チョコレート・ソースのかかったマドレーヌを手に七条は次の夢を見る方法を考えていた。立て続けに三度も気絶したので、確実に大きなマイナス補正が付けられるだろう。しかし……
(失踪者がいつまでも生きているとは思えません。短時間でぎりぎりまで夢を追わなければ、恐らく間に合わない)
 TRPGの中とはいえ、七条には中嶋を助ける気は毛頭なかったが、それとこれは話が別だった。中嶋は七条の神経を逆撫でする機会は絶対に見逃さない。充分なSAN値がありながら、我が身可愛さに出し惜しんだと言われたら堪らなかった。
(やはり僕も継続キャラの生命を賭けるしかないですね)
 七条は密かにそう決意した。

中嶋 :順番に描写を再開する。丹羽、西園寺、遠藤の三人は警察の資料に目を通し始めた。だ
    が、丹羽は絞め落とした七条が気になって集中出来なかった。横たわる七条の様子を心配
    そうに窺い、時折、時計に目をやった。そして、二十分が経つと、約束通り七条を起こした。
    七条はSAN(正気度)チェック、1/1D6だ。神話技能の加算は、先刻の啓太の初発狂の
    分も含めてこの描写の最後に纏める。
伊藤 :……忘れてると思ってたのに……
七条 :わかりました。もしかしたら、途中で僕が発狂して更に増えるかもしれませんから、それで
    結構です。


七条 :SAN(90)→90 成功
    :SAN(90)→89


七条 :おや、出目が高いですね。これは期待出来そうです。
中嶋 :七条は最初の悪夢を見たが、嫌な汗をかいただけで内容はやはり覚えていなかった。心
    配そうに自分を見る丹羽に小さく頷くと、再び絞め落とされて気を失う。丹羽は意識のない
    七条をそっと横たえ、枕代わりのクッションに頭を乗せた。そのとき、七条の顔色が先刻より
    少し悪くなっていることに気がついた。丹羽は殆ど読んでいない自分の資料を西園寺に渡
    すと、万が一を考えて七条の傍でまんじりともせずに時間が過ぎるのを待つことにした。二
    十分後、目醒めた七条は1D3/1D8のSAN値を喪失する。


七条 :SAN(89)→38 成功 1D3→3
    :SAN(89)→86


七条 :はあ……まだ失敗は難しいですね。でも、最大値です。
中嶋 :二度目の悪夢も最初と同様に何も覚えていなかった……が、今回は少し状況が違った。
    言い知れぬ恐怖に、七条はどうしても身体の震えを抑えることが出来なかった。少し頭痛も
    する。自分を覗き込む丹羽を安心させようと浮かべた微笑は僅かに口唇が歪んだだけで、
    返って異変を強調してしまった。
丹羽 :中嶋、三度目の描写の前にちょっとRP(ロール・プレイ)をさせてくれ。
中嶋 :わかった。
丹羽 :……きつそうだな。大丈夫か、七条さん?
七条 :……っ……は、い……多分、これは……風窓、さんの……感じ、た……恐、怖です……
丹羽 :……そうか。
七条 :僕は身を起こして改めて言います。あと、一回……お願い、します……
丹羽 :……ああ、わかってる。ここでやめたら、意味がねえからな。俺は口唇を噛み締めて七条
    の首に腕を回す。
中嶋 :これが最後と丹羽は感情を押し殺して七条を絞め落とそうとした。だが、無意識の躊躇い
    が手元を狂わせたのか、頸動脈と同時に気道まで圧迫してしまった。幸い、直ぐに気づいて
    絞め直したので、七条はさほど窒息することなく三度目の気絶をした。
七条 :ふふっ、これで漸く新しい悪夢が手に入ります。
中嶋 :夢の中で七条は息急き切って走っていた。しかし、いつもより身体が重く、まるで自分が年
    老いている様な気がした。あまりの疲労感に、お前は古い平屋屋敷の前で足を止めた。せ
    めて中に隠れさせて貰おうと、木で出来た大きな玄関門を叩く。ドン、ドン、ドン……何度も
    強く叩くものの、中から人の出て来る気配はなかった。焦ったお前は形振り構わず、終に大
    声で助けを求めた。すると、虚しく響くお前の叫びに混じってパシャリと水の跳ねる音が聞こ
    えた。ハッと息を呑んで振り返ると、少し離れた処に小さな水溜まりがあった。そこから這い
    出た一本の触手がゆっくりと鎌首をもたげ、その先端に付いた小さな目でお前をじっと捉え
    ている。慌ててお前は駆け出そうとした。だが、触手は素早く右腕に絡みつくと、胴体に付
    いた鋭い突起で根元から無慈悲に切り落とした。突然、腕を切断されたお前は今まで経験
    したことのない激痛に悲鳴を上げ、喘ぎ、地面に転がった。このまま、殺されるのか……絶
    望に目を閉じたお前の脳裏にふと誰かの顔が過った。女だ。その瞬間、お前は心の底から
    思った……まだ死にたくない、と。重い瞼を持ち上げて見ると、触手はまだお前の腕を貪り
    食っていた。水溜まりが小さいので、青い瞳の怪物は何本も触手を出せないらしい。そう気
    づいたお前は再び逃げることした。たとえ、それが無駄な足掻きだとしても、彼女のために
    一縷(いちる)の希望に縋らずにはいられなかった。そこで、七条は目が醒めた。やはり今
    回も夢の記憶はないが、なぜか右腕が痛んだ。しかも、先刻より頭痛も酷い。自分を心配そ
    うに覗き込む丹羽に声を掛ける余裕すらなく、ただ苦痛に耐えていると、腕の痛みは徐々に
    潮が引く様に静かに消えていった。1D6/1D10のSAN(正気度)チェックだ。


七条 :SAN(86)→52 成功 1D6→6
    :SAN(86)→80
    :アイデア(60)→29 成功 一時的狂気


「ああ、初発狂です。これで更に神話技能が増えます」
 七条は中嶋に言われる前に狂気の内容を決めるために嬉々としてダイスを振った。その出目を見た丹羽が途端に顔を顰める。
「おい、マジかよ。今回、出過ぎだろう」
 それは6……つまり、殺人癖か自殺癖を示していた。目の前に二度も自分を絞め落とした上に窒息させた者がいたら、七条がどちらを選ぶかは聞くまでもなかった。
「殺人癖か?」
 中嶋が端的に尋ねた。ええ、と七条は頷いた。
「それ以外に選択肢はありません。相手は勿論、丹羽会長です」
「はあ……やっぱりな」
 丹羽は大きなため息をついた。七条は楽しそうに丹羽を見やった。
「では、僕は腕の痛みが引くにつれて丹羽会長に苛められたことを思い出し、急激な殺意が込み上げてきます」
「苛められたって人聞きの悪い言い方するんじゃねえ。合意の上だろう」
 すかさず丹羽は反論した。すると、七条は呆れた様に首を横に振った。
「それは見苦しい男の典型的な言い訳ですよ、丹羽会長」
 中嶋が軽く眼鏡を押し上げる。
「合意の上での窒息プレイか……酷い趣味だな、丹羽」
「なぜ、こういうときだけ息が合うんだ、お前達は!?」
 丹羽が不満そうに声を荒げた。中嶋はそれに答える代わりに喉の奥で小さく笑うと、何食わぬ顔でシナリオに戻った。

中嶋 :七条、殺人癖でRP(ロール・プレイ)をしろ。
七条 :では、腕の痛みが引くにつれ、僕の中に先ほど丹羽会長に首を絞められた記憶が鮮明に
    蘇ってきます。そして、丹羽会長は気絶と見せかけて実は僕を殺そうとしているに違いない
    という妄想に囚われます。このままでは殺されてしまう。そうなる前に殺さなければ、と思っ
    た僕は丹羽会長を押しのけて……そうですね。キッチンへ駆け込みます。
丹羽 :なっ、刃物を使う気か!? そうはさせねえ。七条を止めるぜ。
中嶋 :DEX(敏捷)×5だ。


丹羽 :DEX(80)→53 成功


中嶋 :七条のただならぬ様子に咄嗟に丹羽は腕を掴んだ。
丹羽 :どうしたんだ、七条さん!?
七条 :一瞬、痛みに顔を顰めて僕は手近にあるもので丹羽会長に襲い掛かります。
中嶋 :『幸運』を振れ、七条。数値が大きければ大きいほど、重い物を出してやる。
丹羽 :煽ってんじゃねえ、中嶋。


七条 :幸運(75)→22


七条 :おや、残念です。
丹羽 :ふう、助かった。
中嶋 :反射的に七条は目についた物を取って丹羽に投げつけた。だが、それは啓太が今日の講
    義に参考資料として持って行こうと用意しておいた本だった。表紙こそ硬いが、厚さはあまり
    なく丹羽は難なく避けることが出来た。
丹羽 :取り敢えず、七条を羽交い絞めにする。大人しくしてくれ、七条さん!
中嶋 :丹羽は素早く七条の背後に回ると、両脇の下から入れた手を首の後ろで組んで羽交い絞
    めにして押さえ込んだ。
七条 :は、放せっ……!
西園寺:KP(キーパー)、私は臣の顔を覗き込んで声を掛ける。落ち着け、臣、気をしっかり持
    て!
中嶋 :七条は暫くもがいていたが、西園寺の言葉にやがて理性を取り戻し、力なくその場に座り
    込んだ。立て続けに三度も気絶したので身体が酷く重かった。今後、総ての技能値に30%
    のマイナス補正が付く。但し、それは二時間ごとに10%ずつ回復する。
七条 :暫く探索は厳しいですが、仕方ないですね。
中嶋 :別室でアロマ・テラピーをしていた啓太はその騒ぎを聞きつけてリビングへ戻って来た。心
    地良い香りに包まれてゆったりとした時間を過ごしたお陰で、動揺は完全に静まっている。
    これ以降は普通に会話が出来る。
伊藤 :なら、俺は七条さんに駆け寄って声を掛けます。大丈夫ですか、七条さん?
七条 :力なく頷きます。
伊藤 :KP(キーパー)、七条さんに『応急手当』と『精神分析』は出来ますか?
中嶋 :今回は『応急手当』は不可だ。『精神分析』をするなら三十分が経過する。
七条 :伊藤君、僕はまだ大丈夫です。今は時間を無駄にしたくありません。不定になったらお願
    いします。
伊藤 :わかりました。
中嶋 :西園寺と遠藤は手分けして資料を読み進め、風窓の行動らしきものを纏め上げた。それ
    によると、失踪者の何人かが風窓の家から西に少し行った処にある古い平屋屋敷の周辺
    で目撃されていた。門の前をうろついたり、悲鳴を上げたりしたため、近所の住人から不審
    者として何度か通報されている。一応、警察は屋敷の主人に事情聴取をしたが、かなりの
    人嫌いで直接は連絡が取れず、娘を通して漸く会うことが出来たと書いてある。失踪事件と
    の関係はないと判断したらしく、聴取の内容は記載されていない。ただ、備考として玄朗と
    いう屋敷の主人の通り名と鹿野かすみという娘の連絡先が記されていた。
遠藤 :玄朗の本名はわからないんですか?
中嶋 :ああ、そこまで調べていない。
遠藤 :さすがクトゥルフ(CoC)の警察ですね。
西園寺:では、その情報を全員で共有する。
中嶋 :なら、七条はその話から夢の記憶が揺さぶられる。『アイデア』を振れ。成功したら、夢の
    内容を思い出し、1D6/1D10のSAN(正気度)チェックだ。今回はマイナス補正は無視す
    る。『アイデア』とSAN(正気度)チェックは体調に左右されない。
七条 :わかりました。


七条 :アイデア(60)→57 成功
    :SAN(80)→93 失敗 1D10→6
    :SAN(80)→74
    :アイデア(60)→87 失敗


七条 :ああ、折角、失敗したのに……残念です。発狂し損ねました。
中嶋 :資料の話を聞いている内に、七条は今まで見た夢を総て思い出した。同時に一瞬、右腕
    が酷く痛む。
七条 :では、僕は腕を押さえて小さく蹲ります。くっ……っ……!
丹羽 :どうした、七条さん? どこか痛むのか?
七条 :……いえ……大丈夫、です。ただ、夢を……思い出しました。
西園寺:どんな夢だ?
七条 :風窓さんはその屋敷に助けを求めましたが、触手に捕まって……でも、誰かのことを思っ
    て何とか逃げ出しました。女性でした。
丹羽 :それなら、多分、娘の優香さんだろう。親一人、子一人って言ってたからな。
遠藤 :七条さん、風窓さんがそこへ行った理由はわかりますか?
七条 :いいえ……偶然、辿り着いた処に屋敷があったのか、意図してそこへ向かったのかは夢で
    はわかりませんでした。
伊藤 :それが重要なのか、和希?
遠藤 :ああ、風窓さんはオカルト研究家だろう。神話生物に襲われて、ただ闇雲に逃げていたと
    は思えない。持てる知識を総動員して少しでも生き延びる可能性のある方へ行くと思う。
伊藤 :そっか……うん、そうだよな。親なら娘さんを一人残しては絶対に死ねないよな。
丹羽 :どうやらその屋敷の主人に会ってみる必要がありそうだな。なら、かすみさんに電話して玄
    朗さんに取り次いで貰おうぜ。KP(キーパー)、かすみに電話するぜ。
西園寺:待て、丹羽。かすみの連絡先は警察の資料から出た情報だ。お前より遠藤から電話した
    方が話が通り易い。
遠藤 :そうですね。俺から電話します。
中嶋 :遠藤が資料にあるかすみの電話番号に掛けると、数回のコール音の後、若い女の透明な
    声が聞こえた。
鹿野 :はい、鹿野です。
遠藤 :鹿野さんのお宅ですか。私は警察の遠藤と申します。以前、聴取した件で再度、玄朗さん
    に伺いたいことがあるので、至急、取り次いで貰えませんか?
鹿野 :警察、ですか。義父はあの件で変な噂を立てられたので、あまり良い顔はしないと思いま
    すが……わかりました。話は通しておきます。
遠藤 :有難うございます。では、これから伺います。そう言って電話を切ります。玄朗の屋敷の住
    所は警察の資料でわかりますよね。直ぐ全員で向かいます。
    (捜査の延長という体なら五人は多過ぎるが、もう二手に分かれる余裕はない)
七条 :なら、タクシーを使いましょう。自分で運転すると、必然的に鏡を見ることになりますから。
遠藤 :啓太、外に出たら鏡や硝子を見ない様に気をつけて。雨が降っているから、足元の水溜ま
    りに映る姿も見ては駄目だよ。
伊藤 :うん、わかった。
中嶋 :では、お前達は急いで支度すると、二台のタクシーに分乗して玄朗の屋敷へと向かった。
    次の場面に移る前に神話技能を付与する。啓太は5、七条は8だ。


伊藤 :クトゥルフ神話(5)→10
七条 :クトゥルフ神話(9)→17


「はあ……どんどん増えてく……」
 啓太は力なく肩を落とした。和希が優しく慰める。
「まあ、啓太もこれで4セッション目だからな。でも、その割には少ないと思うよ」
「そうなのか?」
「啓太はあまり発狂しないからな。まだ不定の狂気にもなったことないだろう。今回も寝たり、鏡を見なければ大丈夫だから。俺も気をつけるよ」
「有難う、和希」
 ふわりと啓太は微笑んだ。七条が言った。
「でも、そろそろ継続キャラで一度くらいは成功させたいですね。数値も20%近くになってきましたし」
「そういえば、まだ誰も成功してねえな」
 思い出した様に丹羽が呟いた。すると、西園寺が首を振った。
「いや、前回のセッションで沙耶と中嶋が成功している」
「あれは一度きり前提だからカウントに入れるのはな……おっ、良いこと思いついたぜ。これから誰が最初に成功するか予想しねえか。神話技能は使おうとしねえと直ぐほったらかしになるし、それならKP(キーパー)も参加出来るだろう」
「それは面白そうです」
 すぐさま七条は賛成した。丹羽が続ける。
「だが、単に予想するだけじゃつまらねえ。的中したら、1D6で任意の技能を成長させられるってのはどうだ?」
「ふっ、それはお前がSTR(力)を成長させたいだけだろう」
 すかさず西園寺が言った。しかし、それは悪くない考えだった。丹羽はぐるっと全員を見回した。
「……誰も反対しねえみたいだな。なら、頼むぜ、中嶋」
 丹羽はいつもの様に発案だけして作業は中嶋に丸投げした。中嶋はノートPCのキーを静かに叩いた。
「今、各自のタブレットにメールを送った。そこに成功者名を書いて返送しろ。それは開封せず、成功者が出るまでKP(キーパー)間に引き継がれることにする」
 その言葉に、暫くセッションは中断された。
「今、神話技能が一番高いのは遠藤か……だが、ダイス運がな……」
 タブレットを見ながら、丹羽が呟いた。しかし、中嶋がそれに反論する。
「いや、だからこそ遠藤が最初に成功するかもしれない。相変わらず、女神の殺意が高いからな」
 西園寺は小さく腕を組んだ。
「運と言えば啓太だが、TRPGのダイスは意外と乱れている。それで10%を引けるかどうか……」
「無難に行くなら七条さんでしょうか。俺の次に神話技能が高いですから」
 和希が七条に目をやった。ふふっ、と七条は笑った。
「僕は積極的に使っていくつもりですから、最初の成功者になる可能性は高いと思いますよ」
「王様はまだないんですね。良いな……」
 啓太は羨ましそうに丹羽を見た。
 そうして色々考えながら、十分後、それぞれ一人を選び出した。中嶋は返送された全員のメールを一つのフォルダに纏めると、コーヒーで喉を少し潤した。そして、玄関門の前から描写を再開した。



2019.4.26
今回は一時的発狂で6が良く出ます。
中嶋さんの思惑を、
違う方向から女神が応援している気がする……

r  n

Café Grace
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