とは到底、思えません。
伊藤 :ふふっ……貴方達は、いつまでもそうして目を逸らし続けていなさい。希望は醒めた者の
    夢……綺麗ごとばかりを口にし、汚れた決断は総て誰かに押しつける薄汚い愚か者に見る
    夢はありません。そう言って俺は隠し持って来たナイフを取り出します。
七条 :なっ……!
    (まさか伊藤君が武器を持って来るとは……!)
丹羽 :咄嗟に身構える。
    (誰かが武器を持って来る可能性は考えてたが……啓太は役に嵌まり込むタイプだな)
伊藤 :二人を無視して母体へと向かいます。
西園寺:母体は無言で啓太を凝視している……一思いに殺すか?
伊藤 :はい。
七条 :……
西園寺:では、啓太は無言でナイフを振り上げると、躊躇うことなく深々と母体の胸を刺した。白い
    服の胸元にナイフを花芯に赤い花びらが大きく広がってゆく。力なく床へと崩れた母体は暫
    く虚空を見つめていたが、やがて死んだ。他の四人はそれについてどう反応する?
丹羽 :俺は啓太がナイフを振り上げた瞬間、素早く目を逸らす。
七条 :僕は震えながら、総てを見届けます。恐ろしい光景ですが、心の奥では密かに母体の死を
    望んでいたので、同時に安堵を覚えます。
中嶋 :そんな二人を俺は無言で見ている。
遠藤 :俺は啓太の後ろ姿をじっと見つめて言葉を待ちます。
西園寺:(もうSAN(正気度)チェックをする気はないが、最後まで気を抜かせないために振りはし
    ておく必要がある)
    お前達が母体の死を様々な思いで受け止めていると、突然、部屋全体が不穏に揺れ始め
    た。それは決して大きくはないが、まるで何かが部屋を掴んで揺らしている様で明らかに地
    震とは違うとわかる。不安を覚えて来た方を振り返ると、薄い膜の様なものに隔てられた向
    こうに朧に石造りの階段が見えた。
丹羽 :急いで脱出するぜ。揺れなどなくても、PC(プレイヤー・キャラクター)的には一刻も早くこ
    こから出たいしな。
七条 :僕もです。
中嶋 :なら、俺はチラッと啓太に視線を走らせてから二人の後を追う。
伊藤 :俺は三人とは少し距離を取って階段へと向かいます。
遠藤 :啓太に続きます。
西園寺:先行する丹羽、臣、中嶋の三人は不気味な振動が続く中、階段を駆け上って六面体の安
    置されている広間へと辿り着いた。岩肌が剥き出しの天上や壁面が軋んでぱらぱらと小さ
    な破片が降っているが、後小路はまだ恍惚と六面体を見つめている。沙耶はそんな後小路
    の少し後ろに寄り添う様に立っていた。お前達は二人の横を通って更に上へと向かう訳だ
    が、誰か声を掛けるか?
丹羽 :ああ、俺は沙耶に声を掛ける。お嬢さん、何か様子が変だ! 早く逃げた方が良い!
後小路:……
西園寺:丹羽の言葉に、沙耶は返事をしなかった。辺り一面に広がる肉塊と同じ様に、ただひたす
    ら後小路を仰いでいる。
七条 :無理やり連れて帰ることは出来ますか?
西園寺:『説得』に成功したら可能だが、相当なマイナス補正が入ると覚悟しろ。
丹羽 :事実上、不可ということか。なら、そのまま、俺は逃げる。一応、義理は果たしたからな。
七条 :僕は沙耶さんを連れて行こうかと迷いますが、丹羽会長が階段を駆け上るのを見て後ろ
    髪を引かれる思いでそれに続きます。
中嶋 :俺は二人には目もくれずに上の階段へと向かう。
西園寺:では、三人に少し遅れて啓太と遠藤も広間へ着いた。お前達はどうする?
伊藤 :和希に言います。遠藤さん、後小路氏の処理をお願いします。
遠藤 :はい、神父様。小さく頷いた俺はその場で拳銃を取り出して後小路を撃ちます。
西園寺:遠藤はそのままの値で『拳銃』を振れ。近距離からの攻撃だが、補正は振動と臭いのマイ
    ナス補正とで相殺される。丹羽と臣は30%減で『聞き耳』、中嶋は自動失敗なので振る必
    要はない。


遠藤 :拳銃(40)→32 成功
丹羽 :聞き耳(70-30)→12 成功
七条 :聞き耳(65-30)→45 失敗
中嶋 :聞き耳(25-30)→   自動失敗


西園寺:先に丹羽達の描写をする。階段を駆け上っていた三人の内、丹羽は下の方で微かな銃
    声を聞き取った。今なら引き返すことも可能だ。
丹羽 :ここまで来て死にたくはねえ。俺は真っ直ぐ上を目指す。
    (あと十分……何とか間に合うか)
西園寺:ならば、丹羽は気にはなったが、今はとにかく地上を目指して階段を駆け上がった。する
    と、一瞬、辺りの景色が歪んだかと思うと、後小路の屋敷の階段の踊り場に飛び出た。驚い
    て足を止めた丹羽の背に勢い良く臣がぶつかる。
七条 :うわっ……!
丹羽 :おっと、危ねえ!
西園寺:慌てて二人がその場から動くと、今度は中嶋が踊り場の鏡から飛び出して来た。
中嶋 :……っ……どうやら、戻って来たらしいな。
丹羽 :ああ。
七条 :後の二人は……
西園寺:その言葉に三人は振り返って鏡を見た。啓太達の場面に移る。遠藤の拳銃はこちらに背
    を向けて立っている後小路を正確に撃ち抜いた。低い呻き声と共に後小路は膝からゆっくり
    と崩れてゆく。その身体を無数の肉の触手が優しく抱き留める様に受け止めた。沙耶が慌
    てて跪き、後小路をそっと抱き起した。すると、後小路は力ない手を六面体へと伸ばした。
    その瞳は最後の瞬間まで六面体の中で眠る沙耶に注がれたまま……隣にいる沙耶には
    決して向けられなかった。やがてその手がパタッと床に落ちた。後小路は死んだ。少し間を
    置いて、沙耶が静かに呟いた。
後小路:有難う、神父様……幸哉を殺してくれて。
伊藤 :別に貴方のためにしたことではありません。
後小路:幸哉はこの空間ごと時間を遡って本物の沙耶に会いに行くつもりだったの。そんなことを
    したら、今度こそあの猟犬に殺されてしまうかもしれないのに……このまま、沙耶に会えな
    いなら死んだ方がましだって……沙耶はここにいるのに……ここに、いるのに……私の思
    いは、どうやっても幸哉に届かなかった……
西園寺:すっと沙耶の頬を涙が伝い落ちた。
後小路:でも、これでやっと私のものになった。私だけの幸哉に……
西園寺:沙耶は愛しそうに後小路を抱き締めた。揺れが更に大きくなり、啓太と遠藤は空間そのも
    のが潰れてしまいそうな圧迫感を覚えた。もうそんなに長くは持たないだろう。どうする?
伊藤 :沙耶さんを残して急いで上の階段へと向かいます。
遠藤 :俺は啓太について行くだけです。
西園寺:では、やがて二人も後小路の屋敷の踊り場へ辿り着いた。四十分以内に脱出に成功した
    ので、全員、生還でシナリオ終了だ。一先ず、おめでとう。


 綺麗な微笑を浮かべて西園寺は静かに手を叩いた。しかし、誰も喜ぶ素振りを見せなかった……最大の謎が未解明のままだったから。西園寺がシナリオを解説する。
「取り零した主な情報は一つ、ナイアもまた沼男(スワンプ・マン)だったという点だ。異形としての力を行使出来ない沙耶以外の沼男(スワンプ・マン)は傷口から例の悪臭が漂う。屋敷を出た後小路もそれで自分の正体に気づいた。後は総てお前達の推理通りだ」
「それで終わりってことはねえよな。郁ちゃん」
 丹羽が不満そうに口を開いた。ああ、と中嶋が同意する様に頷いた。
「まだ肝心なことがわかっていない」
「……」
 西園寺は無言で紅茶に手を伸ばした。七条が残念そうに言った。
「自分が誰と同陣営かはわかりましたが、最後の決め手が出ませんでした。本当に遠藤君は伊藤君に対して過保護ですよね」
「俺は自分のRP(ロール・プレイ)をしただけです」
 何食わぬ顔で和希は返した。意味のわからない啓太が不思議そうに首を傾げた。
「どういう意味ですか、七条さん?」
「教会で伊藤君が僕を部屋へ案内しようとしたことがありましたよね。あのとき、もし、遠藤君がついて来なければ……どちらかが襲われていたはずです」
「そうなんですか!?」
「はい、そうしたら、誰が沼男(スワンプ・マン)かはっきりしたんですが……一般人組と犯罪者組が二人で行動しようとしたのはあのときだけだったので、結局、最後までわからないままでした」
 残念そうに七条はため息をついた。焦れた丹羽が西園寺にきっぱりと尋ねた。
「それで……一体、誰が沼男(スワンプ・マン)なんだ?」
 その言葉に皆の視線が一気に西園寺に集まった。西園寺の口の端が小さく上がる。
「それは後日談で明かされる」
 そして、右手でKP(キーパー)用のノートPCのキーを叩いた。すると、各自のタブレット型PCに一通のメールが届いた。
「今、送ったメールには各自の正体が書かれている。それを見て各々これから後日談をRP(ロール・プレイ)して貰う。沼男(スワンプ・マン)だった者は母体が死んだのでキャラ・ロスト確定だ。だが、今直ぐ死ぬ訳ではない。時間を掛けて徐々に身体が肉塊へと変化し――いや、本来の姿に戻ると言うべきか――ゆっくりと死んでゆく。助かる術はない。あるのは醜く絶望的な死のみだ。人間だった者は周囲の沼男(スワンプ・マン)が肉塊へ変わってゆくのを見ることになる。だが、数年も経てば、それは収まって元の平穏な生活を取り戻せる」
「凄い差ですね」
 思わず、七条が口を挟んだ。
「後日談は単独でも、誰かと合同でも構わない。無理に辻褄を合わせる必要もない。これから少し時間を与える。自分の最後は自分で決めると良い」
「最後までえぐいな、郁ちゃん」
 丹羽はガシガシと頭を掻いた。中嶋が小さく喉を鳴らす。
「だが、面白い趣向だ」
「全く……この人に言われたらお終いですよ、郁」
 これ見よがしに七条はため息をついた。和希が心配そうに啓太に言った。
「後日談か。出来そうか、啓太?」
「あ……うん、大丈夫だよ。俺、ずっと神父を演じてたから、終わったって言われたのに何かまだ実感が湧かないんだ。後日談をやったら、多分、すっきりすると思う」
「そうか……啓太、俺は啓太の狂信者だから、俺のことは気にせず、好きな様に使って良いよ」
「有難う、和希……後日談、俺、頑張るから」
「ああ」
 ふわりと和希は微笑んだ。
 啓太は無言でタブレット型PCに視線を落とした。一度、深く息を吸い……そして、メールを開く。そこに書かれていたのは……



2017.10.20
生還しても終わらない。
言えるのは、
今回のダイスの女神は残酷ということだけ……

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Café Grace
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